Ⅸ 魔弾の射手(2)

「なっ!? ……俺に、当てただと?」


「致命傷を外したか。この状況で魔弾・・をそこまで避けるとは、さすが噂に聞く怪物だな……」


 その衝撃と激しい痛みから転がるようにして着地し、唖然と撃たれた右腕を抑えるリュカの背後でそんな男の声がする。


「くっ…何もんだてめえ!?」


 犬歯をギリギリと噛み締めながらリュカがそちらを振り返ると、闇に包まれた樹々の間からは一丁のマスケット銃を構えた大男が姿を現す。


 くたびれたつば広帽に丈の長い革製のジュストコール……言わずもがな、ヴァンジャック・エルシンギュである。


「なあに、ただの猟師さ……だが、ちょいとおもしろい弾を持っててな。この銀で作った〝魔弾〟には魔導書『ゲーティア』の魔術でソロモン王の72柱の悪魔の内序列8番、〝力天使の公爵バルバトス〟の猟銃の力が宿してある。さすがに明後日の方向へ撃っちゃあ話にならねえが、多少外しても魔弾の方から的に当たりにいってくれるっていう寸法だ。その上、銀でできてるから、てめえら魔性の物・・・・にもよく効く」


 暢気にそんな説明を加えつつ、まだ細く白い煙の上がるその銃口に、胸の革ベルトから外した小筒をヴァンジャックは慣れた手つきで捻じ込む。


 その小筒は弾丸と火薬を合わせたもので、一発づつしか撃てないマスケット銃の連射速度を、可能な限り上げるために彼が考案した工夫である。


「にも関わらず、しかも後向きで致命傷を避けるたあ恐れ入ったぜ。魔弾でも一発で仕留められねえ獲物なんて初めてだ」


「ケッ、また魔導書かよ……そいつは俺達を苦しめることしかしねえな……」


 自分を撃った狩人の説明に、ジンジンと熱を帯び、ドクドクと血の溢れ出す右腕を押さえつけながら、リュカは魔導書とのあまりおもしろくはない因縁を思う。


「だが、俺が撃たれたのはその弾のせいじゃねえ。異端審判士の野郎に気をとられてたし、火薬と香の臭いでてめえが隠れてんのに気づかなかったせいだ」


 しかし、なんとなくその力を認めるのが癪に触ったリュカは、なおもヴァンジャックを睨みつけながらそう言い張ってみせた。


 いや、それはただの出まかせではなく半分は本心である……もしピエーラがここにいなかったならば香の臭いはしなかったし、もっと周囲に気を配り、少なくともヴァンジャックの存在には気づいていたことだろう。


「ああ、その点は否定しねえ。やっぱ好物・・のエサで気を惹いておいて正解だったぜ。鼻の利く人狼に夜の森で気配を消されたんじゃあ、いくら俺でも命が危ねえからな……あ、ピエーラの旦那、ご協力感謝いたしやすぜ」


 すると、意外や狩人はリュカの言葉を肯定し、ようやくピエーラのことを思い出したかのように、地面に横たわる彼の死骸に対しておどけた調子で帽子をとってみせる。


 そう……ピエーラと〝ジュオーディンの怪物〟との間には何かしら因縁のあることを感じたヴァンジャックは、うまいこと言って彼を引っ張り出すと、勘のいい人狼を仕留めるための囮にしたのだ。


 無論、結果を見ても明らかなようにピエーラが命を落とす危険性は充分にあったが、そんなこと、ヴァンジャックにとってはどうでもいい些末な問題だ。根っからの狩人ハンターである彼としては、ただ自分の狩りが成功すればそれでいいのである。


「が、この魔弾の力も本物だ。なんなら、もう一発試してみるか?」


 話をする間にも弾と火薬を槊杖カルカで突き固めて再装填し、火打石の付いた撃鉄を起こして燧石フリントロック式のマスケット銃を発射可能にしたヴァンジャックは、その銃口をリュカに突きつけてそう尋ねる。


「ハン! 目に見える位置にいる野郎の、しかも真っ正面からの弾になんざ当るかよ!」


 利腕に深い傷を負いながらも、それでもリュカは意地を張り、引金に指をかける狩人の眼に殺気の宿るのを察したその瞬間、おもいっきり大地を蹴って左脇へと跳び退ける。


 同時にパーン…! とマスケット銃が火を噴くが、今度は間違いなく、リュカは銃弾を避けられたものと感覚的に理解した。


「……ゴハァっ!」


 しかし、そんなリュカの確信を裏切り、放たれた魔弾はその腹を突き破ると、文字通り土手っ腹に開いた大穴と、牙の並んだその口から大量の赤い血が吹き出される。


 その一瞬前、俄かには信じられないことだが、避けたはずの銃弾が空中でその軌道を変えるのを、リュカはその眼で確かに見たような気がする。


「…グハァッ! ……ハァ…ハァ…ハァ…ハァ…」


「な? 言った通りだろ? けど、心臓狙ったつもりがまた少し逸れたか……それじゃあ苦しかろう。今、楽にしてやるぜ……」


 そのまま地面に落下し、まるで暑い日の舌を出した犬の如く苦しげに激しい息遣いをするリュカを、哀れみの眼差しで見下ろしながらヴァンジャックは声をかける。


「なんか見たことあるような・・・・・・・・・気もするが、銀色をしたいい毛並みだ。安心しろ。おまえの毛皮は俺のコレクションとして壁に飾らせてもらうぜ……いや、玄関に敷くマットの方がいいかな?」


 そして、腰のハンティングソードを鞘から引き抜きながら、リュカの方へとゆっくり近づいてゆく……。


「く、クソ……マットになんか……されて、たまるか……ゴォハァアァァーっ!」


 だが、その槍のような切先を持つ剣を逆手に投げつけようと狩人が腕を振り上げたその時、リュカは予想外の行動に出る……喉に込み上げてきた内臓の傷の血を、思いっきりヴァンジャック向けて吐き出したのだ。


「うっ…! 」


「ガルルゥ…!」


 と、狩人が怯んだ一瞬の隙を突き、リュカは力を振り絞って近くの木立の中へと思いっきり跳躍する。


「しまった! 死に損ないが小癪な真似を……」


 すぐさま自分の失態に気づき、ヴァンジャックは慌ててその後を追う。


「チッ…逃したか……さすが〝怪物〟だけあってしぶてえ野郎だ……」


 だが、夜の闇に閉ざされた森の樹々の中に、人狼の姿を見つけることはもうできなかった。


「ま、どの道、あの傷じゃあ助からねえだろうが、毛皮は怪物を倒した証拠にいるからな。仕方ねえ。明日改めて死骸を探すとするか……」


 しかし、ヴァンジャックが地面に手をやると、リュカの流した温かな血が大量に残っている……その血を指先でネチョネチョと擦り合わせながら、狩人は満足げに凶暴な笑みをその髭面に浮かべた。

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