第4章 彼氏と彼女の攻防戦

第15話 本当に好きな人


 ――11月24日。クリスマス一カ月前。


 姫奈は、いつもより気合を入れて、朝の準備に取り掛かっていた。


 新品の下着をつけ、アイロンのかかった真っ白なブラウスに袖を通すと、学校指定の赤と紺のプリーツスカートをはいて、首元にはリボンをつけた。


 制服の上着は、まだ羽織らず、そのままドレッサーの前まで移動すると、姫奈は鏡を見つめながら、髪を整え始める。


 腰まで伸びた長い髪。それを、くしで丁寧にいていく。

 

 ちなみに、ミルクティー色のこの髪は、決して校則違反ではない。この明るい髪の色は、ロシア人の曾祖母から受け継いだものだ。

 

 人より細くて色素の薄いその髪は、とてもたおやかで美しく、その上、色白の肌と相まって、姫奈はとても品のある女の子に成長していた。


「……今日の髪型、どうしようかな?」


 下ろす? それとも、まとめる?


 姫奈は、鏡の前でしばらく悩むと、その後、ハーフアップにしようと決めたらしい。サイドの髪を丁寧に編み込み、普段よりも、一段と清楚な感じで髪をまとめ上げた。


 そして、立ち上がり、ブレザーの上着を着て、身だしなみを整えると、姫奈は再び鏡の前に立ち、鏡に中にいれ自分を見つめた。


「うん、こんな感じかな?」


 ニッコリ笑って、上出来!とばかりに、自分に微笑みかける。


 だが、制服姿の自分を見た瞬間、姫奈は、またもや昨日の事を思い出した。


 昨日の夕方、この部屋で、皇成と二人きりになった時のことを……


(っ……私、すごいことしちゃった)


 自分から制服をぬいで、異性に迫るなんて、我ながら大胆なことをしてしまった。だが、あの時は姫奈も必死だった。


 諦めていたはずの恋が、やっと叶ったのだ。だからこそ、絶対に手放したくないと思った。


(皇成くんの手……大きかったな)


 昨日、新聞部から、手を繋いで一緒に逃げた時も、そう思った。


 自分よりも大きくて、角ばった手。


 それは、もう子供の手ではなく、男の子の手になっていて、その手で胸の触れられた時の事を思い出すと、姫奈は再び、顔を真っ赤にする。


(ッ……どうしよう。あんなことして、いやらしい女の子って、思われてないかな?)


 ちょっとばかり、不安がよぎる。


 もちろん、誰にでも、あんなことをするわけではないし、あれは相手が皇成だったから。だが、皇成のあの態度からすると、明らかに、何か誤解している気がした。


 姫奈は、ふと思い立ち、そのまま机の前まで足を運ぶと、一番上の引き出しの中から、一枚の写真を取り出した。


 その写真に、写っているのは――たちばな 隆臣たかおみくん。


 小学生の頃より少し大人っぽくなった橘くんは、赤毛の髪にスラリと背の高いイケメン君で、小学生の時は、橘くんが転校すると聞いて、ショックを受けていた女子もいたくらいだった。だけど……


(私が、橘くんを好きって話、皇成くんも知ってたんだ……っ)


 写真を握りしめ、姫奈はキュッと目を閉じた。


 皇成に『まだ、橘くんのことが好きなんじゃないのか?』そう言われた時は、ショックでしかたなかった。


 だが、こうなってしまったのは、全部、自分のせいだ。


 あの日、自分がから……



「ほんとに……ダメだなぁ、私……っ」


 いつも肝心な時に、ダメな方ばかり選択してしまう。そして、そのせいで、姫奈は今まで何度と後悔をしてきた。


 昨日だって、ちゃんと否定しなくてはいけなかったのに、ハッキリと言えなかったばかりに『今も、橘くんが好きだ』と誤解されてしまった。


(はぁ……せっかく矢印様がついてるのに、いつも、から回ってばっかり……)


 深くため息を吐くと、姫奈は再び、その写真を見つめた。


 幼い頃、姫奈は、とても大人しい女の子だった。人見知りが激しく、引っ込み思案で、言いたいことを上手く口にできないタイプの女の子。


 だけど、そんな姫奈が、唯一気楽に話せたのが──皇成だった。


 同じ市営住宅に住んでいて、同級生だったのもあり、二人は赤ちゃんの頃から、よく顔を合わせていて、まるで兄妹みたいに過ごしてきた。


 だけど──


『姫奈ちゃん。ちょっと大事な話があるんだ』

『……え? 大事な話?』


 小学一年生の時、矢神家は家を建てたため、市営住宅から引っ越すことになった。


 ずっと一緒にいたはずの幼馴染は、それから、あまり遊ばなくなって、そして、二年生でクラスが別れてからは、話す機会もなくなり、いつしか『姫奈ちゃん』と呼ばれていたはずが『碓氷さん』と呼ばれるようになった。


 でも、それでも姫奈は、よく皇成のことを目で追っていた。


(皇成くん……今日も橘くんたちと一緒なんだ)


 皇成は、あまり友達が多い方ではなかったが、少ないながらも、友人にはとても恵まれていた。


 特に、今でも仲の良い武市たけち 大河たいがと、その友人である橘くんとは、よく一緒にいる姿を見かけていて、仲が良いのが伺えた。


 だけど、皇成と、たまに目が合えば、なぜか皇成は、すぐに姫奈から目を逸らしてしまい、姫奈は、いつしか『皇成に嫌われてしまった』と思うようになった。


 だけど、そんな時、クラスに、ある噂が流れた。


『ねぇ、姫奈ちゃんって、のことが好きなんでしょ?』

『え?』


 寝耳に水な話に、姫奈は驚いた。なぜなら、姫奈が好きなのは、橘君ではなく、皇成だったから。


『え、なんで、私……』

『誤魔化さなくていいよ。いつも橘くんのこと見てるの知ってるんだから!』

『……え?』


 友人たちの話によると、姫奈が、いつも、好きなんだろうと言う話だった。


 だが、皆が、そう誤解するのも無理はなかった。


 姫奈が見ていたのは、皇成だったが、その皇成は、よく橘くんの隣にいたから。


(あ、どうしよう……私が好きなのは……っ)


 ハッキリ言わないと――そう思った。

 

 だけど、もしかしたら、嫌われているかもしれない。そう思うと、その場で『皇成が好きだ』とは言えず、結局、姫奈がはっきりと否定しなかったことで『橘君が好き』という噂だけが広がっていった。


 そして、その時のことを、姫奈は今でも後悔していた。

 

 どうして、あの時、しっかり皇成くんが好きだとは言わなかったのかと—―


「このままじゃ、ダメだよね……」


 姫奈は、手にした写真をカバンの中に詰めると、改めて決意する。


(まずは、この誤解を、しっかり解かなきゃ……!)


 しっかり解いて、ちゃんと分かってもらおう。


 私が好きなのは



 ずっとずっと、皇成くんだけだって――

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る