呪縛

 12月20日(木)

塚本は署の近くにある、小さな定食屋に来ていた。昼間はサラリーマンが店内を埋め尽くす、客の多い店だった。

 塚本も外出していない時や弁当を買わなかった日の昼にはよく来る店だった。今日は生姜焼き定食を注文した。780円という価格の割にボリュームがあり、味噌汁もついていた。

 完食した後、楊枝を口に咥えながら携帯電話を見つめていた。塚本は、フランチェスコ・アイエツについて調べていた。

 様々な作品が紹介されている中、画面を下にスクロールしていくと、彼が好きだと言っていた「 復讐の誓い 」が出てきた。

 それは、2人の女性が密着して立っている絵だった。右側の女性は仮面を被り、手元に手紙を隠し持っている。その女性に顔を背けている女性が左側に描かれていた。

 絵画の解説を読み、塚本は考え込んでいた。密告による復讐を誓う様子を描写した作品と書かれていた。

 塚本にとってはその解釈よりも、嘘を囁かれ、それを拒絶する女性の様子が描かれているように見えた。

 絵画なんてものは、見る人によって捉え方が違うものかもしれない。しかし、この絵を見て胸が弾んだと言っていた彼の気持ちには共感が持てなかった。

 塚本は代金を払って店を出た後、部下の田中に電話を掛けた。

「 すまんが、ちょっと調べたいことがある。1時間程で戻る 」塚本はアイエツへと向かった。

 日中に歩く店までの道のりは、夜とは景色が違って見えた。建ち並ぶ古い建物が昨晩よりも更に古く感じた。

 1対1に拘っているとはいえ、わざわざこんな人気のない場所に店を構えることへの疑念がますます深まっていった。大通りとは違い、この付近は明らかに廃れている。

 彼との会話やもてなしにすっかり気分が良くなって酒に酔い、舞い上がっていた塚本は、なぜ自分に名刺が届けられたのか、その理由を聞くことも忘れていた。

 ビルに着いた塚本は、迷うことなくエレベーターに乗り込み、3階へと上がる。鼓動は早まっていた。

 エレベーターを降り、足早に店の前へと進み、立ち止まった。外観は2日前と全く変わらない。

 内ポケットから手帳を取り出して、8桁の番号を入力し、手を止めた。ふうっと大きく息を吐き、少し震える指でエンターキーを押す。

 エラー音だけが鳴り響き、扉は開かなかった。念のため、もう1度試してみたが結果は同じだった。

 恐らく、入店した際に使用した番号は2度と使えないよう、その都度変更しているのだろうと推測した。

「 たいした徹底ぶりだな…」

 それはなぜか-塚本は更に思考を駆使し、出た答えは1つだった。客と客の鉢合わせを防ぐため、それしか考えられなかった。

 彼は1対1に拘るゆえん、と言っていたが、接客中に別の客が来たのであれば、断ればいいだけの話だった。そもそも電話の際に、1日1人限定の完全予約制と伝えているのだから、本来ダイアルロックの必要さえない。

 こんな辺鄙な場所にある店に迷い込む客がいるとは思えなかった。そのことを、彼の巧みな話術で、気付かせないようにしていたのかもしれない。

 鉢合わせを防いでるのなら、届いた名刺は彼が無差別に配っているのではなく、彼が招待したい相手にのみ届けているということになる。その招待客から得たい何かがあるか、何かをしたいかのどちらかだろうと塚本は考えた。

 マスクをしてをしていたものの、塚本は彼に見覚えが全くなかった。果たして、招待客は何人いるのだろうか。そして、自分が招かれた理由は何なのか-なかなか手強そうな相手だと塚本は思った。

 アイエツから署まで歩いていると、携帯電話が鳴った。部下の田中からだった。

「 塚本さん?今、どちらです?」

「 ああ、悪いな。今戻ってるよ。何かあったか?」

 電話の向こうで田中の息が少し上がっているように聞こえる。

「 中央公民館の近くで死体が発見されました。家の持ち主から通報がありまして、これから向かうところです 」

「 分かった。俺は直接そっちへ向かう 」

 アイエツの件は、憶測ばかりで何も進展せず気がかりだったが、塚本は急いで現場へと向かった。

 *

 現場は住宅街にある中央公民館のそばの木造の平屋だった。ブロック塀に沿って木が生い茂り、屋根の瓦は所々抜け落ちていた。壁に貼られている色褪せた広告のポスターが昭和を感じさせる。

 長年放置したままだったその家を、更地にして売りに出すことになり、下見のために久しぶりに訪れた家主が死体を発見した。

 鑑識によると、死後2・3日が経過し、死因は首を圧迫したことによる窒息死とみられた。身元を判明できる所持品を何も持っていなかった。死体は平屋の台所の位置で発見され、家主によれば、炊事場横の勝手口は鍵を掛けていなかったらしい。

 現場で出迎えてくれた田中からの報告だった。「 どこへ行ってたんです?」

「 ちょっとな。まぁ、無駄骨だったよ 」

 2人は敷地へと入り、勝手口に向かって進む。手入れもせず、長年雨風に晒されていたためか、平屋は今にも崩壊しそうなほど傷んでいた。家主にとってここの存在は、大方目の上のたんこぶ状態だったのだろう。

「 近所の人間なら、この家がずっと放置されていたのを知っているだろうな 」

「 子供たちも、昼間は遊び場にしてたかもしれませんね、秘密基地のような感じで 」

 庭には、真新しい空き缶やゴミなどが捨てられていた。勝手口に着くと田中が先に中へと入り、塚本はそれに続いた。

 中では他の刑事や鑑識の人間が現場検証を行い、狭い空間を埋めつくしていた。証拠写真を撮るカメラのフラッシュ光とシャッター音が静かに響く。腐敗臭が漂い、時間の経過がその場の空気だけで感じ取られた。

 使用されないまま置かれた錆びかけの家電製品と、古い小さなキッチンテーブルの間にスーツ姿の男性が仰向けで横たわっていた。

 塚本は死体の足元の位置に立ち、全身を確認する。抵抗したためか衣服は少し乱れ、首には青黒く絞められた跡が残り、顔は横を向いていた。靴は履いたままだった。

 死体を前にした塚本は、胸の締め付けと動悸に目を細めていた。段々と強まる胸の苦しみに耐え切れず、よろめいた時カメラのフラッシュが光った。

 その時だった。死体の顔がぐるんと上を向き、充血した目が大きく開いた。ギョロっとしたその視線はゆっくりと、徐々に塚本へと向けられ、目が合った-それは愛美の顔だった。

 塚本を見た愛美の目は更に大きく見開き、苦痛に歪んだ青白い表情で何かを訴えようと口だけが動いていた。その口の動きと共に血が溢れ出し、顎を伝っていく。

 塚本は驚きと恐怖のあまり、尻もちをついて後ろへ倒れ込んだ。足はガクガクと震えているのに、まるで金縛りにあったかのように視線を逸らすことができない。

「 ま…愛美… 」

 力の入らない足はバタバタと空回り、腕の力だけで後ずさりしようと踠いていた。次の瞬間、塚本の肩に衝撃が走った。

「 ……さんっ、塚本さんっ 」

 田中が塚本の両肩を掴み、名前を叫んでいた。その声に呼び戻されるように意識が戻った塚本は、目線をようやく外し田中の顔を見た。

 塚本の突然の奇行に、近くにいた全員が手を止め、目を丸くしてこちらを見ている。

「どうしたんですか? 大丈夫ですか?」

 田中が心配そうに塚本を覗き込む。その肩越しに見えた死体は、愛美ではなく、スーツ姿の男性に戻っていた。

 塚本は激しく肩で息をしていた。額に手を当てて目を閉じ、深呼吸をしながら呼吸を整えた。

「 すまん…外の空気吸ってくる 」

 立ち上がった塚本は、よろよろとした足取りで勝手口から外へと出た。

 愛美が亡くなってから遺体をまともに目にすることが出来なくなっている自覚はあったが、はっきりとした幻覚を見たのは今日が初めてだった。

 塚本は今まで、どんなに酷く損傷した遺体を目にしても動じたことなど1度もなかった。その上、自分の目に見えるもの以外は信じない性分だった。

 そんな塚本でさえも、心半ばでこの世を去った愛美の未練や無念が、幻覚を引き起こしているのではないかと思わずにはいられなかった。

「 大丈夫ですか?」

 塚本を案じた田中が外へ出て、声を掛けてきた。

「 あぁ…すまん 」

「 姪っ子さんのことがあってから、塚本さんの様子がおかしいことは俺も気付いてました。あまり無理なさらないでください 」

 田中は頼りこそないが、気持ちの優しい男だった。言葉にせずとも、ずっと気遣ってくれていたことは塚本も分かっていた。

「 お前に心配されるようじゃ、俺もまだまだだな 」

 これ以上情けない姿を見せまいと、憎まれ口を叩き、はぐらかす。

 塚本は愛していた愛美の記憶が、恐ろしい幻覚で上書きされ、失うことに強い恐怖心を抱いていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る