第二章「文豪戦」

2―1「春の文豪戦」

 

 五月の大型連休の最終日。とっくに桜は散り、初夏を誘うように躑躅や藤の花が、街のいたる所に彩りを添えていた。

 騰波ノとばのは噴水広場の前で人を待っていた。


「お待たせして申し訳ないです」向かいから難波が小走りでやってくる。その後ろにも、見たことのある人影があった。


「全然。俺も今来たところだから、ってあれ、杉田さん!?」

「やあ。せっかくの二人の仲にこんなおじさんが入り込んでしまってすまないね」

「そんなことで謝らないでくださいよ杉田さん。むしろ、大歓迎です」

「そういってくれると助かるよ」杉田は温厚に微笑んだ。今日は学生服ではなく、薄緑色のジャケットにジーンズを履いている。真っ白なスニーカーが若々しく見えた。


「ごめんなさい騰波ノくん。誘ったのは私の方なんです」申し訳無さそうにいう難波は、肌色のニットカーディガンを着て、若葉色のロングスカートを履いている。

 肩から小さめの黒いショルダーバックを豊かな胸の間に通している。全体的に地味な感じではあるが、彼女らしいとも言える。


「だから大丈夫だって」と言った騰波ノもいつも着ている灰色のパーカーに、チノパンを履いただけの地味ともシンプルともいえるものだった。特に服装のこだわりはなく、お金もない。

 だから大型連休中は、アルバイトと原稿に集中する予定だった。だがバイト中に難波から突然、「最終日に予定とか空いてますか」と誘いを持ちかけられた。

 例の『第一創作室』での空緒との一件以来、どこか気持ちが沈んでいた騰波ノは、すぐに「空いている」と返事した。


「で、どこに行くの?」


 難波はすぐ南の方角を指さした。

 そこは入学式で一度だけ入った、中央ホールだった。

 連休最終日の中央ホールの周囲には、多くの生徒たちで賑わっている。ホール前の広場では、お祭りのような屋台もやっていた。


「はい、騰波ノくん。これ」

「なに、これ」

「チケットです」


 難波から渡されたチケットを手にとってよく見た。

 そこには『春の文豪戦 7日目 ―文豪VS.挑戦者―』と書かれている。


「春の文豪戦?」


 騰波ノは首を傾げた。


「知りませんか?」

「いやまったく」

「もうすぐ時間だ。二人とも、さきに飲み物と軽食を買って行こう。説明はそのあとだ」


 杉田が口を開いたのをきっかけに、三人は用を済ませ、急いで指定の二階席に向かった。

 指定の席に座った騰波ノは、まず観客の多さに圧倒された。

 一階席から二階席まで、多くの人が敷き詰められるように座っている。周囲を見渡すと、立ち見席のようなものもあるみたいだった。


「何だ、あれ……」


 騰波ノは中央のセットに注目した。そこは畳の壇上になっていて、大型機械を装備したPCが二台、対面するように設置されている。

 背景には豪華な屛風や、和を意識した掛け軸が飾られていた。他にも赤い湯吞みや陶器などがみえる。


「あれが執筆舞台ですよ」

「執筆舞台?」呆気にとられる騰波ノを見た難波は微笑する。

「驚いちゃいますよね。騰波ノくんはこの学院の階級制度って知ってますか?」

「階級制度……?」首をかしげる騰波ノに「僕が説明しよう」右側に座っていた杉田がいった。


「まず三つの階級がある。下から『アマチュア』。主に我々のことだね。次に『セミプロ』。中級層だね。その一番上が『プロ』。必修試験やタイトル戦など、あらゆる実績が認められ、昇格した人達のこと」

「タイトル戦って今から始まるこの文豪戦のことですか?」

「そうだよ。僕も最近知ったんだが『セミプロ』と『プロ』には、毎月学校側から活動資金のボーナスとかもあるみたいなんだ」

「へぇ」

「騰波ノくんは、たまに私服の人を見かけませんか?」と難波が左側の席から話しかけてくる。

 確かに入学して間もない頃、二年の両方姫と名乗るゲロを吐いていた女と出会ったことを思い出した。私服と言っていいのか分からないが、古風な袴姿だったことは覚えている。


「そういえば見たような……」

「あれは『プロ』階級専用の特典みたいなものなんです。生徒たちは、原則的に制服を着用して登校するのがルールですが、プロの方々はそれらの校則から解放されるみたいなんです」

「そういうことだったんだ」


 世の中見た目以上に分からないこともあるのだな、と騰波ノが納得していた時、会場のライトがゆっくりと暗転した。上映前の映画館みたいに徐々に喧騒が消えていく。

 次の瞬間、スポットライトが一人のバーコード頭を気持ちいいくらいに光らせた。いつかの痩身、眼鏡に灰色のスーツ。入学式の時に司会をしていた五嶌ごとうけいだった。


「レレ、レディース、アン、ジェジェ、ジェントルメンッ! しっ……紳士淑女のみにゃさま、ごきげんいかがございましゅでしょうか」

「…………」

「ひっ、しょ、しょれでわ……あっ!?」耳をつんざくようなマイクの割れた音が、会場内を反響する。


「本日は最終日。いよいよクライマックスを迎えた七日目、現在互いに三勝三敗でありましゅ。文豪は一年の時からこの地位を確立させ、幾度となくこの地位を防衛してきました。果たして今回の挑戦者は、しょれを塗り替えて文豪という名誉ある地位を奪えるのか。是非とも皆しゃまには、最高の瞬間を目に焼き付けて頂きたいと思いましゅ。ではいざ、文壇にて、これより、文豪戦を開始致しましゅ! しょれでは、まず審査員の方々にご登場して頂きましょう。どうじょおお!」


 スポットライトが七人の姿を捉えた。

 先頭を歩くのは学院長。今日もトレードマークの真っ赤なスーツに身を包み、金色の髪が眩しい。そのあとに続く六人は、それぞれ独特な雰囲気と格好をしていた。

 七人が観客に応えるように手を挙げると、歓声が膨れ上がるように広がっていく。


「なに、なに。なんだ、これ……」騰波ノが困惑している頃、全方位に設置された巨大なスクリーンが映像を映し出した。

 そこには、審査員『学院長』『王道』『探偵』『恋史』『博藝』『名人』『詩神』と表示されている。


「騰波ノくん! あれが七豪階級のうちの六人ですっ!」難波は大好きなものを語る時のように興奮していた。

「七豪階級……」啞然とする騰波ノ。隣から落ち着いた杉田の声が聞こえた。


「彼らは『プロ』なんだけど、その中でも更に、専門ジャンルに長けた者たちなんだ」

「へぇ、そんな人たちがいるんですね」

「もしかしたら騰波ノくんも知っているかもしれないですよ! あ、あのハットを被った人! あの方が『探偵』さんです。数年前に過去最年少で直草賞の候補に選ばれた人です! ミステリの天才なんですよ」

「えっ! すごっ!」


 文芸賞の類にそこまで明るくない騰波ノでも、芥山賞と直草賞くらいは耳にしたことがある。それに『探偵』といわれた人の年は、見た目から図ることはできない。だがハットから微かに覗く端正な顔たちからして、おそらくまだ若い。

 そのはずなのに、手には宝飾が施された黒のステッキを握り、床をついて歩いている。頭は真っ白に染まっていて、背中まで伸びた髪を結んでいた。

 味のある黒いコートを羽織り、足元には年季の入った革ブーツを履いている。まるで昔の欧州貴族を連想させるような品格を漂わせていた。

 場所が違えばただの「コスプレイヤー」にも見える。それくらい完成度が高いともいえた。

 各々が審査員席に座り、タブレット端末を操作しはじめる。


「続いては挑戦者の登場でしゅ! どうじょおおおお!」


 五嶌馨も会場内の雰囲気にあわせて、テンションがあがっている。どうやら司会もいつになく順調そうだった。


「挑戦者は三年、階級はプロ! その名も中島なかじま敦也あつや!」


 スポットライトに当てられて、登場してきたのは黒いスーツ姿の男。三十代後半と思わしき中年男性に見える。

 適度な長さに切り揃えられた黒髪。シュっとした細身の体型。唇の上に整えられた髭は、本人の生真面目な雰囲気にも絶妙に合っていた。

 会場は中島に拍手や歓声を送った。中島はそれに対し、会場の人達に何度か頭を下げたあと、執筆場所に向かう。壇上に上がる前に靴を脱ぎ、向きを正しく揃え、そのまま座布団に正座した。一連の所作や流れは、とても落ち着いているように見える。

 中島の後ろには、制服姿の男がついている。見た目は中島と同じく、三十代後半辺りの中年男だ。男は壇上前で立ち止まり、まるで格闘技のセコンドのように見守っていた。


「普通のサラリーマンみたいだ」騰波ノは思ったことを自然に呟いた。

「ふふ、そうだね。だが相応の実力と資格がなければこの戦いには出られない。あの壇上は、僕たちからすればとても遠い場所なんだ」杉田が呟く。それと同じくして、会場内にも自然と静寂が訪れた。

 会場の誰かが「そろそろだ」と声を漏らすように呟き、その数がぽつぽつと増えはじめた。再びスポットライトが五嶌に向けられ、本日一番の大回しを決めようとしていた。


「我が校が誇る七豪階級。その凄さは歴代卒業生たちの偉業を見れば一目瞭然。現在でも、多くの生徒たちに大きな影響を与え、時には精神的支柱にもなる、誇り高き文筆家であります。

『王道』『探偵』『恋史』『博藝』『名人』『詩神』。皆、専門ジャンルに特化した階級者たちであります。そして更にその上の、栄誉称号が存在します。全てです。全てのジャンルの頂点に立つ者です。それでは、早速登場して頂きましょうぅ!」


 目に見えない緊張の糸は、二階席に座る騰波ノの肌にも伝わってくる。スポットライトがただ一点だけを捉えた。


「さあ、いでよ!」


 桜の花弁が艶やかに彩られた、臙脂色の袴を着た女が現れた。


「――両方りょうかたひめ〜!」


 会場内で歓声が巻き起こる。騰波ノが初めて出会った時同様、両方は黒髪を三つ編みに結い、二本のお下げを胸元辺りでぶら下げていた。


「この学院でその名を知らない者はおらず! 失敬、一年生の皆さんは初めまして。今日、その名が脳裏に焼きつくことでしょう。階級は当然プロ! そしてまだなんと二年。そんな若き天才の栄誉称号は――あの」


 両方は「チャオ~」と陽気な声で、会場に大きく手を振っている。四角縁眼鏡が、スポットライトの光を反射させていた。


「『文豪』だぁあああああああ‼」


 今日一番の歓声がどっと沸いた。

 騰波ノは唖然としている。何度か瞬きを繰り返し、目をこする。再度、両方を見て、確信した。


「あぁ、あの人が……文豪?」

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