第86話 寄り添うこと


 ***


「俺は、まだ諦めない!」


 その声が聞こえたのは、たちばなが捜査中の海や、回収されたワゴン車の現場検証を終えて戻ってきた時の事だった。


 少し騒然とした警察署の様子に思わず足を止めれば、受付にいる婦人警官に、必死に何か訴えている少年の姿があった。


 周りにいる人物からして、今回被害にあった女子高生の家族や知り合いなのだと気付く。そして、その高校生らしい背格好から、その少年が、姫奈さんの彼氏で、今回通報してきた、矢神 皇成君だということも、なんとなしに察した。


 その姿には、しっかり面影があった。

 数年前に、橘は一度だけ、皇成と会ったことがあった。


 彼が、まだ小学生の頃の話だ。息子の友人の一人として挨拶だけを交わしただけの関係だったが、見るからに素朴な子で、今のように、大声を上げて叫び狂うような子には見えなかった。


「なにか、あったのか?」


 受付奥の廊下から、別の婦人警官に声をかけた。


 すると、中にいたもう一人の婦人警官が、この場が騒然としている理由を恐る恐る話し始めた。


「それが、彼女が殺されたのが相当ショックだったようで、三時間ほど眠ったあと、いきなり、まだ生きてると言い出して……さっきから、蔵木の地図をだしてくれって聞かないんです」

「蔵木? なんで蔵木なんだ?」

「さぁ、わかりません。きっと、ショックでおかしくなってるんだろうと」


 通報があってから、食事もとらず駆けずり回っていたのだろう。自宅で待機しろといった警察の言葉すら無視して、ひたすら彼女を探し回っていた男の子。

 それを考えれば、彼女の死を受け止めきれていないことは、すぐに理解できた。


 辛いだろう。

 悲しいだろう。

 信じたくなどないだろう。


 自分の好きな女の子が、殺されたなんて――


「……出してやれ」

「え?」

「蔵木でも、どこでも。地図が欲しいなら出してやれ。それで、あの子の気がすむのなら――」


 悲しみに暮れる遺族を、橘は、これまでにも何度とみてきた。


 だが、人間は無力だ。最悪な結果が出てしまえば、ただ、その心に寄り添うことしかできなくなる。


 だけど、寄り添うことで、その心が、少しでも前に進むことができるなら――


「橘さん……!」


 婦人警官が、橘の側を離れたあと、今度は男に声をかけられた。

 捜査を一緒に行っていた金森が、橘を呼びに来たらしい。


津釣つづりが夕食を終えたそうです。事情聴取を再開するので、橘さんもすぐに来てください」

「あぁ、わかった」


 騒然とするロビーを後にし、橘は、取調室に向かった。警察署長く薄暗い廊下を進み、無機質な扉を開けば


 そこには――津釣つづり かなめがいた。


 爆破による放火を繰り返し、姫奈さんを攫い殺害した、この一連の事件の、犯人が──



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