エピローグ

第107話 二人の選択 ①


「皇成ー!」


 クリスマスが終わると、世間の雰囲気はガラリと変わった。聖なる夜の煌びやかな雰囲気はあっという間に消え去り、日本古来の雅で趣のある雰囲気が町中を包む。


 更に正月が明けて暫くすれば、高校生たちは、新学期を迎える。


 そして、それは、学校が始まり一週間ほどがたった一月中旬。いつも通り学校の教室の中で帰り支度をしていた皇成に、友人の武市たけち 大河たいがが声をかけてきた。


「皇成ー、今日も病院行くの?」

「あぁ」

「そっか、早く目を覚ますといいね、碓氷うすいさん」


 あの後、皇成は姫奈を連れて、救急車に乗り込んだ。


 廃ビルの中の爆弾と、ショッピングモールに仕掛けられていた爆弾は、どちらもすぐに警察が処理したらしく、皇成たちは、誰一人犠牲者を出すことなく事件を収束させた。


 だが、その爆弾事件の話は、その後、日本中に駆け回り、ちょっとした騒動になった。


 火事だと知らされていたショッピングモールの客たちは、翌朝のニュースで爆弾が仕掛けられていたと知り震え上がり、SNS上では、一時トレンドに上がるくらい、その話でいっぱいになっていた。


 いくらで終わったとはいえ、もし爆弾が爆発していたら、多くの犠牲者をだし、きっと大事件に発展していただろうと。


 そのため、火災と偽りつつも、短時間で迅速に客を避難させた従業員と警察には、多くの人々が賞賛の声を上げていた。


 だが、その事件の裏で、人知れず、時限爆弾を解体した高校生たちがいたことは、世間には、一切


 そして、その爆弾をとめるために尽力した少女が、一人まだ目を覚めていないことも──


「どこかに異常があるとかじゃないんだよね、碓氷さん」

「あぁ、身体には特には。姫奈が目が覚めないのは」


 きっと、使によるもの。だが、そう理解しつつも、皇成は言葉を噤んだ。


 話に聞けば、ショッピングモールに仕掛けられていた爆弾は、ビルにあるパソコンの反応が消えた瞬間、爆発するように仕掛けられていたらしい。


 そして、それを知らされた瞬間、皇成はゾッとした。つまり姫奈は、ショッピングモールにいる人々の命を全て背負って、あの爆弾を解体していたということ。


 自分が、姫奈一人の命を救うために繰り返した采配でも、かなりの体力と精神力を削られた。


 ならば、それが何百人もの命ともなれば、どれだけの負担がかかるだろう。きっと、コードを一本切るだけでも、倒れそうなくらい苦しかったに違いない。


 それなのに、そのコードを6本も切ったとなれば──


(下手すりゃ、廃人になってもおかしくないよな)


 矢印様を使った代償は、それほどまでに大きかった。

 だが、そんな非科学的な理由を医者に話したところで理解してもらえるはずはなく、皇成は何も言わず、医師の判断に任せた。


 そして、今、姫奈が目を覚まさないのは、凍傷による肉体疲労と、精神的なものだと言われている。


「じゃぁ、俺はもう行くから」

「うん、皇成も無理しないようにね!」

「ありがとう、大河 じゃぁ、またな!」


 その後、荷物を背負って大河に手を振ると、皇成は姫奈が入院している病院に向かった。


 もう、三週間も目を覚まさない姫奈は、桜川の総合病院の中にいた。そして皇成は、あの日から毎日、この病院に通っている。


「あ……」


 エレベーターから降りて、姫奈の病室の前に着くと、中から警察官が二人でてきた。


 事件の後、警察署で現場検証や聴取をとる際、何度か会った人達。一人は金森という警察官で、もう一人は、皇成の友人でもある──橘くんのお父さん。


「こんにちは、矢神くん」


「こんにちは! あの、この前、正月に帰って来た時、橘……あ、隆臣たかおみくんと会いました。数年ぶりに会ったら、イケメンぶりに拍車がかかってました!」


「はは、そうか。隆臣も、矢神くんの顔を見れてよかったと言っていたよ。爆弾事件のことで、君たちのことを、とても心配していたから……だが、姫奈さんが、まだ目を覚まさないと聞いてね。少し様子を見に来たんだが」


 その後、橘は、悲しげに姫奈の病室を見つめた。

 どうやら、目を覚まさない姫奈のことを心配し、見舞いにきてくれたらしい。


「大丈夫です! 絶対に目を覚まします! きっと、近いうちに……!」


「なんで、そんなことが分かるんだ?」


「……え? あっ」


 瞬間、橘と目が合って、皇成はゴクリと息を飲んだ。咄嗟に喉をついてでた言葉は、無意識にでた言葉で


「あの、それは……何となく……っ」


「君は、爆弾を止めた時の話でも、曖昧な返事をしていたな。たまたま、だと」


 それは事件後、警察署で聴取をとった時の話だった。

 矢印様のことを話せない皇成は、姫奈が6本のコードを切ったことに関しても、皇成が最後のコードを選んだ理由に関しても、全て『運がよかっただけ』だと答えた。


 だが、普通の高校生が、運良く爆弾を解体したという話には、さすがの警官たちも首を傾げていた。


「でも……本当に、運がよかっただけで」


「そうか……君がそう言うなら、しておこう。だが、運を頼りに切ったというなら、あまりにも無謀すぎる。警察官としては、全く褒めてやれない」


「……はい」


 それは、もっともな話だった。大勢の命がかかった選択を、ただの運に頼ったのだから。


「でも、それでも君たちが、あの日、多くの人々の命を救ったのも、紛れもない事実だ」


「え?」


「なにより、俺も、君のその幸運に助けられた人間の一人だ。ありがとう、君たちのおかげで、家族を悲しませずにすんだ」


「……っ」


 そう言って、穏やかに笑った橘をみて、皇成は目を見開いた。

 橘は、あの日、他の乗客たちをヘリで逃がすために、爆破直前に一人だけ残ったらしい。つまり、皇成が爆弾をとめられなければ、きっと、ここにはいなかった人。


「っ……そうですか。よかった、本当に」


 橘くんのお父さんを救えた。皇成が、ほっとしたように笑えば、橘もまた微笑んだ。


「きっと、君の諦めない心が、俺たちを幸運に導いてくれたんだろう。だから、君が目を覚ますというなら、きっと姫奈さんも目を覚ます。いい報告を、待ってるよ」


「……はいっ」


 橘の言葉に、皇成は、明るく返事を返す。だが、その後、橘たちを見送りながら、皇成は少し申し訳なさそうな顔をする。


 ──絶対、目を覚まします。


 なぜなら、さっき言ったあの言葉は、ただのだったから。


 全く確証のない言葉だ。姫奈が、目を覚ますがどうかは、実の所、全く分からない。


 だって、皇成には、もう──


(あれから、全く使えなくなったな)


 あの日を境に、矢印さまは一切現れたくなった。


 自分で誓っておきながら、やはり、矢印様のいない生活は、なんだか物足りない。

 それだけ、自分にとって、矢印様はなくてはならない存在になっていたのかもしれない。


「失礼します」


 その後、スライド式のドアを開けて、姫奈の病室に入れば、中には姫奈の兄である、碓氷 直哉なおやがいた。大学生で、姫奈と同じく美形な直哉は、皇成が入ってくるなり


「皇成、今日も来たのか。別に、毎日来なくてもいいんだぜ」


 そう言って、皇成を見つめれば、皇成は、丸椅子に腰掛けている直哉の元に歩み寄り、普段通り話しかけた。


「直哉さん、姫奈は?」

「今日も変わんねー。呼んでもピクリともしねーし」

「……そうなんだ」


 なかなか目を覚まさない姫奈に、二人して意気消沈する。すると、直哉が


「殺されたって聞いた時、スゲー落ち込んで。でも、こうして生きて帰ってきてくれたってのに、これじゃ意味が無いよな」


「大丈夫ですよ。きっと目を覚まします。俺は諦めません」


「……そうか。そういや、警察署でも、そんなことい言ってたな、皇成は。俺さ、姫奈が皇成と付き合いだしたとき『相手はちゃんと選べよ』って姫奈に忠告したことがあったんだ」


「え!?」


「まぁ、お前、地味だし底辺なんて呼ばれてるし。なにより、俺たちの母親は、外に男作って出ていっちまって、挙句の果てに、親父の選んだのは間違いだったみたいにいわれてさ。姫奈には、どうしてもあんな風になって欲しくなかった。……だけど、案外、姫奈の方が、男を見る目が、あったみたいだな」


「え?」


「じゃぁ、俺、帰るわ! 姫奈とゆっくり話すれば。つっても、寝てるからって変なことするなよ!」


「し、しませんよ!?」


 すると、直哉は椅子から立ち上がり、病室の外へと歩き出す。だが、その後、ピタリと足を止めると


「皇成」


「はい」


「警察署では、突然掴みかかって悪かった。お詫びって言っちゃなんだけど、次からは、俺のこと、って呼んでいいからな」


「え!?」


 その直哉の表情は、今までにないくらい爽やかで、去り際に言われたその言葉に、皇成は目を見開いた。


「お、お義兄さんって……!」


 びっくりした!! 今まで、威嚇ばかりしてきた、あの怖いお兄様が、まさか、そんなことを言うなんて!?


 だが、それはきっと、認めてくれたということ。姫奈の相手として──


「姫奈」


 直哉が去ったあと、皇成は直哉が腰かけていた椅子に入れ替わりに腰掛けながら、姫奈を見つめた。

 

 静かな病室で眠る姫奈は、まるで眠り姫のようだった。皇成は、ベッドの上に投げ出された姫奈の細い手を取ると、その後、優しく姫奈の手を握りしめた。


「姫奈。俺、姫奈が目を覚ましたら、伝えたいことがあるんだ──だから、早く目を覚まして」


 あの事件から、三週間。


 姫奈の手の温もりを感じつつも、切なく呟いたその声は、静かな病室内に、ゆっくりと溶けていった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る