第16話 日常と誘惑


 一方、皇成は、朝の優雅なひと時を迎えていた。

 

 オムレツにスープに、フランスパン。母の手料理を前に、弟と一緒に朝食をとる。ちなみに父は、もう仕事へ行き、母はあっさり食べ終わり、今は二階で洗濯物を干している。


 そして、皇成は、こんがりと焼き色のついたフランスパンをモフモフと頬張りながら、昨日のことを考えていた。……というか、昨日帰宅してから、夕飯を取る時も、お風呂に入る時も、ベッドの中でも、頭の中は、ずっと姫奈のことばかり考えていた。なぜなら


(まさか、俺以外にも矢印が視える人間がいたなんて……)


 今まで、矢印が視える人間に会ったことは、一度もなかった。しかも、姫奈は後天的に、この力を得ていた。今思えば、どうして自分には、矢印が見えるのだろうか? そんなこと、考えたこともなかった。


 だが、不思議な力というのもは、世界には無数に溢れているもので、霊能力や予知能力、はたまた怪奇現象からUFOにいたるまで、考え出せばキリがない。


 だが、身近な人間にいなかったせいか、戸惑いはあった。


 それも、あの姫奈が、そして、その姫奈は、なんと矢印によって、自分を結婚相手まで選んでしまったのだ。


(つーか、告白される度に聞いてたってことは、矢印様が俺以外の男をさしたら、そいつと付き合ってたってことだよな?)


 そう考えたら、途端にムシャクシャしてきた。


(だいたい、結婚相手まで矢印で決めるか、普通! 結婚って、もっと愛があってするものだろ! ……あ、でも、碓氷さんの矢印が俺をさしたってことは、俺と結婚したら、碓氷さんは幸せになるってことなのか?)


 そう考えたら、ちょっと嬉しい。好きな子を幸せにできる。それは、男としては、とても誇らしいことだ。だが、自分の矢印には、姫奈には向かってない。これは、どういう事なのか?


(碓氷さんは、幸せになれるけど、俺は不幸になるってことか? 滅茶苦茶、尻に敷かれるとか?)


 いや、でもありえない話ではない。見た目はめちゃくちゃ可愛いし、付き合ったらきっと、誰もが憧れる理想の彼女になるだろう。


 だが、思い出せ! 昨日のアレを!

 見た目は可愛いが、中身は、とんでもない小悪魔だ!


(デートしようって言われたけど、どうしよう……)


 その後、皇成はコーヒーを飲みながら、うーーーーんと、ひたすら考え込む。


 ぶっちゃけると、デートはしたい。


 あんな可愛い彼女を連れてのデート。きっと最高のデートになるに違いない。だけど、これ以上深入りしたら、どうなるか……?


(うーん……矢印様には『別れろ』って言われてるし、やっぱり別れた方がいいよな?)


 まず、矢印で選ばれたのが釈然としない。……とはいえ、あのに、ご挨拶してしまったから、すぐには別れられない。


「兄貴、なんかあった?」


 すると、ずっとしかめっ面だからか、隣に座っていた優成ゆうせいが、首を傾げながら、問いかけてきた。


 なんかあった?――と聞かれたら、そりゃ、あった。昨日の一日で、碓氷姫奈の彼氏だと学校中に広まり、鮫島や他のリア充どもには喧嘩を売られ、挙句の果てに、矢印で結婚相手に選ばれ、ちょっと怖いお兄様に挨拶までさせられた。


 なんか、思い出したら、めちゃくちゃ色々ある!!


 だが、彼女が出来たことは、まだ家族には話してないし、矢印様のことも話せない。皇成は、一旦普段通りを装うと


「別に、なんもねーよ」

「ふーん。ならいいけど……つーか、なんもねーなら、そんな顔すんなよ。失恋でもしたのかと思った」

「…………」


 弟よ。兄ちゃんだって悩むことはあるんだ。

 あと、失恋はしてない。むしろ、その逆だ。


 そして、本来なら今頃、あはは~ウフフ~なお花畑モード全開で、バラ色の人生を噛み締めていただろうに、どうしてこうなった!?


「あ、そうだ! 俺、昨日、やっとボスを倒したんだ~」


 すると、今度はゲームの話か、優成が得意げに、話しかけてきた。そして、その普段とかわらない光景に、皇成は、ほっと息をつく。


 家の中だけは、今もなにも変わらない。

 穏やかで、平凡で、幸せで――


「へー、あれ倒せたのか。やっぱ、お前勇者だわ」

「な! スゲーだろ~……て、それ本気で言ってる?」

「言ってねー」

「はぁ!?」

「あはは!」


 優成を茶化しながらも、今の日常を噛みしめる。

 実を言うと、昨日から、ずっと考えていた。

 

 もしも、このまま碓氷姫奈と付き合い続けていたら、この家族との生活も変わってしまうのだろうか?


 この穏やかな日常を、姫奈は『不自然すぎるくらい平凡』だと揶揄やゆしていた。


 だが、皇成も、その通りだと思った。


 父が、転職先で悩んでいた時は、いい就職先がどっちかを、矢印様に聞いて助言してあげた。


 母が旅行に行くか、行かないかで迷っていた時も、行かない方を選択し、事故を回避させることができた。


 弟が、友達とケンカして疎遠になりそうになった時は、どんな言葉をかければ仲直りできるか、こっそり教えてあげた。


 自分が、常に平凡で穏やかなままでいられるのは、も、同じように穏やかに暮らしているから。

 

 これまでの人生、皇成は無意識に幸運を手繰り寄せ、危険や災いを回避しながら、生きてきた。


 だけど、もしその皇成が、この先、不幸になってしまったら、この家族の日常も、変ってしまうのかもしれない。


 自分の選択しだいで、家族の未来が変わる場合がある。それを考えると、下手な選択は出来なくなる。


 何気ない日常は、ほんの些細な変化で、あっさり崩れ去る。


 それを思えば、姫奈の言っていた通り、平凡でい続けるということは、案外、簡単なことではないのかもしれない。


(じゃぁ、やっぱり、これ以上は関わらない方がいいよな?)


 今の生活を守るなら、碓氷姫奈と関わらないのが一番……なのだが


(……けっこう……大きかったな)


 ふと、姫奈の胸に触れた時の感触を思い出した。


 着痩せするタイプなのか、ブラウス越しに触れたそれは、思っていた以上に大きく、そして、想像以上に柔らかかった。


(アレは……かなり厄介だ)


 よくぞ持ちこたえた、昨日の自分。そう称賛してしまいたくなるくらい、アレは魅惑的なおっぱいだった!


 ただでさえ、好きな女の子に、それもあんなにと積極的に迫られたら、正直、次は持ちこたえられる自信がない。


 だが、手を出したが最後『責任取って結婚してね♡』と言われるのは確実!

 

(もう、こうなったら、あの方法しか……っ)


 早急に何とかしなくては――と、皇成は、ある決意を固めた。


 こちらから別れると言っても聞かないのだ。ならば、


(……もうなったら、別れたくなるような最低男を演じて、思いっきり振ってもらうしか……っ)

「兄貴、本当に悩みないの? さっきから百面相がスゲーけど」

「え!?」

 

 ――ピンポーン!


 だが、その時、突如インターフォンが鳴り響いた。



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