第92話 嘘と真実


『ショッピングモールにある観覧車を、今すぐ止めて欲しい』

「……は?」


 そのお願いに、橘は眉をひそめた。


 滅多に頼み事などしてこない息子からの久方ぶりのお願いが、まさかまさかの、観覧車をとめて?


「なんだそれは。ショッピングモールって、どこの?」

『桜川の』

「なんのために」

『それは……正当な理由は、特になくて』

「はぁ? 何言ってんだ、お前は」


 その後、更に問い正せば、隆臣は友人の『嫌な予感がする』という話を聞いて、電話をかけてきたという。

 だが、その返答に橘は頭を抱えた。


 嫌な予感がするから観覧車を止めろ?

 そんな直感じみた通報で、観覧車をとめる警察官は、まずいない。


 そこそこ利口な子だと思っていたが、まさか、そんな言葉を鵜呑みにして、バカ正直に電話をかけてきたなんて──


「隆臣。お前、具合でも悪いのか?」

『悪くねーよ』

「じゃぁ、なんでそんな話を」


 いくら息子の頼みとはいえ、そんな理由で自分が動くわけがないということは、息子だからこそ、よく分かっているはずだった。


 それなのに──…


だったんだ』

「え?」

『皇成は、俺を困らせるようなことを、わざわざするようなやつじゃないと思う。それでも、困らせると分かった上で、俺に必死に頼み込んできた。アイツは今、本気で観覧車を止めたいって思ってる。なら、俺もその本気に、応えてあげたいと思った』

「…………」


 切実な隆臣の声に、橘は黙り込んだ。


 昔から、友達思いの子だった。

 その想いは実に温かく誠実で、そのように優しく頼もしい息子に育ってくれたことは、親として素直に誇らしく思う。


 だが、息子だからと、いちいち情に流されていては、警察官としてはやっていけない。


「そうか。だが、そんな理由で観覧車は止められないのは分かるだろ。例え息子の頼みでもな」

『……っ』

「それより、俺は今、大事な事情聴取の真っ最中なんだ。お前も今バイト中だろ。友達も大事だが、自分のやるべきことはしっかり果たせよ。じゃぁな」

『……ぁ、ちょ!』


 その後、問答無用で通話を切ると、隆臣は、休憩室の中で、一人眉をひそめた。


(やっぱ……ダメだよな)


 父の反応は、あらかた予想していた。

 あの人は、仕事に私情は一切挟まない。


 それでも、皇成の力になりたいと思ったのは、確かなことだったのだが、情に訴えかけるには、相手が悪すぎた。


(悪い皇成。いくら俺でも、親父は動かせねーよ)


 高校生になっても、未だに父は越えられない。

 そう実感し、隆臣はただただ息をつくだけだった。







「…………」


 一方、橘はスマホを手にしたまま、考え事をしていた。


(観覧車を止めてほしい……か)


 息子の言葉を、改めて振り返る。


 もちろん、正当な理由もなしに、止めることは出来ない。だが、あの隆臣が、出来ないとわかりつつも、そんな無茶なお願いをしてたのは、初めてのことだった。


 それに、隆臣の話の中に出てきたという名前が、少し気になった。


(皇成って……もしかして、矢神くんのことか?)


 息子の友人関係を全て把握している訳ではないし、別人の可能性もある。だが、桜川にある観覧車を止めて欲しいと言って来たことから察するに、桜川の住人である可能性が高かった。


 それに、このタイミングで、先程ロビーにいたあの少年と同じ名前を聞いたのが、ただの偶然とも思えなかった。


 先程、ロビーにいた矢神 皇成くん。

 彼は、まだ姫奈さんが生きていると言っていた。


 地図を欲していた事から、彼女の死を納得できず、探しに行ったのだと思った。


 だが、それが、なぜ今は観覧車なのだろう?

 姫奈さんを探しに行ったのではないのだろうか?


 それとも、やはり別人?


(そう言えば、あのショッピングモールは、津釣が働いていた場所でもあったな)


 不意に、津釣のことを思い出し、橘はスマホをしまい、また取調室に戻る。


 少し前まで、津釣は、あの観覧車があるショッピングモールで警備員として働いていた。


 勤務態度は悪くはなく、むしろ、釣津が爆弾事件の容疑者だと話した際には、ほかの警備員たちは、皆、驚いているくらいだった。


 そして、あの当時、ショッピングモールで津釣が使用していたロッカーなどもあらかた調べたが、職場に怪しいものは一切なく、その後、あの広大なショッピングモールの中を、調べ尽くすことはなかった。


(まさかな……)


 一つの仮説を立て、ありえないと苦笑する。


 だが『ありえない』ということを立証することは出来ない。


 なぜなら、そのありえないことをするのが、犯罪者なのだから。


 ──パタン。


 取調室の中に戻ると、橘が戻ってきたのを見て、津釣が声をかけてきた。


「電話、終わった?」

「あぁ、待たせたな」


 再び、釣津の前に腰掛けると、橘は、改めて目を合わせる。


(ひとつ、確かめてみるか)


 この男の話が『嘘』なのか、それとも『真実』なのか?


 全てを判断するのは、それを見極めてからだ。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る