第12話 陽だまりに満たされて
部屋に差し込む薄明かりが次第に眩しさを増して、閉ざしたまぶたの裏を照らし始める。
眩しさに耐えきれず薄くまぶたを開くと、まだぼんやりとする意識の中、ギィ……とドアの軋む音が届きパタンと軽い音を立てて閉まったのが目に入る。
ドアが閉じる瞬間、隙間からチラリと見えた制服。
(あの後ろ姿は――マーリナス?)
半分寝ぼけたまま、アレクはベッドから身を起こした。
体調は悪くない。昨日あのまま寝てしまったんだな……そう思いながら、昨夜のマーリナスとのやり取りをぼんやりと思いだす。
次第に覚醒する意識で、ひとつひとつ記憶をさかのぼるアレクの顔が徐々に赤みを帯び、最後には火が出そうなほど真っ赤になった顔を両手で覆い隠してあたまを抱えると、アレクはその場にうずくまった。
「あんなことを頼むなんてどうかしてる……」
いままではバレリアの呪いにかかってしまった相手が求めてきたから、アレクはそれを受け止めるだけでよかった。
すべてを呪いのせいにして、自分にも必要だと納得させて。偽物の感情に突き動かされる人間といくら唇を重ね合わせても、感情が動くことはなかった。
ロイムのことは好きだったが、やはりバレリアの呪いがなければ口づけを交わすことはなかっただろう。
呪いの上に成り立つ行為。それは嫌悪すべき行為だが、それゆえにアレクは割り切ることができていたのだ。
だけど呪いの影響下にない人にキスを求めるなんて初めてで、どんな感情を持ち合わせていいかわからない。
感謝の気持ちは当然あるが、思い返すほど恥ずかしさがこみあげてくる。
だけどわかっている。マーリナスは呪いにかけられた自分を憐れみ、人命救助のために仕方なくなく行っただけにすぎないのだと。
「変に意識する方がおかしいよね」
アレクはパンパンと軽く頬をたたくと、手ばやに身支度を整えてダイニングに向かった。
ダイニングには珈琲のこうばしい香りがただよい、湯気の立つ珈琲カップに口をつけているマーリナスの姿がある。
その姿を見た瞬間、せっかく落ちつけた顔に熱がこもるのを感じてアレクはあわてて視線をそらすと、ためらいがちに口を開いた。
「おはようございます」
「ああ、おはよう。体調はどうだ」
「問題ありません」
「そうか」
そう短く返したマーリナスは視線を珈琲に落としたままだ。気まずい雰囲気を感じながらも、アレクはマーリナスの隣に腰をおろす。
「今日は少し遅くなる」
「はい」
「なにか欲しいものはあるか」
「いえ……特にありません」
いつものやり取りのあと、マーリナスが出かけた後の家はしんと静まり返り、奥の方でメリザが食器を洗っているのか、水の流れる音だけがかすかに聞こえてくる。
唯一耳に入るその音を聞きながらアレクは階段をのぼって自室へ戻ると、ベッドに腰かけて窓を見上げた。
雲一つない澄み切った青空と、通りを行き交う人々の喧騒が遠く聞こえる。
この呪いを受けてから、アレクは周囲に人間がいることを恐れて生きてきた。
住む場所もなく流れるままに放浪する生活の中で、できるだけ目線を伏せて誰とも目を合わせないように気を遣った。それでも完璧にはいかなくて、ふとしたときに誰かと視線が合ってしまう。
視線が合った人たちはみな、熱に浮かされたように潤んだ瞳をアレクに向けると姿を追いかけて愛を告げ、口づけを求めた。もちろんそれ以上のことを望む人だっていた。
見知らぬ人とそんなことをするのは当然いやだった。だけどそうしなければ生きられず、心を閉ざして甘んじて受け入れた。ときには生きるためにわざと視線を合わせたこともある。
そんな体の交わりを繰り返す自分の生き方は、まるで男娼のようで吐き気がした。終わりのない闇の中をいくつもの手に絡め取られて歩む道のり。そんな生き地獄の中、一条の光がさしたのだ。
バレリアの呪いを恐れず自分を家に招き面倒をみてくれて、呪いの対策も講じて面と向かって話してくれる。呪いの影響を受けなくてもアレクのためにキスをしてくれる優しいひと。
呪いの影響を恐れずに会話できるひとは初めてて、久しぶりに感じた安堵感に心が満たされる。
「早く……帰ってこないかな」
まだ出かけたばかりだというのに寂しさがこみあげてきて、アレクはベッドに横たわるとそっと目を閉じた。
(僕にもなにか恩返しできることがあればいいのに……)
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