Ⅴ 獣の暮らし(1)
……なんだ? 俺はなんで走ってるんだ?
気がつくと、煌々と蒼い月明かりに照らされた森の中をリュカは独り疾走していた。
今夜は満月なので明るいのは当然だろうが、それにしては夜なのになぜか周囲がよく見える。
蒼白く浮かびあがる森の樹々が反面、黒く深い闇を作り出しているが、その闇の中の景色でさえも覗うことができるのだ。
……いや、それよりも変なのは樹々の高さだ。なぜだかいつも見ているよりも妙に背が高く見える……それに、足元の野草も目の高さまで伸びている。
……逆に俺の背が縮んだのか? ……いや、違う。なんで俺は手をついて……。
そこで、両手が地面を弾く感覚に気づいたリュカは、今さらながらに自分が四つん這いで走っていることを知る。
何やってんだ、俺は……ったく、これじゃ獣みてえじゃねえか……。
なぜ四つ脚で森を駆けているのか理由はよくわからないが、自分のやってることがバカらしくなったリュカは、走ったまま後脚で立ち上がろうとした。
あん……?
ところが、どういうわけかバランスを崩し、リュカはこてんと地面に倒れ込んでしまう。
なんだ? なんか立ちづれえな……よっと……あれ?
不思議に思いながら、再び二本脚で立とうとするリュカであるが、またも彼は見事に転んでしまう。
小首を傾げ、その後も何度か試してみたが、やはり結果は同じであった。
……どうなってんだこりゃ? 四つん這いじゃあんなに早く走れてたってのに……ていうか、四つん這いの方がなんか落ち着くな。手も足みてえな感じがするし……ん? な、なんじゃこりぁあああーっ!
得心がいかず、ふと地に突いた自分の手に目を向けたリュカは、そこにあった自分の手……否、銀色をした毛むくじゃらの獣の前脚に思わず大きな叫び声をあげてしまう。
だが、その叫びは
「ワオォォォォーン…!」
という狼の叫び声にしか聞こえないのであるが。
……そうだ。俺は狼刑を食らって、集会所で狼の毛皮を被されて……あの異端審判士、本物の狼にするとかなんとか言ってたが……ほんとに俺は狼になっちまったっていうのか?
前脚をはじめ、すっかり銀色の毛に覆われてしまっている体のあちこちや、さらには尻から生えてるフサフサの尻尾を目の当たりにすると、ようやくにリュカは自分が狼に変えられてしまっていることを理解した。
まいったな……ガチに正真正銘の狼刑かよ……これじゃあアンヌを迎えに行けねえじゃねえか……クンクン…ん? なんだ? なんだか旨そうな匂いがするが……。
比喩表現ではなく、現実に自分が狼になってしまったことがわかると、今後の暮らし方などよりも何よりもまず先に、置いてきたアンヌの身を心配するリュカであったが、その時、なぜか美味しそうに感じる獣の臭いが彼の鼻腔をかすめた。
不思議と驚くほど鼻が効き、その臭いのしてくる方へ
……! あ、あれは……ジュルリ…。
「ガルル…」
その瞬間、無意識に飛び出したリュカは、その鋭い牙の生え揃った大きな口で、咄嗟に逃げようとした野ウサギを見事に捕らえていた。
……ハッ! お、俺は何してるんだ……ガウワウ……で、でも美味え! ウサギの生肉ってこんなに美味かったのか!?
頭ではそれが異様な行いであるとわかっているものの、味覚も嗅覚も歯の感触も、肉体の感覚はそれを是として、どうしてもやめることができない。
その本能的な行動は、リュカ本人も認識できないことではあったが、悪魔の力によって彼の体内に宿された、毛皮の主である狼の魂によってなされたものだったりする。
ピエーラのかけた変身の魔術により、彼は肉体の形状を変えたばかりか、その精神までをも狼に侵食され始めているのだ。
「ガウガウゥ……」
……モゴモゴ……かーっ! 美味えなこりゃ。腹減ったから堪んねえぜ……でも、まだ足りねえ……ともかくもまずは腹ごしらえだ……。
「ワオ…ワオォォーン…!」
……モゴモゴ……やっぱ獲り立ての生肉体はうめえな……今まで焼いて食ってたが、もったいねえことしてたもんだぜ……。
ウサギの血肉に食欲を刺激され、強い空腹感を覚えたリュカは、再び天を仰いで遠吠えをすると、次なる獲物を求めてまた走り出す。
こうして、リュカはだんだんにアンヌのことも忘れ、次第に人間性も失っていった……。
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