2―2「勝利宣言」
「どうかしました、騰波ノくん?」
難波は不思議そうに、唖然とした騰波ノに訊く。
「いや、なんかさ、あの女の人に会ったことあってさ」掠れ笑い混じりに騰波ノはいう。
「えっ、騰波ノくんと文豪さんってお知り合いだったんですか」おっとりとした目を大きく見開いた難波は、口元に手をあてている。
「知り合いっていうか、まぁ、一度だけ。出会ったのは偶然なんだけどね」
「すごいですっ! どうやって文豪さんと出会ったのですか」
騰波ノが両方との出合いを難波に話している頃、壇上では両者が互いに「宜しくお願い致します」と挨拶を交わしていた。互いに座布団に正座をする。
なお両方の後ろにも一人、学生服を着た知性的な雰囲気が漂う十代後半から二十代前半ぐらいに見える男がついていた。
「ルールは七日目ではありますが、簡単にご説明させていただきます。制限時間は十二時間。お題はこちらから七つ提示させて頂きます。各自そのお題を取り入れた作品で執筆をして頂きます。短編、中編、長編小説どの手法をとってもらっても構いません。その場合の条件として時間の許す限りで必ず完結させること。完結出来なかった場合はその時点で敗北となります。構成力、文章力、発想力、文学性、文芸性、即興力、完成度。その全てが評価ポイントになります。そして最終的により多くの審査員に旗を揚げさせた方の勝利となります。用意はいいですか。それでは審査員の方々一斉にお題の開示をお願い致しましゅ……」
『イルカ』『勝敗』『雪』『山田』『夏』『柔軟剤』『死』、と七つのお題がモニターにて開示される。
出されたお題を両方はじっと見つめていた。中島はセコンドについた男と耳元で何やら話し合っている様子だ。
「しょれでは参りますよ。春の文豪戦最終日。七日目。いざ、尋常に――」
中島はキーボードに手を添えた。対する両方は手を膝に置きじっと前を向いている。
「はじめっ!」
中島は即座にキーボードを打ち始めた。
会場のスクリーンが二面に割れ、白紙の原稿と二人のワイプを映しだす。中島はかなり早いタイピング速度で文字を紡ぎ始めた。スクリーンの左半分側は、徐々に黒く染められていく。
一方、右側の原稿用紙は白紙のままだ。それに両方は目をじっと閉じていた。
「快調なスタートを切ったのは中島だぁ! おおっとそれに対しどうした文豪⁉ まだ手を付けるどころかお眠してしまったのかぁ?」
普段の五嶌とは思えないほど、挑発的な実況が会場内に響き渡る。
「騰波ノくん知ってますか。専用サイトでは、文豪戦の生放送と原稿データが何度も見直せるんですよ」
難波は親切に携帯を見せながら教えてくれた。
「なんか凄いね。この学校」
「僕も歳のせいか、この学院のシステムには色々と驚きが隠せないよ」
杉田も携帯とスクリーンを交互に見つつ、試合を観戦していた。
「本当に。俺だったら人前で小説なんて書けないですよ……」
あっという間に一時間が経過した。中島は順調に、物語の序盤を書き終えて基盤が出来上がり始めている。時々セコンドの男と相談する場面もあるが、比較的順調そうにみえた。
一方両方はまだ一文字たりとも書いておらず、目を瞑り続けている。セコンドの男も静かに腕を組んでいるだけだ。
断固として微動だにしない両方に、会場内は困惑の様子が広がりはじめていた。
「両方先輩どうしたんですかね。やばいんじゃないですか?」
「どうだろうね。僕は六日間の生放送で彼女を見ていたけど、いつも開幕から飛ばしていく姿が印象強かったんだけどね。やはり三勝三敗っていうプレッシャーが彼女を追い詰めているのかもしれないね……」
会場にいる人たちの静かなざわつきは、杉田が思ったことをそのまま現しているようにもみえた。そんな時だった。
両方は目を瞑ったままだが、四角縁眼鏡を取り、そっと畳の上に置いた。
「おおっと、一時間にしてようやく文豪が動き始めたぞぉお⁉」
観客が妙にざわつき、五嶌のテンションも自然と高くなる。次に両方は、三つ編みお下げをゆっくりとほどきはじめた。
「何ですか、あれ」
騰波ノは両隣に聞いた。難波は首を傾げた。
「さぁ。あんなのはじめてみたよ」杉田も不思議そうに首をかしげている。
三つ編みをほどき終えた両方は、静かに肩を揺らした。さらさらと黒髪が揺れる。まるでお城に住むお姫様のようだった。
『おい、あれって』
『噂で聞いたことあるぞ』
『確か一年の時に一度だけ』
『そうそう、別人みたいに』
会場はひそひそと好き勝手に噂をする声で一杯になる。
両方は目を瞑ったまま両手をキーボードに添えた。それだけで観客が軽く沸いた。
誰もが巨大スクリーンモニターの右側を凝視し、固唾を呑んでその時を見守っていた。
「起きろ! 姫!」
突然セコンドにいた男が叫んだ。両方も連動するように眼を見開いた。変則的なリズムでキーボードが叩かれる。
【ヘヘグ……タシマ、チカ、ウモ】
「………………」この、書き出された一文に、会場内にいる者たちは、その瞬間だけ全てを奪われた。音は消え、意識は皆が同じ一文を見つめていた。
対戦相手の中島ですら、手を止め、スクリーンを見ている。
まるでそのヘンテコな言葉に、言霊でも宿っているかのような吸引力だった。
その中で一人だけ、頭を抱えているのはセコンドの男。次に、審査員に座る七人が薄ら笑いを浮かべていた。だが場内は未だ訳が分からず混乱のまま。
「おっつと……これはまさか……なんと恐ろしいことを!?」静寂も束の間、五嶌が気づき声をあげる。
のちに困惑していた場内が、徐々に意味を理解し始めた。波のように歓声が広がっていく。
「えっ、どういうこと、ね、どういうこと?」
騰波ノは未だ理解出来ず、頭にはてなマークを浮かべていた。同じく難波も。
「フフ……頼もしいお嬢さんだ」
目尻に何十ものシワを重ねた杉田は朗らかに言った。
「え、意味分かったんですか杉田さん?」
「一度常識を捨てるんだ。それだけで物事の捉え方は随分と変わる」
「あ、なるほど!」
難波は興奮したように手を口元にやった。
「え、どういうこと? ね、難波さん。分かったの?」
歓声は大きくなる一方だが、騰波ノは未だ意味不明であった。
「はい。小説において私たちは、無意識に縦読みや横読みを理解し、その通りに読みます。それがこの大一番の舞台であれば、誰もがそう思いますよね」
「え、マジで分かんない。どうしよう……?」
難波はいつになく、悪戯っ子のような笑みを浮かべた。
「ごめんなさい。つい、騰波ノくんのリアクションが面白くって。簡単です。反対から読むだけですよ」
「反対……え。【モウ、カチ、マシタ……グヘヘ】ってほんとだ! こんな大事な時に何やってんのあの人!?」
騰波ノは驚きと呆れが混ざったせいか、困惑気味に声が大きくなった。場内も似たような反応が起きている。
するとどうしたことか、先ほどまで順調だった中島に変化が現れた。いつものように平静を装い、無表情なままキーボードを打ち込むものの、プルプルと肩が小さく震えている。顔はほんのりと赤くなっているように見えた。何度もタイピングミスや変換ミスを連続で起こし、やがて途中で手がピタリと止まった。
セコンドの男が何とか中島を落ち着かせようと、必死に声を掛けている。
対する両方は、猛烈な勢いで文字を紡いでいく。観客は次第に歓声をあげる余裕すら失い、原稿を追うのに夢中だ。
見るからに中島は動揺していた。セコンドからの掛け声すらまともに入ってきていない様子。
先ほどまで静かに目を瞑っていた少女は、別人のように怒涛の勢いでキーボード音を奏でている。
スクリーンに映される原稿は、あっという間に黒く埋め尽くされていく。頁が切り替わって白紙になり、三十秒も経たないうちにまた黒く埋め尽くされていく。その様子を、中島はただ呆然と魂が抜けたように眺めている。
その時だった。ペチン! と肌を強く叩く音が響いた。同時に座布団に正座していたはずの中島が、マッチ棒のように畳の上で横になっていた。
「目を覚ませ中島!」叫んだのは、セコンドの男だった。
「あれ……私は、いったい」ぶたれた中島は、虚ろ気に混乱している。
「しっかりしろ中島敦也! 気を確かにもて。お前は中島敦也。歳は今年で四十。妻と五歳の息子に逃げられたバツイチ元作家だ! お前はいま文豪相手に三勝三敗まで追い込んだ天才だ! そうだ、起きろ中島! 怯むな39歳! 立ち上がれ独身中年! お前にいま出来ることはなんだ⁉」
セコンドの熱い激励の言葉に、少しづつだが中島の意識が戻ってくる。のろのろと上半身を起こし。
「私は、私は……もう、駄目なんだ。妻と子供にも逃げられた。小説を書くことですら苦痛に感じる。私は小説が……憎い。小説が怖いんだ」
「馬鹿野郎! 寝ぼけるな! もうお前には小説しかないっ! お前に小説を取ったら何が残る? 目を覚ませ! お前は――この世界を変えに来たんだろ?」
肘を畳から放し、ゆっくりと中島は立ち上がった。乱れたスーツを整え、ネクタイを締め直した。
「……そうだ。私は、書いて……今度こそ真正面からこの文豪を倒し、小説界の革命者になるのだっ!」
完全に意識を取り戻した途端、中島は締め直したはずのネクタイを乱雑に剝ぎ取った。そのまま今日の為に拵えてきたであろう一張羅スーツを脱ぎ、場外に投げ捨てた。
白いシャツの腕を捲り上げ、胸元のボタンを引きちぎり剛毛な胸毛をはだけさせ、雄叫びを上げた。
「おぉおおおおおおおおおおお‼」
「その意気だ中島! やれ中島! お前ならきっと勝てる!」
「俺は――革命者だぁああああああ‼」
もう先程までの生真面目で常に落ち着いた男はいなかった。いるのは肉食獣のような獰猛さを以て、キーボードを叩きつける男だった。
スクリーンに映る両者の原稿用紙は、勢い留まることなく埋め尽くされていく。観客は専用サイトかモニターを通して原稿に読み耽る者と、騰波ノのように両者の気迫を目に焼き付ける者で分かれた。
騰波ノは「凄い……」と自然に声が漏れる。
「小説を即興でやるなんて……」
「いい刺激になるだろう騰波ノくん。小説っていうのは通常長い期間をかけて緻密な計算と試行錯誤を繰り返し、世に傑作を解き放とうとする。それが普通だ。三流だろうが一流だろうがそこだけは変わらない。でもこの学院にとってそれは出来て当然の世界なんだ。僕は今までそれなりにプロの世界で生きてきたけど、この様なやり方は一度も思い浮かばなかったよ」
「そう、ですよね。あのさっきからずっと気になっていたんですけど、あそこにいる人たちは生徒なんですよね?」
騰波ノが指を差したのは、戦う両者を見守る生徒に向けられていた。
「ああそれはね……」杉田は一度口を閉じてから「退学者たちなんだって」と静かにいった。
「えっ、退学者? 制服だって着てるのに」
「僕にもまだ詳しいことはわからないんだけどね」
杉田は引きつったような苦笑いをして、頬をこりこりと人差し指でかいていた。
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