第36話 辿る道

 背後で扉が閉まった音が聞こえた。部屋から一歩外に出れば地下特有のひんやりとした風が体をなでる。


 このまま、まっすぐに行けば地下街へ上る階段へと続くはずだったが、モーリッシュたちは階段前で道を折れ、違う道筋をたどり始めた。


(地下道? バロンの元へは地下道で行くの!?)

 

 てっきり一度上に上がると思っていたアレクは意表を突かれ、戸惑いを隠せない。


 目隠しはしたままだったし、その表情は読み取れるものではないが、その気持ちを読んだようにモーリッシュは甲高い笑い声を響かせた。


「驚いただろう? この地下街のにさらに下があるなんてね。この地下街は、もともと初代のスタローン国王が戦時中に地下へ逃げ道を作ったことが始まりでね。上の建物のほとんどはその名残りなのさ。その王の後を追って他のやからが真似ごとを始めたんだけど、おかげでここは蟻の巣穴のようになってしまっていてね。地下にいくつも道があるんだよ。いまではほとんど使われていないけどね」


 楽しそうな笑い声をあげながらそう語るモーリッシュの後を追い、何度も勾配のあるぐにゃぐにゃとした道を歩み続けて、さすがのアレクもモーリッシュが足を止めた頃には方向感覚を失ってしまっていた。


 なんとかバロンのアジトまでの道筋を覚えたかったが、目隠しをされた上にこの道では無理そうだ。


 内心で大きなため息をついたアレクの前でモーリッシュが声をあげる。


「わたしだよ。開けてくれ」


 コンコンとノックした音は硬い金属音だった。モーリッシュが声をかけるとドアは開かれ、目隠しをしていてもわかる光量が目に飛び込んでくる。


「待っていたぞ」


「やあ、バロン。連れてきたよ。だけどまだ渡せないからね。朝には返してくれよ」


「ああ。まさかアレクがまたここに来るとは思ってなかったもんでよ。資金が足りねえんだ。いま取りに向かわせてるから、明日には払える。今夜の分は払ったからいいだろうが」


「もちろんさ。払うものを払ってくれれば、なんの文句もないからね」


(資金……)


 アレクは心の中でつぶやく。


 そうか。バロンはマーリナスに捕まったとき、あらかた財産も押収された。悪人から押収した財産は国のものとなるが、逃亡資金がまだどこかに隠してあったのだろう。だがおそらく、予備資産であるその金はたいした額じゃない。


 そこにアレクが現れたことで、再び買い戻すためにさらに資金が必要になったというわけだ。


 だけど……


『取りに行かせている』ということは、ここではないどこかに他の隠し財産があるということになる。国外逃亡するつもりなら、初めから全部持ってくればそんな手間はかけずに済んだはず。


 金に汚いバロンが財産を置いて逃亡するなんて考えにくい。ならば、でる答えはひとつだ。


(また戻ってくる気だったのか!)


『上層の人間はいい顧客だったが……』


 バロンの言葉を思い出し、アレクは確信する。上層と下層の不可侵が暗黙のルールとなっているこの国は、地下街で成功したものにとって、どこよりもおいしい環境にある。


 マーリナスも上層からの異議申し立てでバロンを釈放したといっていたし、バロンにとっては影なる後ろ盾をもつ国なのだ。ほとぼりが冷めたころにまた戻ってくるつもりなのだろう。


 しかし、そんな財宝を一体どこに隠しているのか……


 思案にふけっていたアレクの頬を前触れもなく、なにかがかすめた。


 ハッと我に返ったアレクの目隠しがはらりと地に落ち、突如開かれた視界に飛び込んできたのは紫色の輝きがちらちらと見え隠れするバロンの眼。


「久しぶりに今夜はたっぷりとかわいがってやる」


 にやりとした笑みを貼りつけ、愛おしそうにアレクの頬に指を滑らせるバロン。こぶしを握りしめ、アレクはこくりとのどを鳴らした。


 こんな夜にはロイムがいてくれたのに。


 今夜はひとりで乗り越えなければならない。


『決して無理はするな』


 心配そうな瞳を向けたマーリナスの姿を思い出しながら、差し出されたバロンの手を取りアレクは心の中でつぶやいた。


 ――ごめんね、マーリナス……





 


 翌朝。ただひたすらじっとしてアレクの帰りを待ちわびていたケルトの耳にドアが軋んで開く音が届く。


「今夜また迎えにくるからね。それまで大人しくしてるんだよ」


 モーリッシュはそう告げるとアレクの目隠しを外し、トン……と部屋に向けて背中を押すと再びドアを閉ざした。


「アレク様? ご無事ですか?」


「うん、ケルトはなにもなかった?」


「わたしはなにも。それよりもアレク様の方が心配です」


「僕は平気だよ。ピンピンしてる」


 目隠しで視界を閉ざされたケルトにはアレクの口調で物事を推し量るしかすべがないが、それは幸運なことだったといえるだろう。


 やわらかな視線をケルトに向けて隣に腰を下ろしたアレクの首筋や、はだけた衣類からのぞく肌のところかしこに、バロンから受けた愛印が刻まれていたのだから。

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