第35話 一日目の夜

 バロンの屋敷を隅々まで探索し、もぬけの殻であることを確認したロナルドは早々に屋敷を後にし、地上へと戻っていた。


「バロンが屋敷にいないだと」


 頼みの綱であったロナルドからの悲報に、マーリナスは目眩を覚えて一歩後ろによろめいた。そんなマーリナスを支える大きな手がある。


「おっと。大丈夫ですかな、マーリナス殿」


 ベローズ王国警備隊長、ギル・シチュアートだ。


「少しやっかいなことになってきましたな。バロンの足取りを追えないとなると、アレクを見失った辺りに探索班を向けるだけになるが、大勢を差し向けるわけにもいかん。探索班だけでどうにかなればよいのですがな……」


 そんなギルの声はマーリナスの耳には遠く聞こえていた。


 アレクの身になにか起きるのではと常に不安を抱えていたのに加え、足取りをつかむ手がかりがほとんど消えてしまったのだ。


 いまアレクがどこにいるのかもわからず、なにをしているのかもわからず、助け出すことさえかなわない。


 もしこのまま二日が経過してしまったら。いや二日で済むのか? もしこのまま見つけられなかったら?


 そんな不安が大波のようにマーリナスに襲いかかり、周囲の音など耳に入ってこなかった。


「マーリナス隊長」


 だが、ぽんと肩に手を置いて声をかけたロナルドの声にマーリナスはハッとして顔をあげる。


「すでに増援は送りました。あとは追跡班からの報告を待つしかありませんが、他にも少し気になることが」


「……なんだ」


「バロンの屋敷です」


「もぬけの殻だったのだろう」


「ええ。ですがバロンの屋敷に勤めていた使用人までもが一斉にいなくなっているのです。その数は十じゃきかない。それだけの大所帯で地下街を動き回ればさすがに目につくし、噂になるでしょう」


「解雇したのではないのか」


「それはどうでしょう。居住を移し替えたのなら側仕えは必要ですし、警戒心の強いバロンは身の回りには信用のおけるものしか置かないはず。やすやすと解雇するとは思えませんね」


 この含みのある物言い。答えの照らし合わせを狙っているのは明らかだ。だがそのおかげで、あたまを回し始めたマーリナスは徐々に冷静さを取り戻していく。そしてたどりついた答えは。


「目につかないルートがあの屋敷のどこかにあると?」


「あくまで可能性の話です。ですが、探索班を送ってみてはいかがですか」


「アレクを見つける可能性が高まるならば、やらないという選択はないな」


 そう決断したマーリナスにロナルドはにっこりと笑みを浮かべた。もう大丈夫だ。そう胸をなで下ろして。


「わたしは一度、追跡班と合流してから屋敷に向かいます」


「わかった。ロナルド、警戒は怠るなよ」


「当然です。それではまた後ほど」


 うなずきを返して地下街へ続く階段に姿を消していくロナルドにマーリナスは小さくため息をつく。


「また礼を言いそびれたな」


 つかの間の動揺を見逃さず、安易な言葉はかけずに冷静さを取り戻させる男はロナルドくらいしかいないだろう。そういったあの男の機微にはいつも助けられる。


「だが感謝の言葉をいうにはまだ早いな」


 そうだ。まだ自分にはやらなければいけないことがある。


 マーリナスは表情を引き締めると、次の指示を出すために動き出した。







 その夜――


 床に転がったノーランの死体から目をそらし、ケルトと肩を並べて座るアレクの前で錆びついた金属音を立ててドアが開かれた。


 そこに姿を現したのは剃り上げたあたまに黒いターバンを巻いた、異国風の衣に身を包んだ細身の男。その後ろには自分たちを捕らえたノーランの相方が控えている。


「モーリッシュ……」


「やあ、アレク。またきみに会えて嬉しいよ」


 ドアに寄りかかりターバンの裾をねじって遊びながら、モーリッシュは口元に笑みを浮かべた。


「べイン、あいつに目隠しをしなかったの? 危なく目を合わせるところだったじゃないか」


「しました。バロンさんが来られたときに外されてしまったようです」


「バロンの奴は困ったもんだね。そんなにこの瞳が好きなら、くり抜けばいいのにさ。ああ、違うね。あいつは子供が好きなんだ。綺麗な子供がね。ベイン、あいつの目を見ないように目隠しをしておいで。決して目を合わせちゃいけないよ。そこのノーランのようになっちゃうからね」


「……わかりました」


 モーリッシュの横をすり抜けてベインは床に転がるノーランの死体をまたぎ、アレクの後ろに回ると再び目隠しを結んだ。


「てめえ、ノーランになにをしやがった」


 背後から怒気をはらんだ声で耳打ちされ、アレクはごくりとのどを鳴らす。だが返事は返さず、うながされるままにゆっくりと立ち上がった。


「アレクさ……」


「大丈夫だから。ケルトはなにも心配しないでここで待っていて」


 顔だけをケルトに向けてアレクは笑ってみせる。


 その後、足の拘束を解かれて歩けるようになると、ベインが手首に結ばれた縄を引っ張って部屋の外へとアレクを誘導し始めた。

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