Ⅹ 安息の地(1)

「……へへ……ジョルディーヌが言ってた……己に返ってくる云々うんぬんってやつか……ハァ……ハァ……狩ってた俺の方が……今度は狩られる側になっちまうとはな……ハァ……ハァ……」


 まさに怪我の功名・・・・・と咄嗟の機転により、ギリギリで死地を脱したリュカは夜の森の中を懸命に逃げていた。


 あの場所からどれくらい離れたであろうか? どうやら追ってくる気配はないし、ここまでくればもう大丈夫そうだ。


 だが、この傷では最早、助かる見込みはない……命が尽きるのも時間の問題であろう。


「……ハァ……ハァ……こんなとこで……くたばってたまるか……」


 それでも、腹と腕に走る堪えがたい激痛に堪え、荒い息遣いで傷と口から大量の血を吹き出しながら、リュカはなおも必死で足を動かす。


「……ハァ……ハァ……せめて……せめてアンヌの近くで……」


 もうずっと以前から、リュカは死を恐れてなどいない……否、あえて生き長らえようとすら思ってもいなかったりする……アンヌを失ったあの時から、すでに生きる意欲を失っているのだ。


 だが、せめて死ぬ時ぐらい、妹の墓の傍で息を引き取りたい……それが唯一、今の彼が抱いている些細な願望なのである。


「……ハァ……ハァ……なんとか……間に…合ったか……」


 そんな些細な願いをかなえるため、普通ならとうに動かなくなっているはずの肉体を気力だけで動かし、無限にも感じられる長い時間、ただひたすらに森の中を進んで行くと、神がその願いをお聞きいれ賜うたか? ようやく見慣れた灯りが焦点の合わなくなった狼の眼に映る。


 アンヌの遺体がとなりに埋葬してある、あの魔女ジョルディーヌの小屋の灯りだ。


「……アンヌ……兄ちゃん…なんとか帰って……来れ…たぞ……ハァ……ハァ……」


 嵐の夜の灯台の如く、目印のようにして暗闇に浮かぶ暖かな橙色オレンジの光を真っ直ぐに目指し、リュカは最後の力を振り絞ってゆっくりと近づいてゆく。


「――そっかあ。それじゃあ、僕の求めている魔導書・・・とはだいぶ違うものなんですね」


「ああ。〝影の書〟はいわば個々人の魔女の備忘録のようなもの。それに同じ魔術でも、そもそも我らの〝魔女術〟とそなたらの召喚魔術とでは方法論からして異なるからの」


 ついにアンヌの墓の前までたどり着くと、小屋の中からはそんなジョルディーヌの誰かと話す声が聞こえる……相手はなにやら少年のような、えらく若い声をした男のようだ。


 ……なんだ? 珍しく客か? ……いや、珍しくもねえのか。俺みてえに魔女の薬買いに来るやつがいるだろうからな……ま、せいぜい|俺の二の舞・・・・・にならねえよう気をつけな……。


 彼女達の会話に三角形をした耳をそばだて、リュカはそんなことを思いながらアンヌの墓の前に仰向けに倒れ込む。


 そういえば、ジョルディーヌの声を聞くのもずいぶんと久しぶりだ。


 たまにアンヌの墓には森で摘んだ野花を手向けに来ていたが、なんだか気恥ずかしいような気がして、あえて彼女の寝ている早朝などを狙って訪れていたのだ。


「なんか、故郷でもねえのにここに来ると落ちつくな……ま、ここにはアンヌもいるからな……」


 ジョルディーヌの声を耳にすると、リュカはそれまで無理を強いていた肉体からどっと力が抜け、指一本動かせなくなる反面、なんだかとても安心したような心持ちになる。


「フゥー……あんなに利いてた夜眼が利かなくなってきたぜ……アンヌ、待たせたな……兄ちゃん……今、そっち行く……からな……」


 そして、長い旅路を踏破したかのように満足げな安堵の溜息を大きく吐くと、久々に夜が暗く感じるその眼を静かに閉じ、亡き妹の魂に語りかけながら意識を失った――。

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