第101話 不幸の先へ
キュッと皇成の服を握りしめれば、その温もりに、姫奈は、また涙をながした。
温かくて、優しくて、できるなら、ずっとこのまま、こうして温めていてほしい。そう思った。でも──
「逃、げて……っ」
「え?」
一度、縋り着いた手を離すと、姫奈は泣きながら、皇成に訴える。
「私を置いて……今すぐ、逃げて……っ」
「なに……言って」
その言葉に、皇成は困惑する。
逃げる? それも、姫奈を置いて?
「何言ってんだよ、逃げるなら一緒に……!」
「爆弾があるの」
「え?」
「コードは全部切ったのに、止まらないの……もう時間がない……だから、お願い……私を置いて、早く逃げて……ッ」
目が合えば、その切実な訴えに、皇成は息を飲んだ。爆弾と言われ視線を上げれば、その先には、不気味に光るパソコンがあった。
場違いなほど存在を主張する、そのパソコンの画面には【00:04:19】と文字が表示されていて、そして、そのパソコンから伸びた二本の
すると、それを見た瞬間、姫奈が、何故あんなことをいったのか、皇成はすぐさま理解した。
あと4分で、この部屋に仕掛けられた爆弾が爆発する。7階から1階まで降りるのに、どのくらいかかるだろう。一人で逃げれば、まだ何とかなる。だが、憔悴した姫奈を抱えながら二人で逃げるとなれば、まず助からない。だから姫奈は
「ッ──ダメに決まってるだろ!!」
だが、考えるより先に、そう叫んでいた。
姫奈を置いて、逃げるなんて出来ない。逃げるなら一緒に。だが、あと4分という残酷な数字が、絶望への速度を加速させる。
もう、時間がない。
早くここから、逃げないと――!
「とにかく掴まって! 俺が抱え……んッ」
だが、その瞬間、言葉を遮られた。
姫奈の冷たい手が皇成の頬を掴むと、そのまま強引に引き寄せられ、皇成の唇に何かが触れた。
冷たくて、柔らかい何か。初めてともいえるその感触が、姫奈の唇だと理解した瞬間、体の奥がカッと熱くなるのを感じた。
「ん……ッ」
そして、触れていた唇が離れると、再び目を合わせたあと、姫奈は、皇成を見上げて、可愛らしく微笑んだ。
「ふふ……奪っちゃった」
「な、何やってんだよ、こんな時に!?」
「うん、でも、死ぬ前に一度、皇成くんとキスしたかったの」
「……っ」
死ぬ前──その言葉に皇成がキツく唇をかみ締めた。姫奈は、もう覚悟を決めてる。すると、姫奈は、まるど別れの挨拶でもするように、足早に話し始めた。
「私ね……昔から、すごく運が悪かったの……親は離婚しちゃうし、旅行先では階段から落ちて死にかけるし……矢印さまが味方になってくれてから、少しはマシになったけど……それでも、肝心な時に使いこなせなくて、いつも空回ってばかり……でもね、不幸続きな人生だったけど、最後に、すごくいいことがあった」
「いいこと?」
「うん……皇成君が、私に告白してくれたこと。すごく嬉しかった。好きな人との恋が実って、たった一ヶ月だったけど、恋人同士になれた。一緒に学校に行って、デートもして、今こうしてキスもできて、すごく幸せ……だから、もういいの」
「いいって……っ」
「だって、私と付き合ってから、皇成くん、悪いことばっかりだったでしょ……でも、それは私のせい……だから、皇成君の矢印様は、きっと私を選んじゃダメって言ってたよね?」
「……っ」
その言葉に、皇成は、姫奈に告白するまでの日々を思い出した。
矢印様には、ずっと《告白してはいけない》と言われていた。そして、それは、姫奈の傍にいたら不幸になってしまうからで──
「なんで、それ……っ」
「やっぱり、そうなんだ。何となく、そんな気がしてたの……皇成くん、初め別れようとしてたし、それなのに私、無理やりつなぎとめるようなことして……ごめんね、全部、私のせい……あそこで別れていたら、こんな事に、巻き込むこともなかったのに……っ」
姫奈の瞳からは、また後悔の涙が溢れた。
好きな人を巻き込んだ。
大好きな人を、不幸にしてしまった。
矢印様、あなたは、いつも正しい。
あなたの言うことに、間違いなんてなかった。
私の幸せのために、いつも、的確な采配を振ってくれた。だから、私は高嶺の花って言われるまでになれたし、皇成くんと付き合えて、別れたい皇成君を繋ぎとめることもできた。
でも、私は、自分が幸せでも、好きな人が不幸になるのは、嫌です。
私の代わりに、皇成くんが苦しむのは、嫌。
だから──
「だから、置いていって……私、皇成くんに……死んで欲しくない……だから、早く逃げて……っ」
泣きながら、笑って、最期の言葉を告げる。
できるなら、キスから先のことも、経験してみなかった。いつか結婚して、夫婦になって、もっと、皇成くんの傍にいたかった。
でも、その相手は、きっと私じゃなかったんだよね? だって、皇成くんの矢印さまは、私には向いていなかったんだから……
「ありがとう……皇成くん……どうか、生きて……幸せになってね」
「……ッ」
再び笑った姫奈は、その後、静かに目を閉じ、皇成の腕の中で力尽きた。
限界だった意識を必死につなぎ止めていたのか、ぐったりと気絶した姫奈を見て、皇成は酷く動揺する。
「姫奈? 姫奈ッ! ひな……っ」
軽く揺さぶるも、姫奈はピクリともしなかった。体は酷く冷たくて、氷のようで、それに、矢印様をずっと使いつづけていたのか、ひどく衰弱しているようにも見えた。
コードを切ったと言っていた。そんな命がかかった采配を、ずっと繰り返していたのだろうか?
たった一人で?
「なにが、私のせいだよ……っ」
悔しさから、冷えきった姫奈の体を、きつく抱きしめた。
姫奈を置き去りにして、自分だけ生き残るなんて、そんな選択肢は初めからなかった。
だって、助けるために、ここまで来たんだ。
「俺が、どれだけ、血眼になって探し回ったと思ってんだ……殺されたって聞いて、どれだけ辛かったと……っ」
運が悪いのは、誰のせい?
自分のせい?
他人のせい?
それとも、神様?
そんな、どうしようもないものまで、姫奈が背負う必要なんてない。
人生は、選択の連続だ。
そして、その選択は、正しい時もあれば、間違う時もある。
だけど、例え間違ったとしても、その先で、また、別の選択がおとずれるんだ。
何度も、何度も、繰り返し。
尽きない選択に、人は一喜一憂して、時折間違って、時折成功したかと思えば、また間違って、挫折する。
だけど、何度と続けたその選択の先に、最高の幸せが待ってる場合もある。
不幸の先で、得る幸福だって、きっと。
なら……
「まだ、諦めるなよ……姫奈の矢印様は、俺を選べば、幸せになれるって言ったんだろ……なら、それを信じろよッ」
まだ、諦めるな。
姫奈の幸せは、これからだ。
これから、俺と
一緒に作っていくんだから──
「……待ってろ、姫奈」
その後、抱きしめていた腕をゆるめると、皇成は、姫奈を優しく床に寝かせたあと、目の前の爆弾を睨みつけた。
パソコンの表示は【00:03:25】
爆弾が爆発するまで──残り3分。
そして、その秒針は、尚も時を刻み、カウントダウンを繰り返す。だが
「──この爆弾は、絶対に俺が止めてやる」
たが、どんなに時間が迫ろうとも、皇成が諦めることはなかった。
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