1―2「両方 姫」


 翌日、騰波ノは振り分けられたクラスの教室を目指していた。寮の自室を出、桜の並木通りを歩いていた。同じように校内指定のブレザーの制服を着た生徒たちに紛れる騰波ノは、ふと視界に何か奇妙な丸みを見つけた。

 注視しているとベンチの切れ端から二本の足が見える。


「おえぇえええええええええ」

「え」


 何事か。ベンチの影から嗚咽が聞こえてくる。他の者も気になってベンチの方を見ていたが、触らぬ神に祟りなしとばかりに颯爽と校舎へと向かっていく。

 それもそうだ。騰波ノだって登校初日の通学中に、面倒ごとになんて関わり合いたくない。

 だが、自身が一番ベンチから近いことに気づきなるほど。颯爽と去っていった奴らの目線はそういうことかとひとりでに納得し、頭を乱雑に掻きむしりながらベンチの方へと向かっていった。


「あ、あの~」


 そーっと背後から声を掛けて。


「おぇええええええええええええええええええええ」

「えぇぇ??」


 思いっきりゲロを吐いていた。それも気持のいいほどに。四つん這いになった女が。騰波ノは気後れしつつも背中をさすったりして声を掛けてみる。


「だ、大丈夫ですか?」

「はぁはぁはぁ……。ふぃーっ。スッキリしたぁー。どうもどうもお気遣いありがとうございます。いつもの事だからね。ふへへっ……あれ、もしかして新入生ちゃん?」


 騰波ノが鞄から取り出したトイレでも流せるポケットティッシュで口元を拭った彼女は、スッキリした顔になって起き上がってみせる。


「……はい」


 彼女の両肩から伸びる二本の三つ編みお下げが軽く揺れた。四角縁眼鏡をかけている。彼女の着る女袴は、近代古風な学生のようだ。全体的に淡いピンク色で花びら模様が散ってある。

 間違いなくうちの制服ではないと騰波ノは首を傾げる。


「……それよりあの、大丈夫なんですか?」

「それゃもう元気百パーセントって感じだよっ!」


 快活に笑って見せる彼女は上級生だろうか。失礼だが少しゲロ臭いなと騰波ノは思った。


「でも体調不良なんじゃ?」

「違う違う!」


 慌てた素振りで大袈裟に手を振ってみせる。彼女の四角縁眼鏡が蒸気で曇る。


「締め切りまであと一日しかないのに、一文字も書けてなくて……それゃもう焦って焦って。頭をフル回転させても駄目で……気晴らしに早朝散歩に出かけてたらね、スズメがねミミズを食べたの。そこでもうっアイデアがガァーンと降ってきて興奮して吐いちゃったの!」


 とても嬉しそうに事のあらましを説明する。何の為か手刀を作りブンブンと縦に勢いよく振っている。


「は、はぁ」

「あ、そうだった。私は二年の両方りょうかたひめ。宜しくねっ! 君は?」

騰波ノとばのめいです。一年です」

「はいはい鳴ちゃんね、一年生ねぇ……」


 意味深に騰波ノの名を呟いた後、両方の目元が鋭くなった。気のせいかぼんやりと赤みがかった眼光で見つめられると、つい裸を見られているかのような気になった。

 顎に手をやってぶつぶつと小言を呟きはじめる。先程とは打って変わった両方の人柄に、騰波ノは首をかしげる。

 物書きとは、こうしてすぐさま自分の世界に入り込んでしまう変わり者の集まりなのだろうか。


「あ、あの……」

「……中性的で端正な顔たち。少し掠れた声。靄のかかった扉。どっちつかずな良心から平凡な役を演じる道化。ううん、いや、君は道化とは少し違うみたい。霞んだ色だ。まるでか何かにとり憑かれたみたいだね……」

「は?」


 ドクン、と動悸がした。両方の表情と言葉には、人の心の割れ目に入りこんでくるナイフのようでとても恐ろしく感じた。

 決して顔に出さないようにと騰波ノは念じた。


「はぁぁ一年生かぁ。懐かしいね」


 両方は元に戻っていた。表情も言動も雰囲気も、さっきまでの柔らかいものに戻っている。


「必修試験は色々大変だろうけど頑張りなよ」

「必修試験?」

「うんうん。分かる分かる、分かるよぉ鳴ちゃん! その気持ち。だっていまの私も〆切だらけだもん。あぁ! 〆切。そうだよ。というわけでまたね鳴ちゃん」


 会話もままならぬ状態で勝手に納得した両方は、桃型のお尻をプリプリさせながら元気に校舎へと走って行った。

 途中で何かを思い出しように騰波ノへと振り向き。


「あ、介抱してくれた恩は忘れないよ。またねぇ。チャオ~」


 再び腰を振りながら桜の並木通りを抜けていった。

 騰波ノは苦笑交じりに片手を振る。


「革命、か」


 騰波ノは昨日の入学式を思い出し、無意識のうちに呟いていた。

 気付けば桜の並木通りも人数が少ない。予鈴が鳴りそうだ。

 自分も走ろうと騰波ノは、最後にベンチの影を見やる。ゲロがあった。

 あまり気持のいいものではなかったが、足を使って軽く土で覆うことにした。すぐに校舎へと走る。ちょうど予鈴が鳴った。


 ☆


 学院長が教壇から立ち去り、そのまま始業式に移行する。

 数人の教員が、教壇で社交辞令を話し終えた頃。


「しょれでは、最後に毎年恒例でありましゅ、学年別テーマを発表します。制作は、同グループの千集院アニメ専門学園の生徒さん達にご協力して頂きましゅた。ご覧くだしゃい。どうじょ」


 学院長が去って少し緊張の糸がほぐれたのか、どうやら司会も順調そうだ。

 教壇の後ろに巨大スクリーンが舞い降りてきた。ホール内の明度がゆっくりと落ちていく。

 やたらと爆発演出の凝ったアニメが始まった。辺りは火災でもあったのか、町は燃えボロボロだ。

 おそらく学院長をモチーフにしたのだろう色黒肌の金髪オールバック、真っ赤なスーツにデフォルメされた二次元キャラが、魔物を片っ端から素手ごろで殴り倒していく。


『シャァアアアアアアアッツ‼』


 蜥蜴風な魔物が三匹、学院長に襲い掛かる。


「フッ、弱い」学院長の声が吹き込まれていた。


 学院長は魔物を真正面から殴り飛ばし、空の彼方へと吹き飛ばした。


「弱い……弱いぞ……うがっ⁉」


 油断しきった学院長は、背後から迫ってきたドラゴンの尻尾に叩き飛ばさる。意識が朦朧とするところにドラゴンがトドメの火球を放とうとしたときだった。


「ヘイ、ダーリン!」金髪のスタイル抜群アメリカ美女風が自家用ジェットで飛行しながら投げキッスを放つ。


「oh……マイハニー」


 ゆらゆらと揺れるマイハニーのハートマークは学院長の傷を癒した。


「サンキューマイハニー……オオオォォォッツ‼」


 立ち上がった学院長は、ドラゴンを燃える拳で殴り飛ばした。


「フッ、てこずらせやがって。この私を本気にさせるなら数より質だ、わかったか!」


 やがて学院長が吹き飛ばしたドラゴンが、宇宙を一周して帰ってきた。画面がクラッシュし、暗転。

 ゆっくりと燃えた文字が浮かび上がってくる。


 一年【自覚と現実】


 燃えた文字が鎮火。暗転。

 水飛沫が派手に弾けた演出でアニメがはじまる。

 学院長は海中の中で座禅を組み瞑想していた。そこに三人の美女マーメイドが学院長の周囲を群がり、身体を押し当てたりしながら誘惑しはじめる。

 一人はあのマイハニーだ。

 誘惑に対して学院長は無視を決め込んでいる。すると呆れたマーメイド達が突如、鮫型の魔物へと化けた。魔物は巨大な顎で学院長を噛みちぎろうとする。

 学院長の閉じていた口元から呼吸泡が漏れた瞬間、力強く目を見開いた。気づけば鮫型の魔物たちは、学院長に殴り飛ばされて死んでいた。

「ふぅうう……」と呼吸を整えなおす学院長。


「雑念を払い、呼吸を整え、思考を研ぎ澄ませ。来たるときの為に備え、その一瞬を必ず逃すな、諸君」


 再び学院長は海中で座禅を組み瞑想。暗転。ぶくぶくと水泡が集合し文字を形成していく。


 二年【機転と覚悟】


 水泡文字は霧散。暗転。

 風が盛大に吹きつけた演出がはじまる。

 満月の下、数多の屍が地面を埋め尽くす。多くの者が叫びあう声。血しぶきが空を舞う。


『あいつを殺せ!』兜鎧を身に纏い刀を持った百人の兵士達が、真っ赤なスーツ姿の学院長に襲い掛かる。学院長はクールに金髪のオールバックを整えていた。


「……よくここまで生き残った。もうお前たちには余計な言葉は不要。分かるだろう。なぁ、楽しめよぉお前たち‼」


 学院長は百人の兵士にのみ込まれた。静まり返る静寂――。

 兵士たちが数人吹き飛ばされた(一人はマイハニー)。

 血だらけの学院長が、狂った笑みを浮かべながら兵士たちを、一人残らず素手で叩き潰していく。

 画面が切り替わる。積み上げられた屍の山の頂点で、学院長が高らかに笑っていた。

 暗転。風が糸のように文字を紡ぎ出していく。


 三年【革命】


 風の文字が吹き荒れ霧散し暗転。ホール内が薄っすらと明るくなっていく中、呆気に取られた新入生。

 上級生たちはざわざわと騒がしくなる。その中には、エンドロールを見ずに勝手にホールを後にしている者もいた。


「こ、これにて閉幕とさせて頂きまっす。ありがとうございました」

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