第59話 姫奈の矢印さま

 それを噛み締めていると、それからしばらくして、姫奈が静かに囁いた。


「皇成くん……いい匂いがする」

「え?」


 胸元に鼻先をこすりつけながら、姫奈がそう言えば、なんださ照れくさい感覚に包まれた。


「に、匂いって、男臭いだけかと」

「そんなことないよ。なんかね、お日様みたいなあったかい匂いがする……私、皇成くんの匂いすきだなぁ」


 うっとりと擦り寄る姫奈は、まるで猫のようだった。だが、それからややあって、姫奈はポツリポツリと話し始める。


「本当はね、少し不安だったの」

「不安?」

「うん……この前のデートの時、私いろいろ話しちゃったから、もしかしたら、嫌われちゃったのかなって」

「ッ……そんなこと!」

「うん、そんなことないんだって、さっき抱きしめてくれて分かった……ありがとう、凄く、嬉しかった」


 キュッと抱き、安心したように目を閉じた姫奈をみて、皇成は、そんなにも不安にさせていたのかと、姫奈を抱きしめる手に更に力を込めた。


 確かに、あの後から、極力、姫奈を家から出さないようデートはしないと言っていたし、一緒に帰っていても、疲れた顔をして上の空だった。そんな姿ばかりみていれば、そりゃ不安にもなる。


(何やってんだ、俺……っ)


 姫奈を守りたいと必死になるあまり、肝心の姫奈の気持ちを、全く考えていなかった。


「ごめん……」

「あ、謝らないで! 私には、話せないようなことなんでしょ? なら、仕方ないよ……それより、24日は、やっぱりデートできないの?」

「え?」

「ほら、せっかく観覧車のチケット当たったのに、使わないのは勿体ないなって……」

「…………」


 思わず、言葉につまった。


 姫奈は、行きたいんだろうな。そりゃ、自分だって、デートしたいし、観覧車だって一緒に乗りたい。


 でも……


「あのさ、姫奈の矢印様は、なんて言ってる?」

「え?」


 唐突に問いかければ、姫奈は少し驚いた顔をしていた。


「矢印さま?」

「うん、聞いてみてくれないか? 24日に、観覧車に乗っていいかどうか」


 本当は、俺が聞けばいいのかもしれない。


 だけど、前回のことがあってから、姫奈と共に行動する事柄に関して、矢印様に問いかけるのを躊躇するようになった。


 女神が言った、あの言葉を思い出す。


『あの子が死んだ方が、勇者様にとっては幸せではないですか』


 自分にとっていいと采配された選択が、姫奈にとっての最悪な未来に直結してるかもしれない。そうおもったら、迂闊には聞けなかった。


 だから、姫奈に聞こうと思った。

 姫奈の矢印様は、姫奈の味方だから。


 きっと、姫奈の矢印さまのいうとおりにすれば、姫奈は、死なずにすむ。


「頼む、矢印様に聞いてみてくれないか!」

「え? あ、うん」


 戸惑う姫奈の肩を掴み訴えれば、姫奈は、皇成に言われるまま、目を閉じ、矢印様に尋ねた。


 ほんの数秒。そして、その後しばらくし、矢印さまの采配が終わったらしい。


 そして、その結果は


だって」

「……え?」

「乗っちゃダメだって」


 どうやら、姫奈の矢印さまは《観覧車に乗るな》と采配したらしい。ということは


(観覧車に乗ったら、姫奈に良くないことが……?)


 それが、死に関わることかは分からない。

 だが、矢印さまの言うことに、きっと間違いはない。


「やっぱり、観覧車に乗るのはやめよう」

「う、うん……そうだね。なら、やっぱりデートは……出来ないね?」


 だが、その後、シュンする姫奈を見て、皇成は、ぐっと息を詰めた。


 外に出すのは、危険だ。だからと言って、一緒にいないのも不安だ。


 できるなら、24日の午後は、できる限り傍に付き添っておきたい。


 なら、どうするのがいいのか?


「あ……そうだ、俺の家」

「え?」

「俺の家で、デートしないか!」


 不意に浮かんだのは、それだった。

 外に連れ出すのが心配なら、家の中で過ごせばいい。


「そうしよう! お兄さんたちにも許可もらって、一晩泊まってけば、夜も一緒にいられるし!」

「え! 泊まる!?」


 不意に、姫奈が頬を赤くし、皇成は、さっきの姫奈と変わらないくらいの大胆発言をしてしまったことに、今さら気づく。


「あ! いや、別に変なこと考えてるわけじゃないから! その日は優成もいるし、夕方には親も帰ってくるし! 夜に、俺の家族とみんなでクリスマスパーティーして、泊まってけばって話しで! あと、ちゃんと客間もまるから、一緒に寝るとかそんな展開にもならないし、安心して!!」

「ふふ」


 饒舌にはなってまくし立てれば、皇成のあまりの慌てように、姫奈がクスクスと笑いだした。


「皇成くん慌てすぎ。でも、そういうのもいいかもね。私、皇成くんのご家族と、久しぶりにお話したいと思ってたし、それに、お父さんたちも保護者の監視下でなら、いいよって言ってくれると思うし」

「そ、そっか……」


 姫奈の話に、皇成は、小さく安堵のため息をついた。24日は午前0時まで気を抜けない。


 なら、泊まりがけで、傍にいてあげれば……


「じゃぁ、クリスマス・イブ。楽しみにしてるね?」

「うん、分かった」


 姫奈が、嬉しそうに笑えば、皇成も微笑んだ。


 二人きりではないし、観覧車にも乗れない。だけど、付き合って初めてのクリスマスに一緒に過ごせる。


 今は、それだけでいいと思った。

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