第79話 限界


 姫奈が、死んだ。

 いや、殺された。誘拐犯に──


 その事実を目の当たりにした瞬間、皇成は、何がなんだか分からなくなった。


 さっきまで、矢印様は蔵木の辺りに姫奈がいると言っていた。それなのに


(なんで……?)


 間に合わなかった?

 救えなかった?


 姫奈を?

 あんなに、大切な女の子を?


「…………」


 ただ呆然と立ち尽くしながら、泣きながら話す母の言葉を聞いていた。身体は一気に冷えて、足元がおぼつかない。


 母の話では、犯人が殺したと証言したらしい。


 警察も、今は街の中ではなく、海を捜索中らしく、騒然として暗然とした、その空気は、まさに姫奈が亡くなったことを意味していた。


 だけど、皇成には信じられなかった。

 姫奈が、死んでしまったなんて……



「ッ──」


 瞬間、視界がぐらりとゆれた。


 さっきから、足元がおぼつかなかったのは、矢印様を酷使したせいか、はたまた、姫奈の悲報を聞いたせいか、急に体の力が抜けると、皇成は冷たい床に膝をついた。


「皇成!?」


 顔色が悪く、いきなり座り込んだ息子を心配し母の声が響く。それでも皇成は、薄れゆく思考を必死に繋ぎ止めようとした。

 だけど……


(ッマズイ……流石に、もう……っ)

 

 ついに、限界がきたらしい。


 皇成は、そのまま床に倒れ込むと、まるで辛い現実から目を背けるかのように、意識を手放した。





 ◆◆◆



(はぁ……はぁ……流石に、もう……っ)


 そして、それから幾分か時間がたったころ、姫奈もまた限界を迎えつつあった。


 あれから、どれだけ時間が経ったのか、外はもうすっかり暗くなっていた。


 姫奈がいる廃ビルの中は、当然ライトなどはなく、辺りが暗くなるに連れて不安が増していく。


 だが、外から差し込むイルミネーションの明かりと、パソコンの液晶画面が明るいからか、爆弾の解体作業が出来るくらいの明るさは、なんとか保たれていた。


(矢印さま、矢印さま……『茶』と『桃色』先に切るのは、どっち?)


 そして、あれから姫奈は、矢印様に聞きながら、コードを切る正確な順番を、必死に導き出していた。


 白、黄、茶、紫、紺、桃色の6本のコード。

 まずは『白』を基準に、ひとつずつ聞いた。


『白』と『黄』先に切るのは?⇒『白』

『白』と『茶』先に切るのは?⇒『茶』

『白』と『紫』先に切るのは?⇒『白』

『白』と『紺』先に切るのは?⇒『白』

『白』と『桃』先に切るのは?⇒『桃』


 すると矢印さまは、姫奈の問に正確に答え『白』より先に切るコードが『茶』か『桃』であることを導いた。


 そして、その采配をくりかえし『茶』と『桃』どちらを先に切るかを問えば、矢印さまは、ユラユラと揺れ『茶』と書かれたプレートをさした。


(茶色……てことは、前半の順番は『桃』⇒『茶』⇒『白』)


 なんとか、ここまでは導き出せた。

 のこりは、黄、紫、紺の順番。


 だけど、この采配は、普段の何倍もの精神力を使った。一人の命ではなく、ショッピングモールにいる何百人もの人々の未来がかかっているからか、一つ聞き出しただけでも、目眩がするくらい重いのだ。


(はぁ、どうしよう……まだ、半分も残ってるのに……っ)


 なんとか、爆弾を止めたい。


 だが、矢印様の采配にプラスして、冬の夜の冷え込みにより、姫奈の呼吸は微かに火照り始めていた。


 風邪を引きかけているのかもしれない。

 暖房のない冷えたビルの中に長時間、次第に手がかじかみ、震えが止まらなくなる。


(どうしよう……こんなに震えてたら、コードを切るのも……っ)


 正しい順序を導き出せても、震えた手で、コードを切らねばならないことに不安を抱く。


 あの男は、ここまで計算していたのだろうか?


 確実に、解体させる気のない鬼畜さに、怒りすら込み上げてくる。


(っ……止めなきゃ、いけないのに)


 気持ちに、体が追いつかない。

 しかも、時刻はもう6時を過ぎて、タイムリミットも二時間を切った。


 もう会えないかもしれない。

 このまま死んでしまうかもしれない。


 そんな思考が微かによぎる。


「皇成……くん……っ」


 会いたい人を、一人一人思い浮かべては、また涙が溢れた。

 

 心は、今にも折れそうだった。

 だけど、それでも姫奈は、諦めず矢印様に問いかけた。


(矢印さま……『黄』と『紫』……先に切るのは、どっち?)


 ふらつく視界の中で、矢印が片方をさすと、姫奈は、かじかむ手で、再びペンを握りしめた。


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