1―4「空緒 飛華」
「ど、どうも。あ、あの……空緒、さん?」
空緒は返事をしない。無我夢中にノートへ筆を走らせている。
騰波ノは彼女の顔に手を近づけて振ってみた。
「もしもーし。空緒、さん?」
「はい」手を止めた空緒はノートをそっと閉じた。じろっとした眼差しを騰波ノへと向ける。
「何かしら」
空緒は不機嫌さを隠すこともせず、嫌そうに目を細めている。騰波ノはすでに挫けそうになったが、何とか踏みこたえる。
「いや、初めましてというか、その一緒にペアになりました騰波ノ鳴って言います。よろしくね空緒さん」
「貴方……」
「は、はい?」
空緒はじっと騰波ノの瞳の奥底を見ていた。その黒く澄んだ瞳は、どこか寂しそうにそっと下を向いて「何でもないわ」と空緒は告げた。
「ほら。これからどうする」
「どうする、とは」
頭を乱雑に掻きむしりながら「いやぁどうする試験」と優しく返す。
「どうするも何も連載するだけよ」
「はぁ、作戦とかは」
「作戦、とは?」
「ほらどんなジャンルでやるのかとかさ」
「ジャンル、とは?」
「ミステリとかSFとか恋愛とかさ」
「もう決めてるわ」
「うそ、本当?」
「ええ。あとは?」
「何、書く予定なの?」
「貴方は決めているの?」
何一つまともに質問に答えない空緒は、初めて会話に疑問を使った。
「俺はまだ全然。でもWEB連載でPV数競い合うなら流行りのジャンルかなって軽く考えてる程度。で空緒さんは何系を書くの?」
「貴方に言う必要はないわ」
お互い無言で見つめる形になる。
「あとは何か?」
「……とりあえず解散、かな?」
「そうね」
騰波ノ的に(今日は)という単語を入れなかったのは、ささやかな反抗心のつもりだったのだが、彼女の表情は微動だにしなかった。
これから試験を共にする大事なパートナーとの初対面の対話は、恐らく失敗に終わった。不安を抱えて席に着く騰波ノだった。
☆
二限目から騰波ノは、第二講義室に向かっていた。第二講義室は一年一組の教室があったA棟の校舎とは違い、別館のC棟にある。
そもそも千集院創作芸術学院では、授業を自分で選択する講義スタイルをとっている。携帯で専用サイトを開くと『文章力基礎』『登場人物・キャラ』『構成力』『描写方』など他にも学年別で選択出来る講義は様々。
なお一年は徹底的に小説の基礎を基盤とした講義が多い。
騰波ノは三階建ての白い校舎に入る。螺旋階段を昇ろうとしていた時「ちょっと、君」と後ろから声をかけられた。振り返ってみると学生服を着たおじさんがいた。
髪は短めに整えられた白髪頭だった。眼鏡の下から見える目尻に皺が幾つも重ねてあって、口角は柔らかで穏やかな印象を受ける。
「自分、ですか?」
「そうそう。君は確か騰波ノくんだったよね。僕は同じ一年一組の杉田だ。ほら君の席の二つ前の」
「あ、あぁ……杉田さん。もしかして杉田さんも講義ですか?」
騰波ノは眠気で記憶は朧気だったが、この杉田という男は入学するまで、プロの作家だったと言っていたので何とか結びつけて覚えていた。
「僕も『文章力基礎』が初講義なんだ」
杉田は「ご一緒してもいいかな」と朗らかに微笑んだ。「是非」と二階の第二抗議室を目指す。
「そういえば騰波ノくんのお母さんは、編集者だと言っていたね」
「……はい。そうですけど」
「どこの出版社で働いてるんだい」
「春風出版社です」
「ほっ、春風出版社か。大手だ」
「たしか杉田さんは入学するまで作家だったんですよね?」
「そうだけど、春風出版社とは残念ながらご縁がなかったよ。それに今はただのアマチュアの物書きだ」杉田は照れたように、頭をかいていた。
「時間だ、行こう」と杉田が言ったのを皮切りに、話は終わった。
扇状に広がった第二講義室の中央辺りに杉田と並んで席に腰掛けた。幾つか話をしていると教員らしき者が入ってきた。
「えーこれから文章力基礎の講義を務める西澤だ」
西澤は髪を肩まで伸ばした中年だった。小豆色のTシャツに霞んだ色のジーンズ。騰波ノは内心でバンドとかしてそうだなと感じながらペン回しをしていた。
「まず初めに君たちに聞きたいことがある」
そう言って西澤は黒板に『文章力・構成力・発想力』と乱雑に書き殴った。
「今書いたのは作家にとってどれも大事な能力の一つだ。この一番下の発想力には世界観設定、登場人物・キャラ設定なども含まれる。そこで君たちに是非問いたい。この中で最も大事な能力は何だと思う?」
数秒間互いを牽制するような静寂があった。やがて一人の男生徒が手を挙げた。「ほい」と西澤が促し「文章力です」と男生徒は答えた。些か気をつかったのだろう。
「不正解だ」
西田は鼻をほじりながらつまらなさそうに答え「わかる人」とだらけた口調で言う。
また一人と男生徒が手を挙げ「全部です」と言った。
「正解だ。そして不正解だ。この意味が分かるか?」
男生徒は首を捻り「分かりません」と答えた。暫くの間誰も答えなかった。次に一人の女生徒が手を挙げ答えた。空緒飛華だった。
「ほい、お嬢さん」
「それはプロ作家、又は一流作家の考えだからです」
誰もがその答えに首を傾げた中、一人西澤が嬉しそうに口角をあげた。
「お嬢さん名前とクラスは?」
「一年一組の空緒飛華です」
「一組の空緒ね……今彼女が言った答えの意味が分かる奴は他にいるか?」
誰も答えなかった。実際騰波ノも一流作家の考えで何が悪いんだと鼻下でペンを挟んでいる。西澤は呆れた風に肩を落とす。
「空緒。残りの間抜けたちに教えてやってくれないか?」
軽く頷いた空緒は席を立つなり、怒涛の勢いで喋りだした。騰波ノはその勢いの凄さに圧倒されて思わずペンを机の上に落とした。
「まず前提としてこの学校では三流、二流、一流の作家は必要としていません。そんなのはプロの世界にごまんといますし、別にわざわざこの学校に通う必要がないからです。文章、構成力についてこれらは計算、訓練、読書、経験を積めば幾らでも成長します。もちろん個人によって成長限界はあります。次に発想力。着想力とも言います。これは先言ったものに運を足すだけです。一言に運と非科学的なことを言ってしまいましたが、発想着想の瞬間には、各々にきっかけがあるのでそれしか答えようがありません。それにどれだけ奇抜な世界観や登場人物を作りこんだつもりでも、いずれ誰かが似たような発想をしている可能性があります。だから私たちは、取材や資料を漁って差異を作るしかありません。作家は自分の知らないことを知っている風に書ける才能がなければ、死ぬまで小説家でいられることはできません。でも一流はそれが意識的に無意識的に出来ます。だから一流なのです。長くなりましたが前提に帰ってきます。
ではこの学校が求める人材とは何か? 西澤先生が言った大事な能力とは何か? それは圧倒的実力で時代をその者の色に染め、牽引する者です。そこで私は思考の機転を変えて考えてみました。小説は誰にでも書ける反面、誰にでも書けないものです。何故物語を作る上で小説なのか。小説家の才能とは一体何なのか。どれも先言った計算、訓練、読書、経験で養えてしまえるのではないのかと。
でもたった一つ、小説には他ジャンルの創作において違う部分がありました。それは小説というのが圧倒的なまでに『個』であることです。小説を書くとき、創るとき、第三者がどれだけ介入しようと読む時間だけは絶対に『個』と『個』のぶつかり合いになります。
そこで私は一つの結論を導き出しました。小説家にとって残酷なまでに、才能の違いを覚えてしまうのがこの『個』の瞬間にあったのです。どれだけ意識的になっても身につかないもの。感性です。一人一人が独自に持つ感覚です。つまり地の文。文章力とも違う小説家としての感性です」
誰もが口をあんぐりと開き空緒を凝視していた。空緒はふぅと静かに息をついて席についた。西澤は無精髭の生えた頬を掻きながら苦笑している。
「え……とまぁ、そう言うことだ。そういう事を俺は言いたかったんだ」
誰もが「嘘つけ」と思った。
「彼女が最後に言った地の文。通常他の学校やプロの世界では最優先で重要視されることはない。ただ純文学は例外だ。でも時代のニーズは、地の文を最優先で求めていない。この意味がわかるやついるか?」
食い気味に「文学が時代を牽引しているわけではないからです」と、空緒がきっぱりと言い切った。心なしか、騰波ノにはその顔が少しだけ寂しそうに見えた。
「そ、そうだ空緒。これから文学を専攻しようとしている生徒には、耳が痛くなるようなことかもしれないが、現在の純文学は昔みたいに時代を牽引しているとは言えない。売上のことを口に出したくはないが今の時代はエンタメが牽引している。お前たちは本を読むのが当たり前すぎて周囲が見えてないかもしれないが、いったい今の時代にどれだけの者が日々文学を進んで読むと思う。業界人や学者を除いて周囲にいたかそんな奴? いても片手で数えられるほどだろ?」
西澤の問いかけに今度は誰も何も言い返さなかった。その中で騰波ノは一人、唐突に襲ってきた頭痛に頭を抑えていた。
隣の杉田がそれに気づき小声で「大丈夫かい?」と心配する。騰波ノは「大丈夫です」と引きつった笑みでいった。
「だがな、一つ空緒の言ったことにも間違いがある」
空緒は虚を突かれたように長いまつ毛をピクリとさせた。うっすらと口元を開きかけた瞬間には、西澤が待て、と手を伸ばしていた。
「改めて言うがうちでは地の文という革命的才能も重要視する。いま無駄だと思った奴は良かったな。一流になれる可能性がある。でもな、学院長も言っていたがこの学院に一流はいらない。時代を牽引する革命的才能を求めている。業界の常識を変えてしまう、そういう者をここでは求めている。だから文学女も野郎も安心しろ。でさっき空緒がいった感性は身につかないもの。これは通常鍛えたり、誰かに教えてもらうことはできない。だが――それは違う。この学院では己の感性を鍛える場所がある。これには一流の小説家としての能力が備わっていることが前提になる。だからまず全部正解で不正解なんだ。そしてその先にあるものが己だけの、文体領域となる。ま要するに地の文ってのは、小説にしかない絶対的な価値財産ってことだ……」
あっという間に二限は終わった。これからとてつもなく凄い授業が始まるのかとつい構えてしまった生徒たちだったが、皆一同拍子抜けしてしまう程の徹底的な基礎授業だった。
「それじゃあ。僕はここで。今日はお昼からアルバイトの面接だからね」と騰波ノに別れを告げた杉田は去っていく。
似合わないが生き生きとした制服姿の背中を、騰波ノはぼんやりと見つめている。
頭痛はいつの間にか治まっていた。あの時、なぜか胸にモヤモヤとしたものが、湧いてきたような気がした。だがそれが何かはわからなかった。
「アルバイトか……」
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