第87話 一生分の采配
「俺は、まだ諦めない!」
「……っ」
そう言った皇成に、姫奈の兄が、苦渋の表情をうかべた。
自分だって、まだ諦めたくない──そう言いたいようにも見えた。
だけど、それを口にできないのは、犯人の証言が、その思いを、いとも簡単にを打ち砕いたから。でも、皇成は
「姫奈は生きてます。だから、必ず、連れて帰ってきます」
「……っ」
はっきりと、目を見て訴えれば、直哉は掴んでいた皇成の服を力なく離した。すると
「蔵木の地図って、これでいいの?」
と、今度は、別の婦人警官が声をかけてきた。
「え、ちょっと、いいの?」
「うん。橘警部補が、出してやれって」
多少、もめつつも差し出してくれたのは、蔵木地区全体が描かれた大判の地図だった。広げれば新聞紙くらいの大きさになるその地図には、建物まで細かく描かれていた。
「ッありがとうございます!」
心優しい婦人警官たちにお礼を言って、皇成は、地図を受け取ると、その後、受付に置いてあったマジックをとって、その地図を床に広げた。
蔵木地区は、そこから更に16の地域に分かれていた。この中から、姫奈の居場所を探し出す。
だが、きっと気を失う前なら、もう矢印様は使えなかったかもしれない。
だけど、三時間しっかり眠ったおかげか、体力も精神力も、ある程度は回復していた。
これを、女神が見越していたのかは分からない。
でも
(ありがとう。あとは──)
皇成は、ぐっとペンを握りしめた。
今まで、ずっと矢印さまと一緒に生きてきた。
これまで、自分が幸せな日常をおくれていたのは、全部、矢印様のおかげだ。
だけど、もう甘えたりしない。
自分の道は、自分で選んで進んでいく。
だから、どうか
あと少しだけ、力を貸してください。
俺の大切な人を救うまで──
前世で救えなかったあの子を
今度こそ、救うまで。
姫奈を見つけられたら
この先、一生、使えなくなっても構わないから──
「────っ」
瞬間、皇成は勢いよく、地図にペンを走らせ始めた。一生分の采配を、この瞬間に託した。
キュッと地図の上をペンが移動すれば、皇成は、地域の境目を分断するように、上から下へと、マジックで線を引いていく。
そして、蔵木地区を二分したかと思えば、その数秒後には、そのうちの片方に「×」印を付けた。
この地域に、姫奈はいない。
そして、その采配を猛スピードで繰り返していく。
だが、何をしているのか。ただただ地図に『×』印をつけていく皇成に、皆は戸惑い、異様な空気が漂った。
「あの子……何してるの?」
婦人警官が呟けば、その場にいた姫奈の父も兄も、皇成の行動を凝視し、眉をひそめる。
探しに行くわけでもなく、床に膝をついて、ただひたすら地図に「×」印をつけていくだけ。
それは、あまりにも異様な光景だった。
だが、それから、しばらくして、ひたすら響いていたペンの音が止まった。皆が固唾を飲めば、皇成は手が止めた瞬間
「……いた」
と、小さく呟いた。
蔵木8丁目──その地域の建物をしらみつぶしに采配していけば、とあるビルに差し掛かった瞬間、矢印様が答えた。
――この建物の中に、姫奈はいますか?
その皇成の問いに、矢印さまは《いる》と答えたのだ。
(っ……やっと、見つけた)
喜びと安堵。それが同時に押し寄せる。
だが、きっとここで、ここに姫奈がいるといっても、誰も信じてはくれないのだろう。
なら、自分がやるしかない。
そう決意すると、皇成はすぐさま立ち上がった。
だが、その時
「皇成!」
──と、母親の麻希が呼び止めた。
目が合えば、麻希は、目に涙を浮かべていて、皇成はぐっと息を詰めた。
目の前で、ひたすら奇行を繰り返す息子を見て、何を思っただろう。母には幼い時にも、よく心配をかけた。矢印が見えるなんて、おかしい子だと思われても不思議じゃない。
だから、それからは、家族にも話さず、ずっと普通の子を演じてきた。もしかしたら、その頃の時を思い出してるのかもしれない。
おかしな行動や言動を繰り返す息子を見て、憤りを感じてるかもしれない。でも……
「気をつけてね」
「え?」
「姫奈ちゃんと、必ず帰ってきてね……っ」
「……っ」
ソファーの上に置かれたままだった緑色のマフラーを、母がそっと皇成の首に巻けば、その瞬間、皇成は目を見開いた。
誰も信じてくれない──そう思っていたのに、そんな中でも、ただ一人だけは、自分の言葉を信じようとしてくれたから。
「うん──必ず、一緒に帰ってくる」
暖かくなった首元の感触に、皇成は胸を熱くすると、その後、警察署から駆け出した。
外にでれば、暗い空には、ヒラヒラと雪が降り始めていた。
現在の時刻は、19時18分。
爆弾が爆発するまで、残り───42分。
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