第85話 諦めない


「皇成?」


 急に空中に手を伸ばした息子をみて、麻希が眉をひそめた。

 まるで、何かをつかむような仕草。その不可解な行動に困惑していると、皇成が、またぽつりと呟く。


「……生きてる」

「え?」

「まだ、生きてる!」


 空中を見つめ、突然叫んだ息子に、麻希は目を見開いた。

 それは、姫奈のことを言っているのか?

 だが、何もない場所を見つめて叫びだす様は、少し異様な光景に見えた。


「こ、皇成、落ち着いて、姫奈ちゃんは……っ」

「だから、まだ生きてるんだ!」


 母親の言葉に、皇成は目を合わせ、必死に訴えた。


 まだ、生きてる。

 この町のどこかで、姫奈が――


 だが、そんな皇成を見て、麻希が不安げな表情を浮かべた。


 目が覚めたと思ったら、いきなり殺された人間が、生きてるなどとのたまうのだ。ショックで、おかしくなったと思われてもおかしくなかった。


 だが、今の皇成には、そんなのどうでもよかった。

 はっきり言って、周りの反応を気にしてる場合じゃない!


(確か、警察署に来る前、矢印様は、姫奈が蔵木くらぎにいると言ってた)


 やっぱり、あれは間違いじゃなかった。


 だが、あれからもう三時間。犯人が捕まったあとの話とはいえ、移動していないとも限らない。

 皇成はそう思うと


(矢印様……姫奈は、まだ蔵木にいますか?)


 目を閉じ、改めて問いかける。すると、矢印様は、すぐに《いる》と采配した。

 すると皇成は、弾かれたようにソファーから立ち上がり、受付にいる婦人警官に声をかけた。


「すみません、地図をください! 蔵木地区の、できるだけ正確な地図!」

「え……?」


 真剣な表情で訴える皇成に、婦人警官が、わずかにたじろいた。そして、その光景を見て、麻希が慌てて引き止める。


「ちょっ、皇成! もうやめて! 姫奈ちゃんは……っ」

「だから、まだ生きてるんだよ! お願いします、地図を!」

「ち、地図って言われても……!」

「──やめろ!」


 婦人警官が困り果てていると、今度は姫奈の兄の直哉なおやが、皇成に向けて声を上げた。


 母親の姿を見て、いたたまれなくなったのか、代わりとばかりに皇成の服をつかみあげた直哉は、ロビーに響く大声で皇成を怒鳴りつけた。


「もう、いい加減にしろ!! さっきから、生きてるって、何度も! 犯人がって言ってるんだぞ!!」

「……っ」


 苦しさと悲しさ、そして怒りが入り混じったその直哉の表情に、皇成は息をつめた。


 服をつかみあげる手は、少し震えていた。

 妹が殺されて、それを受け入れようとしている時に、まだ生きてるなんて言われたら、怒鳴りつけたくもなるかもしれない。


 それは、当然の反応だと思った。


 みんなが、悲しみに飲まれてる。

 現実を受け入れようと、もがいてる。


 生きてるなんて、簡単に信じられるわけがない。


 殺してないのに、殺したという犯人が、本当にいるのだろうか?

 それは、皇成だって、まだ半信半疑だったから。


 でも――


「それでも、姫奈は生きてる。俺は、まだ諦めない!」

「……っ」

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