仮面の男
名刺に書かれた番号を1つずつ慎重に押していく。塚本は少し緊張していた。
全ての番号を押し終わると、携帯電話を耳に当てた。何度かコールされた後、男が電話に出た。
「 お電話ありがとうございます、アイエツでございます 」
その静かで低い声と、丁寧な日本語に、塚本は面食らった。想像していたものとはまるで違っていた。名刺の雰囲気から、怪しい占い店やサロンにでも繋がるオチを想像していたからだ。塚本は、何を話せばいいのか分からず、言葉に詰まってしまった。
「 ご予約でよろしいでしょうか?」
そんな塚本の状況を察したのか、相手の男が尋ねてきた。
「 ああ…そうだな。いつなら開いてるんだ?」
「 夜の8時から12時の間でしたら、お客様のご都合に合わせております 」
「 そうか…じゃあ、今夜の10時でも構わないかな?」
塚本は様子を伺いつつ、男に合わせるように話を進めた。
「 かしこまりました。では、当店のシステムや料金についてご説明させて頂きます。よろしければメモのご準備をお願い致します 」
「 メモ?」
「 はい。当店は1日おひとり様限定の完全予約制とさせて頂いております。そのため、ご入店の際は、入口にあるデジタルロックに暗証番号を入力して頂く必要がございます。番号は8桁ですので、メモを取られることをお願いしております 」
塚本は壁に掛けてある上着の内ポケットから手帳とペンを取り出した。
「 入店は、先程お話した仕組みになっております。今からお伝えする番号を入力してください 」
塚本は男に言われた8桁の番号をメモに取った。
「 次に料金についてですが、2時間で1万円戴いております。形態としては、お酒を提供する店となっております。本日は2時間のご予約でよろしいでしょうか?」
「 じゃあ、それで頼むよ 」
どんな店なのか、どんな酒が出るのか、分からなかったが少々高い気もした。
「 かしこまりました。それでは住所を申し上げます 」
暗証番号に続き、今度は住所をメモに取った。
「 最後に、ご来店は時間厳守でお願い致します。以上でございます。何かご不明な点はございますか?」
不明な点だらけだよ-本音はそれだった。
「 いや、ないよ 」
塚本はそれだけ言った。
「 かしこまりました。では、ご来店お待ちしております 」
電話を切り、ふうっと大きく息を吐いた。相手の男の独特な雰囲気に、圧倒されそうな自分をひた隠しすることで精一杯だった。
塚本はメモに取った番号と住所を眺めた。完全予約制とは言え、ロックを解除して入店するシステムには疑問が残った。
店の中で、法に触れる疚しいことでもあるのだろうかと考えた。だとしたら、相手が誰かも分からずに名刺が届けられるとは考えにくかった。
逆に、特定の相手に名刺を届けているのであれば、塚本が刑事であることは調べがついているだろうとも予測できた。
謎だらけの中、いわゆる刑事の勘でしかなかったが、犯罪の匂いはしなかった。ただ、ここまで徹底して開ける店に、目的や意味がないとも思えなかった。
手帳を閉じ、テーブルに置いた。現在の時刻は午前11時45分だった。元々、昼間はジムに行こうと決めていた。
今夜のことを考えると、塚本は少しだけ興奮していた。
*
携帯電話で検索した地図を元に、繁華街の大通りに面したコンビニを右折し、道なりに東へと進んだ。暫く歩くと、大通りとは明らかに違う、古びた建物が並ぶ暗い通りに出た。店のビルはもう目の前だった。
入ってすぐに、左右にそれぞれエレベーターと階段があった。塚本はエレベーターに乗り、3階のボタンを押した。
扉が開き外に出ると、左へと通路が続いている。その1番奥にアイエツはあった。他に店はなかった。
看板などは何もなく、扉に木製の表札が貼られているだけだった。男が電話で話していた通り、扉にはデジタルロックが取り付けられている。
手帳に書いた8桁の番号を入力すると、小さな機械音と解錠された音がした。塚本は息を飲み、中へと入った。
見渡すと、全体が黒を基調とした造りの部屋で、淡いオレンジ色の照明がどことなく高級感を醸し出していた。
小さなボックス席は4、5人掛けぐらいだろうか。反対側にはカウンターがあり、椅子は1つだけだった。
カウンター奥の棚には様々なお酒が並べられている。塚本はゆっくりとカウンター席へ近づいた。
棚の横にはカーテンが吊るされていた。隙間から見える様子で、スタッフルームだと分かった。椅子に座ろうかと迷っていた時、カーテンを捲り、男が出てきた。
その姿を見た塚本は、ぎょっとして、身体を少し後ろへ逸らしていた。
男は細身の体型で背が高く、白いYシャツに黒のベストを着用し、黒の蝶ネクタイを締めていた。髪が長いのか、後ろで結っている。左耳にはダイヤのピアスが光っていた。
何と言っても、目を引いたのは顔だった。男は目を覆い隠す形をした、ベネチアンマスクをつけていた。肌は白く透き通っており、マスクの上からでも美男子だと分かった。
「 ご予約のお客様ですね、お待ちしておりました。どうぞこちらへお掛けください 」
男がカウンターの椅子を指しながら言った。その声と口調は、昼間電話で聞いたそのままだった。
入店から5分も経たないうちに既に圧倒された塚本は、おずおずと席についた。
「 何になさいますか?」男が少し微笑んで問いかける。
「 じゃあ、とりあえずビールで 」
「 かしこまりました 」
こんな時でもビールかよ、と自分で突っ込みたくもなるが、塚本はバーに行った経験がなかった。外で酒を飲むといえば、スナックか居酒屋がお決まりだった。
男は、塚本の前に丸い紙のコースターを敷き、その上にビールの入ったピルスナーグラスを置いた。普段は、缶かジョッキでしか飲まないビールを、お洒落なグラスで飲んでいる自分への気恥しい気持ちに、塚本の顔は引き攣っていた。
店の雰囲気と、目の前の風変わりな男、慣れないグラスに殆ど味が分からず、暫く黙っていた。
「 君は…ええっと、何と呼べばいいかな 」
塚本はようやく口を開いた。
「 『マスター』で構いません。とは言っても、スタッフはわたし1人だけですが 」
くすくすと笑いながら彼が言った。その仕草さや話し方は非常に品があった。
「 マスターはなぜ、こういう店をやろうと思ったんだい?」
それは本当に素朴な疑問だった。店のルールやシステムはもちろんのこと、1日1人の客では大した儲けがあるとも思えなかった。
「 人と対話することが好きなんです。大勢は苦手ですが、1対1なら相手を楽しませる自信もあります。入口のダイアルロックは1対1に拘るゆえんです。空いた時間の趣味みたいなものですね 」
塚本は妙に納得できた。初対面の相手に対しての彼の喋りは、気弱な姿勢が一切感じられず、自信に満ちている。その上、彼の容姿はそれを更に後押しする形となっていた。同性に興味はないが、彼の美しさは塚本にも分かった。
「 そのマスクをつけている理由は?」
緊張が解れ始めたのか、塚本は少しずつ饒舌になっていった。
「 店の名前をご覧になりましたか?」
「 ああ、見たよ。アイエツ、だろ?」
「 はい。19世紀のイタリアを代表するロマン主義の画家だった、フランチェスコ・アイエツから取った名前です。有名な作品として『接吻』というものがあるのですが、個人的には彼の『復讐の誓い』という作品が好きなんです。初めて見た時に、とても胸が弾んだのを覚えています。その絵には美しい女性が2人描かれていて、1人は仮面をつけているのですが、これはその真似事です 」
塚本は絵画の知識は乏しかったが、彼がアイエツという画家を好きだということは理解できた。話を聞きながらビールを飲み干し、グラスを置いた。
「 同じものになさいますか?」
「 ああ、頼むよ 」
何を頼んだらいいか分からない塚本のことを見抜いているようだった。彼のさり気ない気遣いが、居心地をよくさせていた。
「 わたしのことより…お客様の話を聞かせてくださいませんか?」
2杯目のビールを差し出しながら彼が言った。
「 俺は特段の面白い話もないよ。強いて言うなら、喫煙者にとって肩身の狭い世の中になりつつあることに嘆いてるくらいだ 」
塚本は少し下を向いてふんと笑った。
「 申し訳ありません、気が利きませんでした、すぐに灰皿ご用意しますね 」
彼が慌てて棚にある灰皿を取ろうとする。塚本はそれを右手で制した。
「 いいんだよ、今は吸わなくても平気だ。気分もいいし、このままで 」
彼は申し訳なさそうに軽く頭を下げ、続けた。
「 確かに煙草は百害あって一利なしと言いますし、程々になさってくださいね。お客様のお身体が心配です 」
「 ありがとう 」
気分がいいというのはもちろん嘘ではなかったが、吸わない理由は他にあった。目の前の青年に対して、煙を吹きかけ、臭いを染みつかせることに抵抗を感じていた。
いつもはヘビーな塚本が、そう感じる程、今のこの時間を楽しみたいと思い始めていた。
それから2人は今年1年の日本の世情を振り返り、語り合っていた。とある宗教団体元代表の死刑執行や、冬季五輪での日本人の活躍、流行語大賞、大手自動車メーカーの会長が逮捕された話など、ジャンルは様々だった。
彼は、塚本が話した全てを熟知していて、返す言葉に知識の豊富さや賢さを伺わせた。
仕事以外でこんなに会話をしたのは久しぶりだった。ビールはもう5杯目になっていた。
「 もうこんな時間か、早いな 」
塚本は腕時計を確認した。時計の針は午後11時56分を指している。
席を立ち、財布から1万円札を出そうとした時、今度は彼が右手でそれを制した。
「 今日のお代は結構です。このままお帰りください 」彼は微笑みながら言った。
「 いや、しかし… 」
「 その代わり、また遊びに来てくださいませんか?今日は本当に楽しかったです。ありがとうございました 」
そう言うと、深々と頭を下げた。
「 分かった。こちらこそ、楽しませてもらったよ、ありがとう 」
塚本は手を挙げて挨拶し、店を後にした。外に出ると、冷たい夜風が酔って熱くなった顔に丁度よく感じる。クリスマス仕様の街並みも、今は煩わしさを感じなかった。
必ず幸せになれる店というフレーズも、あながち間違いではないなと、塚本は鼻歌を歌いながら家へと向かった。
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