あなたに私の全てをたくします

佑々木ぴょん子

あなたに私の全てをたくします

 雨が降っていた。スカートとブラウスが濡れて皮膚にはりつく。

 涙が頬を伝る。だが、それはすべて雨によってかき消された。痛い。叫び声が頭の中を木霊こだます。それがどれだけ、悲しく、むなしく、切なく、恐ろしい声でも人は怪訝な顔をすこともなく通り過ぎて行った。そうだ、誰かが叫んでいるのではない。私の心が叫んでいるんだ。

 「母さん…」

 私はもう消えそうな人影を見つめる。追いかけたい、だが、もう追いかけられない、私には母さんを引き留める力はない。だって、彼女は私を捨てたんだ、彼女は私でないこどもを選んだ。

 別に恨んでいるわけではない。怒っているわけでもない。ただ、悲しいんだ。

 (香帆、ただいま)

 そう言ってあの背中が振り返り私の元へ帰ってきてくれないと思うと。

 (お腹すいたー、香帆、ごはんまだー)

 私を急かしてくれる声がないと思うと。

 (香帆)

 そう言って私の名前を呼んでくれないと思うと。

 (香帆は私の元気の源~)

 そう言って私を抱きしめてくれないと思うと。

 私は雨にうたれる。雨が降っていてよかった。誰にも泣き顔を見られることはないから。

 「あのー」

 人の声がする、気がする。どうせ気のせいだ。

 「あのっ」

 気のせいではなかった。中学生に見えるほど小柄な女性が私に声をかける。

 「はっはい」

 「これ、さっきすれ違った人があなたにって」

 彼女は私に傘を差し出した。透明なビニール傘だ。

 「その人って、どこに行きました」

 「えーと、あっちの方角だと思いますけど」

 彼女が指す方角は母さんが消えていった方角。

 「ありがとうございます。」

 「あのっ、傘」

 傘をおいてわたしはその方角にむかって走った。ありえないことだ。でも、もしかしたら0、01%の可能性でもあるのなら、私はそれにすがりたい。母さんがまだ私を捨てていない可能性を。

 私は走った。郵便局の角を曲がり交番も通り過ぎる。この先には交差点がある。あっ丁度いま赤信号になった。ラッキー。私はグルリと辺りを見回す。だが、そこには人も車も数えるほどしかいない。だが、徐々に走るスピードも落ち、最後にはこの場所でただ一人呆然と立つ。なにがラッキーだ誰もいないじゃないか。目的の人はもういない。いないんだ。私は捨てられた。捨てられたんだ。自覚しろ。例え少しの可能性があったとしても、すがったとしても意味がないんだ。現実はもう変わらない。

 脈拍が早い、胸がくるしい。

 「だいぶん…傷ついているのかな」

 訳も分からなく私は無理やり笑顔を作った。


            ◇ ◇ ◇


 もう、あれから1ヶ月がたつ。私は学校の屋上でドアの前に座る。放課後、夕焼けの空を見にここ一ヶ月通っていた。

 屋上、それは孤独と静けさのかたまり、だがそれは私にとっては自然と心地よいものであった。それに教室にいるとなぜか自分らしさが保てない。だから屋上はいい。

 「ここから飛び降りたらどうなるのかな」

 それでも、孤独はつらい、なので少し声に出してみた。意味のない事を口に出したものだ。だが、少しだけでも時間が経つにつれてそれが必然であるようなきがした。私は風に逆らいながら前に進み屋上のへいに手をかける。

 「それすなわち天命」

 我ながら意味不明なことを口に出す。私は塀に足もかけてみる。1メートルちょっとの高さなので容易にまたぐことができた。さわやかな風が吹く、気持ちいい。

 もう一歩踏み出せば私は、自由だ。

 「ストップ、ストップ」

 ドアの方向から声が聞こえる。まぁ、どうでもいいけど。

 「ちょっと待って」

 「すばらしい演技だけど君、矛盾しているよ」

 「なぜ、飛び降りたらどうなるのかな~から天命がなんとかで、この世とサヨナラしちゃうわけ」

 誰かがしゃべりながら近いづいてくる。誰もいないはずなのに。

 でも、もうダメだ、後戻りはできない。私は自由になるんだ。怖くないのに怖い、生きている者は死に対する恐怖が強いのかな。

 バイバイ、私のお母さん。あっでも、もう母さんじゃない。

 なぜか涙が止まらない、あーあ私って泣き虫だな。


 私は空気に何もない空間にもたれかかる。


 だが、私が想像していたことは起こらなかった。腕が強く掴まれる。

 「離して」

 「だから、ちょっと待てよ」

 私の声がヒステリックに響く。掴むその手は声と力からして男だろう。だが暖かい、人の体温を感じる。彼は生きているんだ。

 「そして君も生きている、だから待つこともできるだろ」

 なんでコイツ私の考えていることがわかるの?でも、そんなのどうでもいいんだ。どうでもいいんだ。だから…。

 「ちがう、私は死んだ。生きる理由も意味もない、ただ空っぽな入れ物なのよ」

 「違う、君は空っぽじゃない」

 彼が力強く私に向かって叫ぶ。

 「あんたに私の何がわかるの」

 微妙な体勢から彼を見上げる。

 「やっと目を合わせたな」

 汗だくな彼は二カッと笑顔を作る。私は少し驚いた。彼はなんとなく秀麗な顔立ちをしていて背は高いが痩せぎすだ。私はこんな瘦せている男にさっきから支えてもらっていたのか?急に我に返ったのか、今まで自分が向こう見ずだったのかいきなり今の状況が恐ろしくなった。

 「キャー」

 この高さに本当の恐怖を覚えたのか、頭の中がパニックになる。

 「暴れるなよ、お前結構重いからな」

 「失礼ね。引き留めたのはあんたでしょ、責任もってよ」

 「えー、そんな事を言うなら、…手、離すぞ」

 低い声で脅すように言ってきた。

 「そんなことしたらあんた殺人罪の罪になるわよ。人でなし」

 「で、君、今はどうなの?」

 彼が叫ぶ息が荒い。

 「はあ、どうって」

 「生きたいの?」

 生きたくはない、でも生きたい、だから助けてほしい。死ぬのは怖い、怖いんだ。

 「生きたい、だから、たすけて」

 言ってしまった。本当にもう後戻りはできない。

 「言ったなー、よし」

 腕をつかむ力が強くなり、私は引き上げられる。その時見た空はなぜか輝いて見えた。


            ◇ ◇ ◇



 「はー」

 すごいため息をつき二人共座り込む。

 「結局、私はどうすればいいのかしら」

 横で背伸びをしている彼を疑わし気に見た。そして、問う。

 「で、あんた一体何が目的?」

 私が聞くと彼はもう一度伸びをして口を開いた。

 「よし、ではでは」

 『よっこらせ』と立ち、背筋を伸ばす。

 「本当のことを言おうかな」

 やっぱり、裏があったんだ。こんなことするなんて普通は、そうよね。思いつくのは金、かしら。

 「私、あまりお金持ってないの」

 「いやいや、違うって」

 「ごめんなさい、必要なお金はバイトでかせぐから」

 「香帆」

 「とりあえず、必要な額だけいって」

 「山本香帆さん」

 「あんた、なんで私の名前を」

 彼は私の肩をつかむ。力強い、痩せていても男は男だなと変なところで自覚する。

 「君が好きです。つきあってください」

 「はあああ!」

 「ずっと好きだった、出会った時から」

 いや、待て待て会ったの今日だろ。

 「ちょっと、まって。私たち会ったの今日が初めてだよ」

 「いや、違う」

 分かった、コイツはバカだ。多分、コイツは一目ぼれした人と私を勘違いしたんだ。そうだ、思春期の男子の典型的なアレだなアレ。でも、コイツ私の名前知って…、まさか同姓同名。

 私の疑わし気に見る目つきに呆れながら言う。

 「だーかーらー、俺が一目ぼれしたのはアンタ。同姓同名とかじゃなくてアンタ」

 そう言うと彼は私の頬に口づけをした。

 「これでどうだ。好きでもないやつにこんな事するか、普通」

 私と彼は顔を真っ赤にする。

 「あんたが真っ赤になってどうすんのよ」

 「いや、初めてだったんだよ。てか、普通みんなこうなるだろう」

 「え、なるの」

 「え、ならないの」

 お互いの顔を見て二人共笑いだす。

 「わかったわ、話し聞いてあげる」

 「このままじゃ、アンタただの変質者になるわよ」

 「そうだな。じゃぁ、話させてもらう」

 彼の顔が少し険しくなる。

 「お前一ヶ月前に森林駅で泣いてただろ」

 「なんでそれを」

 「俺、見てたんだ。お前が子供ずれの女の人に声をかけて女の人が『ごめんね』って言って離れていくの。お前とその女の人めっちゃ目元が似てたからわかったんだ。たぶん、お前のお母さんだって。まぁ、状況から察するに大体わかった、色々な。お前のことはその前から知ってた。知り合いがとても美人な下級生がいるって言ってたから」

 「俺の話はこんなもんだ分かったか」

 「で」

 「何か質問」

「あなたは私のどこが好きなの。ないでしょ、聞いてるとアンタが興味があるのは私の顔ぐらじゃない。でも、それもきっとお世辞でしょ。私がかわいそうだから好きってわざわざ言ったんでしょ。キスも。そんなんでしょ、例え私が付き合うって言ってもどうせすぐに捨てるでしょ、本当に好きなの子を選んで、みんな私から離れて、離れて、私はもうこのことで絶望したくないの。」

 彼は私の顎を強引につかみキスをしてだきしめる。

 「辛かったんだな、大変だったな」

 「でも、これだけは言わせてくれ、お前にとっては俺はあったばかりのセクハラ男かもしれない。でも、俺は香帆、お前が好きなんだ。いつも遠くから見てた。お前が辛い思いしながらも友人達の中で必死に笑顔を作っていたことも。ほかにも色んなことを知ってる、簡単に言えば俺はお前のストーカーのようなものだ。だが、もし許されるのなら、お前の苦しみを分かち合いたい。俺はお前を捨てない。」

『俺はお前を捨てない』初めて言われた。母さんにさえも言われなかったことを。彼は言ってのけた。あー、水仙のにおいがする。確か花言葉が『神秘』だっけ、私の前に現れた神秘的な彼。彼の事は何も知らない。でも、彼にストーカーに変質者にセクハラ男に私の命を救ってくれた人に私の全てをたくしたい、私はバカだな。初めて会ったひとにこんなにも、誰にも話さなかった思いを伝えることができたなんて。

 「あなたの名前は」

 「宮木樹」

 「私はあなたに私の全てをたくします。ストーカーさん」

 「ひでぇな、ちゃんと名を名乗ったから名前で呼んでくれよ、安心しな、お前を助けた責任をしっかり果たすよ」

 私は彼をみつめ、彼も私に目を合わせる。

 「あなたは私のストーカーだから色々知ってたかもしれないけど、私はあなたのことを何も知らない」

 母さんぐらいにしか見せた事がない本当の笑顔を作り、話し続ける。

「だから、樹のことも教えてね」

 「いいぞ」

 「もう一度あの言葉言って」

 「ん?あー、俺はお前をすてない」

 「ありがと、あなたに私の全てをたくします」

 わたし達はしばらくの間、抱きしめあいお互いのことを語り合った。





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あなたに私の全てをたくします 佑々木ぴょん子 @mutuki47

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