閉鎖された道の先

如月しのぶ

閉鎖された道の先

 それはまだ、小学校に通学していた時の話。


 帰り道。

 一人、また一人と別れて、とうとう一人きりになってしまった。

 ここは、農業、畜産、林業くらいしかない山村。

 その中でも、僕の家は一番山奥にある。

 だからこれは、いつもの事。

 

 帰宅するために山道を登る。

 分かれ道に差し掛かった所で、道路の奥から、かすかにエンジンみたいな音が聞こえて来た。


 でも、音がする方の道路はバリケードと鎖で閉鎖されている。

 家へ帰る道は、一車線の荒れた山道。

 閉鎖されている道路は、対向二車線の立派な道路。

 どちらかと言えば帰り道の方が、廃道みたいだ。


 立派な道路の方が閉鎖されているのには、訳がある。


 幽霊の目撃があいつぎ、通る車が次々と大事故を起こした。

 などと言う話は、これっぽっちもない。

 ただ、私有地で行き止まりなのだと聞いた。


 昔、レジャー会社が何かの施設を運営していたらしい。

 その後、会社が倒産してしまい、それ以来この道は閉鎖されている。

 だから、入ってはいけないとも言われている。


 それでも、音の正体を確かめずにはいられなかった。

 もしかしたら、レジャー施設、遊園地を再び作っているのではないか。

 期待とワクワクがもう止まらない。


「あした学校でみんなに教えてやるんだ」


 僕は鎖をくぐり、道の中へと入って行った。


「おぉーいっ」

 後ろから呼び止められた。


「しまった。見つかった」

 怒られるのを覚悟して、恐る恐る振り向く。


 バリケードの所にいたのは、人とは違う何かだった。

 僕にはそう見えた。

 腕のような物を、こちらに向けて振ってくる。

 人間の形をしたような、何かだ。

 身体は棒きれのようで、その姿は陽炎のようにユラユラと揺れている。

 そしてそれは、ヤツはゆっくりと近づいて来る。


「ぅおぉーいぃ」

「うわあぁぁぁぁ」


 バケツいっぱいの恐怖を、頭から浴びせられ、道の奥へと走り出した。

 家には帰りたい。

 でもそのためには、ヤツ、化け物の横を通り抜けなきゃいけない。

 何をされるか分からない。

 無謀な賭けは、怖すぎてできない。

 それよりも、奥から音が聞こえて来る。

 だったらそこに誰かいるはずだ。

 音の主に、助けを求める方が怖くない。


「うわあぁぁぁぁぁ」

 奥へ奥へと走って行く。

 怖いモノを見たくないという臆病風で、いつの間にか目をつぶって走っていた。

 それがどれだけ危ない事なのかなんて、考えもしない。


ガシャン!


 案の定、何かにぶつかった。

 フェンスだ。

 命拾いをした。


 若くて、長い黒髪のきれいなお姉さんが、驚いた顔でこっちを見ている。


「おっ、おば、おばっ、おばけー」

「えっ、なに、私が」


 ヤツにおびえ、何度も何度も後ろを振り返る。

 その姿を見て、お姉さんはすぐに気付いてくれた。

「ほんとはダメなんだけど、内緒ね」

 唇の前に立てられた人差し指の右手で、僕をフェンスの中へと招き入れてくれる。


 そこは、小さなレーシングコース、サーキットだった。

 かすかに聞こえていた音は、レースバイクのエンジン音だったのだ。


 サーキットコースを走るライダーに、サインボードを出すための場所、プラットホーム。

 そのプラットホームと呼ばれる場所から、サーキットコースのすべてが見渡せる、そんな平坦な小さなレース場だった。


 今はレースをしているのでは、ないらしい。

 それでも何台かの見た事もないバイクが、抜いたり抜かれたりしながら走っている。

 音はかなり、けたたましい。

 だから分かれ道まで聞こえて来たのだ。


 サーキットコースから、プラットホーム、ピットロード、ピットと呼ばれるマシンを整備したりする場所を隔てて、僕はピット裏とか、パドックと呼ばれている場所に居る。

 そこで椅子に座り、紙コップで麦茶を飲んでいた。


 お姉さんに、さっきの怪奇現象を話していると、ピットに一台のバイクが入って来た。

 お姉さんはすぐに駆け寄り、パイプでできたスタンドを後ろからバイクの下に差し込む。

 後は自転車のスタンドと同じように、車体を後ろに引いて立てた。

 レースのバイクはああいう風に立てるのか。

 納得していると、ヘルメットを脱いだお兄さんがこっちへ来る。


「だれ、この子」

 コースを走っていたお兄さんは、今までの事を知らない。

「やぁーね。あなたと私の、こ、ど、もっ」

 くすくす笑うお姉さんに、またかーと言う困った視線を、僕に向けた。

 また最初から、さっきの怪奇現象を話すことになった。


「おいおい、マジかよ。でもこのサーキットで人が死んだ事なんて一度もないぞ」

「あー、私も聞いた事ないなー」

「でも本当に居たんだって」

「わかったわかった。エンジン冷えたら、帰るついでに車で送って行ってやるから、それまで待ってろ」

「良かったね」

 ちょっと怖そうなお兄さんは、かなり良い人だった。


 バイクのエンジンが冷えるまでの間、お兄さんはバイクレースの事を熱く語る。

 その横でお姉さんもニコニコと笑っている。

 僕はちんぷんかんぷんだ。

 知らない言葉も多すぎる。


「えーっ。知らないのか。は、ち、た、い。鈴鹿8時間耐久オートバイレース。二人のライダーが交代で八時間走る、あれだよ」

「あれってどれだよ、知らないもんねーっ」

「8月の最終日曜日の夜に、スポーツニュースとかでもやってるだろ」

「子供はもう、寝てるもんねーっ」

「翌日のニュースとかでも、少しはやるだろ」

「まだ、ニュースなんか見ないもんねーっ」

「お前なぁ、なんでお前が答えるんだよ」

「だって、困ってるじゃない。知らないこと聞かれて」

「もういい。それでもいい。それでも俺は勝ち上がって8耐に出るんだーっ」

「駄々っ子かっ。困ったおじさんでしょ」

「まだ十代を、おじさん言うなっ」

 お姉さんは、くすくす笑ってるけど、僕の耳にはあの声がまた、聞こえ始めていた。


「おぉーいぃ」


 お姉さんにも、お兄さんにも、あの声は聞こえていないみたいだ。


「おぉーいぃ」


少しずつだけど、確実に追いかけて来ている。


「ねぇ、まだ冷えないの」

「悪いな。まだ車に積めるような温度じゃねぇよ」


 サーキットコースの向こうに、ヤツの姿が見えた。


「わあぁぁぁぁ」

「怯えないで。大丈夫だから。みんなついてるから。そういうのは、怖がれば怖がるほど、付け込まれるから。気を強く持って」


 お姉さん達には聞こえていないし、見えてもいない。


「この恐ろしさが分からないんだ。来る。ヤツが来る。わあぁぁぁぁぁ」

「落ち着けっ。弱気になるな。俺がなんとかしてやる」

「おぉーいぃ」


 とうとうレース場に入って来た。

 サーキットコースを横切って来る。

 気付いていないバイクレーサー達は、今もサーキットコースを走っている。

 バイクとぶつかっても、お互いスッとすり抜けるだけで、何も起こらない。


「おぉーいぃ」


 バイクはすり抜けられても、プラットホームのコンクリートウォールはすり抜けられないみたいだった。

 ヤツは迂回を始めた。

 お兄さんは、全然別の方向を見ている。

 あぁだめだ。

 僕はもう動くことができなかった。


「おぉーいぃ」


 ヤツの周りは空間が歪んでいる。

 だからヤツの体も、ユラユラ揺らいでいるのだ。

 もうそれが分かる位、すぐそばに居る。

 お兄さんは、僕の正面に立ちはだかってくれている。

 でも、そっちじゃないんだ。

 お姉さんの手が、僕の肩に添えられている。

 二人にはヤツが見えていない。

 ヤツは横から僕の顔を覗き込んでくる。


「おぉーいぃ、ハヤトこんなトコで何しとるが」

 サーッ。

 まるで砂を落したようだった。

 今まで見ていた周りの景色が崩れ落ちた。


 ここにはもう、お姉さんもお兄さんもバイクレーサー達も、その仲間たちも居ない。

 僕とじいちゃんだけだ。

 レース場の土の部分には、草が生い茂り、サーキットコースのアスファルトはひび割れて、隙間からも草が伸びている。

 施設や設備だって言うまでもない。

 僕はじいちゃんの手に引かれ、家へと帰る。


「お前は、わしの事が分らんかったか」

「うん、お化けに見えてた」

「ほーか。危険な所じゃないで、怒りゃせんが、道や言うても他人様の土地に断りもなく、ずかずか入るもんじゃねぇ」


 それ以上、じいちゃんは何も言わなかった。


 家に帰ってしばらくすると、今度は父ちゃんが笑いながら話しかけて来た。

「ハヤトお前、あの廃レース場で幽霊見たんか。あそこでは誰も死んどらんぞ。そんなトコでも出るもんかねー。寝ぼけてたんだろ」

 父ちゃんは全く信じていない。

「そうそう、幽霊は出んかったけど、結構有名なバイクレーサーが出たって話は、聞いたな。8耐とか言うレースにも毎年出て、いい成績残しとるはずや」


 あのサーキットに居た人達は、幽霊ではない。

 その事を知るのに、そんなに時間はかからなかった。

 あれは、あそこで夢を追いかけていた人達の、情熱の残像だったのだ。



 しばらくして、廃レース場がリニューアルオープンした。

 その、新しいオーナーが、あのお兄さんだったのだ。

 ただ、あのお兄さんは、おじさんになっていた。

 おじさんは、大島さんと言った。


 大島さんは、本当にプロレーサー、トップレーサーになっていた。

 そしてその人脈を生かし、資金を集め、債権者からレース場の土地を買い取ったのだ。


 新しいレース場は、昔のサーキットコースの雰囲気を残していた。

 その上で、正式なバイクレースの地方選手権ができる規模に改修してある。

 自分が育ったレース場を、もう一度復活させたのだ。

 

 レース用のバイク、部品、用品の購入、整備の依頼ができるショップをオープンさせた。

 プロレーサーを目指す若者達にノウハウを教える、レーシングスクールを開校した。

 レース活動をサポートする、レーシングクラブを開部した。

 大島さんは、レースに関する事業を次々と起こした。

 このサーキットから再び、大島さんに続くトップレーサーを輩出するために。


 その目標は、意外に早くから達成された。

 レース界で活躍する選手が、次々と巣立っている。

「俺は、世界で活躍するライダーを育てるんだ。まだ基礎が出来たにすぎない」

 大島さんの目標は、まだ先らしい。


 僕、いや俺もその基礎の一人になれた。

 いくつかのレーシングチームから、オファーも来た。

 それでも俺は、大島さんのクラブに残った。

 正直、契約金は一番少なかった。

 それでも、8耐では、オートバイメーカーからワークスマシンの貸し出しを受ける、有力チームではある。


 俺は、あの時お兄さんが熱く語った、8耐、鈴鹿8時間耐久オートバイレースを、見てみたかった。

 あれからずっと、忘れられなかったのだ。

 一つ残念なのは、できれば大島さんと一緒に走りたかった。

 けど、もう現役を引退したおじさんなので仕方ない。


 俺の見たあの景色は、残像だったのだと思い知らされる。





「さあー、いよいよ最後のライダー交代のために、次々とマシンがピットロードに吸い込まれていくー。鈴鹿8時間耐久オートバイレース、ドラマはついに最終章に入ったー」


 けたたましい場内アナウンスが、回想に浸っていた俺を現実に引き戻した。

 大島さんの奥さん、チームマネージャーに呼ばれる。

 もちろんあの時のお姉さんだ。

「体調は大丈夫」

「OKです。十分行けます」

「あと三周したら、ライダー交代だから」

「準備はできています」

 大島監督からも指示が出る。

「俺達だって、メーカーからワークスマシンの供給を受けているトップチームだ。自信を持って行け。それに、トップグループに何か有ったら、表彰台も狙えるポジションにだっている。チャンスが有ったら、行け」

「はいっ」

「楽しんで来いよ」


 プゥアァーン。


 マシンがピットロードに入って来た事を知らせるホーンが、けたたましく鳴り響く。

 チームメイトが帰って来た。

「マシンに異常なし。路面クリアー。行ってこい」

 背中をバンと叩かれて、チームメイトから預かったマシンを走らせる。


 速度制限があるピットロードを抜け、コースイン。

 小説なら全開で1コーナーに飛び込んでいくところだ。

 だが実際には、1週目は路面の状況を確認しながら、慎重に周回する。


 立体交差を抜けて、ヘアピンコーナーが見えてきた所で、正面の観客席が目に入った。

 そこに、応援に来ていたうちの姉ぇちゃんを見つけた。

 姉ぇちゃんは、恥ずかしげもなく、大きなジェスチャーでひときわ目立っている。

 ヘアピンコーナーの内側に設置されている、大きなモニターを見ろと、命令してくる。


 ちらっと横目で見た映像は、二位のマシンがコース脇に止められ、一位のマシンがスロー走行をしている所だった。


「トップグループに何かあったら、表彰台だって狙える」


 どうやら本当に見えてきた。

 もう、前の順位を走るマシンの後ろ姿が、コーナーを抜けるたびに、ちらちらと見えている。

 確実に追いついてきている。

 さっき見た一位と二位が、早々に復帰して来なければ、トップは俺と同じ周回数だ。

 チャンスは、ある。


 プラットホームから出されるサインボードを確認する。

 トップのマシンとの差も、確実に縮まっている。

 追い付くのは時間の問題だ。 


 サーキットが薄暗くなり、ライトオンのサインが出てから、一気にトップに追いついた。

 山育ちは夜道が得意なのだ。

 当然、みんな目をつぶってでも走れる位、コースを熟知している。

 それでもレースになれば、刻一刻と変化する路面状況。

 周回遅れのマシンの処理。

 コース脇で振られる、フラッグの確認。

 フラッグは、見落としてルールを破れば、ペナルティーだってある。

 トップのライダーと、俺の処理能力の差は歴然だ。


 もう、優勝は目の前だ。


 トップのライダーも俺の事を意識している。

 コーナーごとに横に並びかける。

 無理をして前には出ない。

 こうしてプレッシャーをかけてミスを誘う。

 ミスを突けば、少ないリスクで前に出れるのだ。

 聞こえはしないだろうが、声の一つも掛けてみる。


「おぉーいぃ」

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閉鎖された道の先 如月しのぶ @shinobukisaragi

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