第11話 呪いの代償
「なんでもありません」
「そんなはずがないだろう」
だがアレクは額に湿った汗を浮かべたまま押し黙ったままだ。
マーリナスは深く息をつくとアレクを横にして抱え上げた。その時また、ふわりとした甘い花の香りが鼻腔をかすめる。
「な……何をするのですか!」
「ベッドまで運ぶ。そのあとは医者を連れてくる」
「自分で歩けます!」
「立っているのもつらそうだが」
あわててマーリナスの首にしがみついたアレクは目を白黒させて叫んだが、マーリナスは顔色ひとつ変えずに淡々といってのけると足早にアレクを抱えたままベッドに移動し、いたわるようにそっと横たわらせた。
「じ……自分で歩けるといったではありませんか」
口元を押さえて耳まで赤く染め、恥ずかしそうに顔をそむけたアレクにマーリナスは思わず微笑みを浮かべる。
確かにいくらアレクが女性とみまがうばかりの美貌の持ち主だとしても男なのだ。同性に抱きかかえられるなど、プライドに関わるのかもしれない。
「そう恥ずかしがるな。具合が悪いのだから仕方がないだろう。医者を呼んでくるから寝ていろ、いいな?」
くすくすと笑いながら立ち上がったマーリナスの袖をアレクはあわててつかみとめる。一度背を向けたマーリナスは少し驚いたように振り返った。
「ん? どうした」
「医者は……必要ありません」
「だが……」
「これがバレリアの呪いなのです」
「なんだと?」
マーリナスの眉がぴくりと跳ね上がる。
バレリアの呪いについて、多くの情報は
マーリナスは緊張に顔をこわばらせ、問いかける。
「どういうことだ」
「バレリアの呪いについて有名なのは、この瞳に魅入られたものが死ぬまで心を奪われるというものですが、実はその呪いを宿したものには代償がつくのです」
禁術に代償はつきもの。それは魔法や魔術を学んだことがあるものならば、誰でも知っていることだ。
術の効果が高ければ高いほどその代償は高く、かつて永遠の美を求めた美姫が毎日若い娘の生き血を飲み続けなければ、即座に灰と
それほど魔術というものは恐ろしく、三代前のウォーク王はバレリアの呪いによる紛争をかえりみて魔術を廃止とした。そのため、いまでは魔術師というものは存在しない……はずだったのだが。
「バレリアの呪いの代償か。聞くのが恐ろしいな。だがきみを保護している以上、聞かないわけにもいかないだろう。わたしにできることがあれば力になろう。話してくれ、アレク」
マーリナスはベッドサイドに腰を下ろすと、深い海底のような群青色の瞳をまっすぐにアレクに向けた。そこに恐怖の色はなく、ただアレクを心配しているように見える。
アレクはしばらくの間、躊躇うようにその瞳を見つめていたが、ひとつ大きく息を吸うと意を決したように口を開いた。
「僕はこの身に愛を受けないと死んでしまうんです」
マーリナスは返す言葉がなかった。驚いた……というのも、もちろんあるが正直にいってその言葉の意味が理解できなかったからだ。
「すまない……つまりそれは、どういう意味なのだ?」
真顔でたずねたマーリナスにアレクは再び顔を赤らめる。
「つまりその……愛情表現ということです。男女間でおこなうような……」
「男女間でおこなう愛情表現? それはあれか、キスとかそういった……」
茫然としてさらに言葉を重ねるとアレクは湯気でもでそうなほど顔を赤らめた。それが肯定の意思表示であると悟ったマーリナスは思わず口元を押さえこんで顔をそむけると、ぼそりとつぶやいた。
「まいったな」
男女間でも挨拶代わりに頬にキスをすることはあるが、仕事一筋で生きてきたマーリナスには口づけの経験がなかった。さきほどアレクの美貌に心揺さぶられたばかりだというのに、意識した途端に再び胸の鼓動が強くなり始めたことにマーリナスは動揺を隠しきれない。
「すみません」
「いや、きみが謝る必要はない」
アレクとて好きでこのようなことになったわけではない。これが呪いの代償というなら、仕方のないことだと理解はできるのだが。
動揺するマーリナスの前で、アレクの顔がすっと血の気を失っていく。
「おい……大丈夫か」
「もう三日誰からも受けていなかったので、そろそろ限界みたいです」
青ざめた額を汗で湿らせ、力なく笑ったアレクにマーリナスは息をのむ。薔薇がほころんだような赤い唇は、いまや顔と同じように血の気を失って青みがかっている。このままでは本当に死んでしまいそうだ。
こくりとのどを鳴らして意を決するとマーリナスは口を開いた。
「目をとじろ」
意識が朦朧とし始めたアレクは、まぶたの重みに引きずられるように目をとじた。緊張した面持ちでマーリナスがベッドに腕をつくと、ぎし……とスプリングが軋む音を立てる。眼下で眠るように目をとざしたアレクの顔はこの世のものとは思えぬほど美しい。その顔に近づきながら壊れそうなほど高鳴る胸の鼓動を抑えつけ、マーリナスはそっと唇を重ね合わせた。
「……これでどうだ。大丈夫そうか」
ほんの数秒重ね合わせた唇を離してマーリナスが問いかけると、アレクは目をとじたまま「はい」と消え入りそうな声で答え、静かな寝息を立て始めた。
「寝たか」
マーリナスは安堵の息をはく。心臓は未だに壊れそうな程はやく、元通りになるにはしばらく時間がかかりそうだ。
それでも寝息を立てるアレクの顔色は徐々に赤みを取り戻し、しばらくすると先ほどの病的な青さは見る影もなくなった。効果が現れたのだろう。
「三日でこれとは……」
症状が落ち着いたことに安堵しつつも、マーリナスはあたまを抱えながらアレクの部屋をあとにしたのだった。
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