Ⅴ 獣の暮らし(2)

 本能の赴くままに森のそ動物を狩るリュカは、野ウサギのような小動物ばかりでなく、鹿や猪のような大型の獣も苦もなく捕まえることができた。


 人間であった頃にも狩りはしたことがあったが、こうも簡単に獲物を得られるようなものではなかったと記憶している。


 それが今は夜でも眼が利くし、獲物が隠れても臭いでその場所を探り当てることができるし、離れた位置にいる獲物の足音も耳でとらえることができる……無論、それは狼に変化したその肉体と、彼に宿る狼の魂が為せる業だ。


 この真の・・狼刑は、人間をやめるというなんとも残酷な刑罰ではあったが、食うことに関しては今よりもむしろ人間であった頃の方が大変であったように思う。


 それに、肉体に宿る狼の魂だけでなく、リュカ本人からしても、この森での獣としての暮らしは大変居心地のよいものだった。


 彼を含め、すべての動物達の生き方は極めてシンプルだ。


 食べたければ食べ、眠りたければ眠り、教会の説く教えのように、その生を無理矢理に縛り付けるようなものは何もない……食欲・性欲・睡眠欲という、生物としての本能だけが、彼らの奉じる唯一の規範なのだ。


 そして、力の強い者が生き残り、弱い者はその糧となって、やがては強者も土に還ってまた弱者の糧となってゆく……ここには、そんな極めて単純で完成された調和が、いとも簡単に成り立っている。


 ただ食って寝て子孫を残して死んでゆく……そうしてこの森に暮らす獣達は、自由闊達に生きているのである。


 ま、子孫を残すことに関しては、狼のそれに混じって人間の臭いもするリュカを自分達の仲間とは認めてくれないらしく、牝狼はおろか牡の狼ですら相手にしてはくれず、そこだけはこの自然の理から外れてしまっていたのであるが……。


「ケッ! 狼になってまではみ出し者かよ……ま、今に始まったことじゃねえ。独りは慣れてらあ。文字通り一匹狼・・・でいかせてもらうだけだぜ……」


 とはいえ、それは人間だった頃の状況とあまり変わりはなく、当の本人としてはあまり応えていなかったりする。


「――キャン! …キャウゥウン…!」


「ワォワオォォォォーン…! (ハン! ケンカ売る相手を間違えるんじゃねえよ! サンピンどもが!)」


 また、自分達と同じ姿をしているのに人間の気配を漂わせるその奇妙な獣・・・・に、快く思わない同族達が集団で襲ってくることもあったが、恵まれた体躯を持つ銀毛の大狼と化した今のリュカに、並の狼では束になってもまるで敵わず、毎回、返り討ちにあって負け犬の遠吠えをあげて退散するばかりであった。


 やがて、仲間として受け入れてはくれないながらも、他の狼達もリュカに対して一目置くようになり、喧嘩をしかけるような命知らずも森からはいなくなった……なんというか、どのグループにも属していないが、暗黒街で一番ケンカの強いチンピラのような構図だ。


 まあ、そのような争いは例外として、森の動物達は生きるために必要最低限の欲望しか持ち合わせておらず、食料を得るためと牝を巡る牡同士の争い以外、富や権力を求めて殺し合う人間のように闘うこともない。


 教会では、神の似姿として創られた人間が最も優れた生物であると説いていたが、こうして獣達の生き様を見るにつけ、なんだか人間の方が劣っているようにリュカには思えてきてしまう。


 このまま、狼として生きる方が幸せかもしれない……そんな考えを彼が持ち始めた矢先のことだった。


「ガルル……」


 お! 野ウサギか? ……と思ったら、なんだ、子狐の兄弟か……。


 狼刑に処されてから一週間あまりが経ったある日の夕方、リュカは子狐が二匹、戯れているのを見かけた。


 遊びで狩りの練習をしているのか? 草叢の上でお互いに襲いかかり、取っ組みあったり甘噛みをしたりしている。


 仲がいいな……俺のように立派な狩人ハンターに育てよ……。


 その微笑ましい姿に、リュカは柄にもなく狼の顔を弛緩させるとホッコリと和む。


 動物達は家族や仲間同士も大変仲がよい……人間のように一族で骨肉の争いを演じたり、グループ内で憎み合い、足を引っ張り合ったりするようなこともない……。


 ……家族か……そういえば、俺にも家族がいたんだったな……妹が一人……アンヌ……そうだ! アンヌだ!


 しかし、仲睦まじく遊ぶ子狐の兄弟を眺めていたリュカは、不意にそれまで気にもしていなかった妹アンヌのことを忽然と思い出した。


 どうして今までアンヌのことを忘れてたんだ!? 俺はあいつを一人で村に置いて来ちまった……それなのに、俺ってやつはすっかりこの生活に馴染んじまって……俺はなんて薄情な兄貴なんだ!


 それは、彼の中に宿された狼の魂の影響であり、抗い難くやむを得ないことではあったが、大事な妹のことをすっかり忘れてしまっていた自分に、リュカは激しい懺悔の念を感じる。


 待ってろよ、アンヌ……今、兄ちゃんが迎えに行ってやるからな!


「ワォオオオオーン…!」


 気がつくと、次の瞬間にはもう、リュカは村の方へ向かって全速力で駆けだしていた。

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