第30話:決意

 美鈴の家からの帰り。

 彼女の髪に触れた手が、温もりを残している。


 それは夕方の時間だというのに、まだ太陽の光を残しているのと同じように、いつまでも熱を持っている。


 眠りにつこうとする美鈴はとても柔らかい笑みを浮かべた。それは言うなれば、夏の日差しの陽炎かげろうのようで心に残したいのにあわく消えてしまう。

 その消え去る陽炎を抱き締めるように、片手を胸に当てる。


 好きだ。

 それは、今までのような辛い胸の痛みをともなわないとても暖かな光。


 今日の美鈴は朝から今まで一度も見たことのない顔を見せていた。

 柔らかい笑みを浮かべて俺は自然と息を静かに深く吐く。

 思えば俺は1度としてその恋の残滓ざんしを掴もうとした事があっただろうか?


 大っ嫌いな恋から逃げるばかりで、本気で好きな人に向き合う事が出来ていただろうか?


『のぼる〜……』

 甘えるような美鈴の声を想い出す。


 初めてかも知れない。

 この恋を本気で欲しいと思ったことは。


 うしなうばかりで一度として叶うことも無ければ叶える気にもなれない、大っ嫌いな恋に向き合う事を。


 どれだけ辛かろうが。

 どれだけ痛かろうが。

 どれだけみじめだろうが。


 それでもこの手に抱きたい存在を俺は知ってしまった。


 半年以上前、俺の部屋で目覚めた時に見たほんわかして全体的に柔らかい雰囲気の美鈴。


 本気の感情をぶつけ気持ち悪がられるかも知れない。怖がられるかも知れない。何より嫌われるかも知れない。

 ……友達としてすら一緒に居ることは出来なくなるかもしれない。


 文化祭の時、立山が美鈴を抱き締めていたのを見た時、本当は狂い出しそうなほど嫉妬した。


 朱音の相談に乗った時、簡単に告白しろなんて言ったけど、出来ないと言った朱音の気持ちが今なら分かる。

 怖いな、完全に失ってしまうのが。

 失恋よりもずっと怖い。


 谷田が助けてくれと俺に言ったことも分かる。心に決めた事でも大丈夫だと背を押してもらいたくなる。


 宝生院先輩は私が私でありたかったからと言った。あの人は強い。本当に強い。どんなに無様ぶざまに見られようとあの人は立ち向かったんだ。

 君咲も言っていた。彼女は良い女だと。惚れた相手にそう認められることはどれだけほこらしいことだろう。


 俺も、そうありたい。

 心からそう思う。


 傾きかけてはいるが、それでもまだ明るい太陽を見る。

 それは金色の華が輪廻を表すように光となり、空へ、上へと広がるかのように反射して。

 それはまるであの日の君咲の絵のように。

 あの日、あの絵の下で終わらせることだけを考えた。


 今日の朝、美鈴が見せた満面の笑みを想い出す。

 どんなに無様だろうと俺は美鈴が欲しい。大切に、共に生きていたい。


 そのためなら。

 そのためなら!


 ……大嫌いな恋にだって、立ち向かってやろう。


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