第25話 善意の輪

(皇成君、どこに行ったのかな?)


 ――昼休み。姫奈は教室の中で、数名の友人たちと、お弁当を食べていた。


 机の上に置かれた色とりどりのお弁当は、姫奈が自分で作ったものだ。


 両親が離婚してから、父と兄の三人家族。


 幼い頃は、父が家事をしていたが、中学生になったあたりから、忙しい父の代わりに姫奈が家事をするようになり、こうしてお弁当を作るのも日課になった。


 そして、最後に残った卵焼きを口にしながら、姫奈は、教室から消えた皇成のことを考えていた。


 いつもなら、教室のすみで友人の大河たいがと一緒にお弁当を食べている皇成。だが、今日はいつの間にか教室から消えていて、大河は別の友人と一緒にお昼を食べていた。


(また誰かに、呼び出されたのかな?)


 昨日、皇成は、学校中の男子の反感を食らって、四六時中、呼び出されていたらしい。それを思い出して、姫奈は不安げに眉を下げた。


 だが、それも全て、姫奈が招いたことだった。


 昨日の朝、同級生の男子に告白をされた時、皇成と付き合ったことを話せば、こうなることは、ある程度予想できた。

 

 矢印さまは、いつも正しい方に導いてくれる。を教えてくれる。


 昨日、一緒に登校するのを断って告白を受けに行ったのも、兄が返ってくると見越したうえで家に招いたのも、朝、皇成の自宅に押しかけたのも、全て──大好きな人を繋ぎとめるため。


 だけど、そのやり方には、少しだけ違和感を感じていた。


(矢印様は、正しいはずなのに……)


 まるで無理矢理、くさりでつないでいるような、そんな感覚だった。 


 せっかく、告白してくれたのに、やっと両想いになれたのに、心は逆に離れていっているような、そんな嫌な感覚。


 だけど、今更、どうすればいいのだろう。


 今はもう、矢印さまに頼らないと生きていけない。また、間違った選択をしたら?


 そう思うと、不安で仕方なくなる。


 もう、後悔なんてしたくない。

 もう、あんな思いしたくない。


 もう、絶対に────誰も傷付けたくない。


 

「ひな~、ちょっと聞いてる?」

「え?」


 不意に声をかけられ、姫奈は顔を上げた。


 すると一緒にお弁当を食べていたクラスメイトたちが、姫奈の顔を見つめていて、姫奈は、はっと我に返った。


「あ、ごめん。なんだっけ?」


 考え事をしていたせいで聞き逃してしまった。姫奈が申し訳なさそうに眉を下げると、友人たちは


「何って、あののこと!」

「いくらなんでも、ひどくない!?」

「え?」


 まるで、苛立つような友人たちの声に、姫奈は目を見開いた。それはまるで、新聞部のあの記事に怒りを覚えているような、そんな声色だったから。


「ひ、ひどいって……何が?」

「だって、あの記事、どう考えてもデマでしょ!」

「そうそう! 『結婚を前提に~』なんて勝手に書かれててさー。付き合ったばかりで、いきなり結婚まで考えてるわけないっての」

「明らかに盛ってるよねー。それに、あれ書いたのD組の長谷川さんでしょ? 姫奈、あんな嘘書かれたままでいいの? 絶対、抗議したほうが良いって!」

「……っ」


 みんなして長谷川を責めるような、その口ぶりに姫奈は小さく息を飲んだ。

 指先が震えだせば、心拍が、少しずつ上昇する。


(あ、もしかして、私……っ)


 ──、間違えた?


 すると、その瞬間、まるでフラッシュバックでもするように、幼い日の記憶が蘇ってきた。


 辛かった記憶。

 苦しかった記憶。


 そして、後悔と懺悔で泣き叫んだ、あの日の記憶。


 それは、全て姫奈が、後悔の記憶だった。そして、その記憶は、まるで心の中をズタズタに引き裂くかのように、重く深く流れ飲んでくる。


(ぁ……どうしよう……っ)


 矢印さまに聞かずに、新聞の掲載を許可したことを思い出し、姫奈は深く後悔する。


 あの記事は、嘘じゃない。

 長谷川さんは、デタラメなんて書いてない。


 それなのに、友人たちの怒りは、確実に記事を書いた長谷川に向かっていた。


「ねぇ、姫奈。放課後、新聞部に抗議しに行こう!」

「え?」

「このままじゃ、絶対ダメだって! ほっといたら、次は何を書かれるかわからないし!」

「ま、待って……抗議なんて、そんなことしないで……っ」

「何言ってんのよ! 姫奈は優しすぎるの! そんなだから、アイツら付け上がってるんだよ! うちらも一緒に行くからさ、みんなで、ガツンと言ってやろう!」

「ねー、なになに? どうしたの?」


 すると、今度は、隣の席でお弁当を食べていた男子グループが話しかけてきた。


「休み時間に貼りだされてた新聞部の記事。デマだから、放課後、抗議しにいこうって話してるの!」

「え!? あれデマなのかよ!?」

「マジで!? あーでも、なんか、そんな気はしたんだよなー。いくらなんでも結婚って、おかしいと思ったぜ」

「姫奈に彼氏が出来たから、スクープきどりで飛びついたんだろうけど、いくらなんでも酷いよね」

「ホント! しかも、相手は矢神でしょ? あんな地味なやつ相手に、姫奈が結婚まで考えるわけないっての!」

「ていうか、未だに矢神と付き合ったって話が、信じられないんだけど?」

「それな! もしかして、付き合ったって話もデマ!?」

「ねぇ、何かあったの?」

「あの新聞部の記事、嘘なんだって。碓氷さんたち、抗議しに行くみたい」

「え、そうなの~」


 ひとつのグループから、次のグループに広まって、その話は一気にクラス中を駆け巡った。その光景に、姫奈の肩は震わせる。


 長谷川は、何も悪いことはしていない。確かに、多少、強引なところもあったが、掲載するのに許可も取りに来てくれたし、あの記事の内容も、自分たちの恋を祝福する優しい内容だった。


 それなのに──


(お願い、やめて……っ)


 その長谷川が責められる──そう理解した瞬間、不安と罪悪感でいっぱいになった。


 ちゃんと言わなきゃ。

 あの記事は、嘘じゃないって──


「ねぇ、みんな聞いて……!」

「よーし、じゃぁ放課後一緒に、新聞部に乗り込む人ー!」

「はーい、俺いく」

「私も行く!」

「少しでも人数は多い方がいいよね! 姫奈のためなんだし!」

「……っ」


 だが、その姫奈の声は、あっさりかき消され、姫奈のためにと広がった"善意の輪"は、瞬く間に膨れ上がり、新聞部の長谷川を目の敵にしていく。


「ていうか、今から直接、長谷川さんに抗議しに行ってもいいんじゃない?」

「あー、まだ時間あるしね」

「嘘つく方が悪いんだし!」

「やっぱり、書いた本人、懲らしめなきゃ意味ないよね?」

「……っ」


 目には、じわりと涙が溜まっていく。一致団結した友人たちは、姫奈の気持ちを勝手に決め付けていた。


 そして、それは、あの時と同じだった。

 橘くんが好きだと勘違いされた、あの時と──


 だけど、悪いのは、全部自分だ。

 自分が、はっきり言えなかったせい。


 皇成を好きだと言えなかった、弱い自分のせい。


 そして、それは今も変わらない。長谷川を守りたいのに、こんな弱々しい声じゃ、全く歯が立たない。


(やめて……やめて……っ)


 必死に叫んだ。だけど、もっと声を出さなきゃいけないのに、身体が萎縮して、うまく声が出せない。


 なんで、こんなに変わっていないのだろう。


 はっきり言えない、自分が嫌だ。

 間違った選択ばかりするダメな自分が、大嫌い。


 もう、後悔なんてしたくない。

 もう、誰も傷付けたくない。


 だけど、ここで長谷川を守れなければ、また後悔するのだろう。


 幼い日のように、間違った選択をした自分を、一生、責め続けるのだろう。


(言って、言わなきゃ……!)


 声は出さなきゃ、伝わらない。

 それなのに、声がまったく出ない。まるで、喉を締めあげられているかのように、呼吸すらも苦しい。


(……っ……なんで……っ)


 今にも、涙が溢れそうになって、姫奈はきつく唇をかみ締めた。


 お願い、お願い、お願い……!


 長谷川さんは、悪くないの!

 みんなに責められる必要なんて、全くない!


 あの新聞には、真実しか書かれてない!


 あの記事は、あれは──



「────あれは、嘘じゃない!!」

「……!?」


 だが、その瞬間、声が響いた。


 教室のざわつきを一瞬にしてかきけすような、強くハッキリとした声。


 その声に、クラス中の生徒が静まり返り、姫奈は、ゆっくりと顔を上げた。


 涙目のまま、教室の入口をみつめる。

 すると、そこには


「あの新聞には、何一つ、嘘なんて書かれてない」


 そう言って、酷く真剣な表情をした、皇成が立っていた。

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