第67話 車の中で
車は、まるで攪乱するように、桜川の町をしばらく走り回ると、その後、とあるビルの地下駐車場に入った。
車内に閉じ込められた姫奈は、暗がりへとすすむ車に不安を抱く。
あの後は、本当にあっという間だった。
強引に車内に連れ込まれたかとおもえば、予め用意されていたガムテープで口を塞がれ、腕も後ろ手に縛られ、ガムテープでぐるぐる巻きにされた。
後部座席に寝かされ、一切の抵抗を奪われたあとは、スマホの電源まで落とされて、見知らぬ男と二人きり。
そして、その車は、猛スピードで移動し始めたかと思えば、あちらこちら移動して、一時間ほどして、この駐車場に入った。
まだ昼前の明るい時間。それなのに、その地下駐車場は真っ暗だった。
廃ビルと化したそこに、人の気配は全くなく、明るい場所から、ズルズルと闇の中に引きずり込まれていく様子に、姫奈の身体は、微かに震え始める。
(私、どうなるの……っ)
目には、じわりと涙が浮かんだ。だが、それを必死に食い止め、落ち着けと、己に言い聞かせる。
不運には、昔から、よく見舞われた。
流石に誘拐されたことはないが、それでも、今の姫奈には、矢印さまが憑いている。
だから、自分がどう行動すればいいかは、ある程度、判断ができる。
(大丈夫……矢印様がいるんだから、きっと、大丈夫……っ)
不安を抱きながらも、今の状況を整理する。
男は、一人だった。矢印さまの言うことには、仲間はいないらしい。つまり、単独犯だ。
そして、女性が拉致される目的として、最も多いのが、性的な暴行を加えられること。
車に乗せられ、人気のない場所に連れ込まれる様は、まさに、それを暗示していたが、姫奈が、なんとか冷静でいられたのは、先程、矢印さまに『性暴力は受けない』と采配されたから。
つまり、今の男の目的は、姫奈の身体ではない。
だが、それがわかったところで、男の目的が分からない以上、どうしても命の危険はあった。
だが、自分の生死に関わる采配はどうしてもできなかった。
もしも、矢印さまに『死ぬ』と采配されたら、もう心が、折れてしまいそうだと思ったから……
──キキッ
地下駐車場をすすむと、しばらくして車が止まった。
連れ込まれた車は、ファミリー向けのワゴン車だった。黒い車体の中には、5〜6歳の子供が遊びそうなおもちゃや、赤ちゃんが乗るチャイルドシートがあって、この車の持ち主に子供がいることがわかる。
だが、犯人である男は、どう見ても子供がいる父親にはみえなかった。まだ若いし、見た感じ20代前半。フードを被っているから、顔はまだよく確認できていないが、多分、この車は、盗んだ車なのだろう。そう、何となく推測する。
バタン──!
車が止まると、すぐに運転席の扉が開いた。
犯人である男が、車から下りると、電気もつかない薄暗い地下駐車場の中を移動し、姫奈の元にやってくる。
きっと、後部座席の扉を開けられる。
そう、思った。
そのあとは、なにをされるのか?
例え『性暴力は受けない』と采配されていても、状況が状況のせいか、不安もあった。
なにより、抵抗できないこの状況で、襲われたら一溜りもない。だが幸い、足は縛られておらず、自由だった。
姫奈は、一抹の望みをかけて、矢印さまに采配を委ねる。
(矢印さま、この扉が開いた瞬間、男を押しのけて逃げたとして、私は逃げ切れますか?)
チャンスは、ほんの一瞬。
姫奈が、問いかければ、姫奈の目の前には《逃げ切れる》とかかれた白いプレートと《逃げきれない》とかかれたピンクのプレートが現れた。そして、その間に現れた《 ↑ 》は、すぐさま片方をさす。
矢印さまがさしたのは──《逃げきれない》と書かれたピンクのプレート。
「……っ」
微かな希望が、あっさり
ここで男を押しのけ全力で逃げても、逃げることはできないのだと。
──ガラッ
「……!」
瞬間、スライド式の扉が開けば、姫奈は、ビクリと身体を震わせた。
だが、それでも、冷静な面持ちで、男を見つめた。
泣いて暴れても、何も解決しない。なにより、逃げきれないなら、ここで無駄な抵抗をするべきではない。男を逆撫でして、同時に体力を削られるだけ。
不安を隠しつつ、それでも、真っ直ぐ男を見つめれば、抵抗する気のない姫奈に、男はナイフを差し出してきた。
ギラリと光る、銀色のナイフ。
男はそれを、姫奈に向けながら
「ついて来い」
そういって、姫奈を車内から連れ出した。
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