Ⅳ 狼の罰(3)
「これで儀式に集中できる。まったく、
気を失い、なんとかおとなしくなった
「では、ラッパを……」
その後、白尽くめの衛兵から真鍮製のラッパを受けとると、いよいよ悪魔召喚の儀式を厳かに開始した。
床に描かれた奇妙な文様――〝ソロモン王の魔法円〟の中央に描かれた赤い四角形の上に立ったピエーラは、大きく息を吸い込むとプァアアア~…! と思いっきりラッパを吹き鳴らす。
「霊よ! 現れよ! 偉大な神の徳と知恵と慈愛によって我は汝に命ずる! 汝、ソロモン王の72柱の悪魔序列6番・盗賊の公爵ヴァレフォール!」
続いてラッパを衛兵に返し、持物をハシバミの木の枝で作られた
「……霊よ! 現れよ! 偉大な神の徳と知恵と慈愛によって我は汝に命ずる!」
その呪文を何度か繰り返したその時、前方の床に描かれた三角形の上になにやら変化が起き始める……。
……ヒヒィィィーン……ケェェェーン………ンモォォォー……。
もくもくと白い煙が沸き上がってきたかと思うと、淋しげな各々の嘶きとともに、その中から半透明の馬、牝鹿、子牛が突然飛び出して来る。
「うわっ…!」
「来たか……」
それに驚いて衛兵は思わず短い悲鳴をあげるが、対照的に口元を歪めてピエーラがなおも前方を見つめていると、続いて煙の中からは、浅黒い肌にライオンの頭を持つ、屈強な大男が姿を現した。手には白い鞭を持ち、その身にもライオンの毛皮を纏っているが、背中には天使のように金色の翼が生えている……だが、やはり先程の動物達同様、その体は透けて見える存在だ。
「なんだ。呼ばれて来てみれば神の
その一見、天使のようにも見えるライオン頭の悪魔は、猫科の獰猛な目で値踏みするようにピエーラを眺め、そんな冗談めかした台詞を口にする。
「フン。誰がそのような悪事に手を染めるか……盗賊の公爵ヴァレフォールよ! 偉大なる神の御名によりて我は命ずる! ここにいる狼の毛皮を被りし者にその毛皮の主の魂を宿し、汝の変身の力を以て、かの者を真の狼へと変えよ!」
対してピエーラはその冗談に付き合う気はさらさらないらしく、鼻で笑ってそれを一蹴すると、ハシバミの
「はあ? 会ったばかりでいきなり狼に変身させろだあ? ずいぶんとふざけたことぬかすじゃねえか。願いをかなえてほしきゃあ、まずは俺のダチになることだな。とりあえず、となりの教会行ってパン盗んでこいよ。そしたら俺のダチにしてやるぜ」
「無駄口を叩くな。悪魔は黙って命令に従えばそれでよい。それともなにか? 大量の香で燻され、この〝ペンタクル〟で責め苛まれてからでないと素直にはなれないか? 盗人の悪魔め」
それでも態度を変えようとはせず、不良グループのリーダーのように悪の道へ引き込もうとする悪魔ヴァレフォールであるが、こちらも冷淡な顔つきのまま、ピエーラは手にした〝ペンタクル〟と呼ばれる金属円盤型の魔術武器を悪魔に突きつけ、ひるむことなくそう言い放った。
そのペンタクルの表面には〝シジル〟と呼ばれる各々の悪魔に対応した魔術的文様が記されており、それを前にした悪魔は恐れ慄き、術者に従わざるを得なくなるという強力な魔法道具なのだ。
また、彼の言葉に合わせて、助手の衛兵達も特別調合された香の粉末を火のついた炉にくべ、瞬間、その口からはボン…! と大量の甘ったるい煙が沸き上がる。
「た、ただの軽い冗談だよ。やだな、いちいち本気にするなって……ああ、わかったよ。そいつを狼にすりゃあいいんだろ? ここまで条件が揃ってるんだ。このヴァレフォール様の変身の力にかかれば、んなこと朝飯前だぜ……」
さすが悪魔の扱いには慣れた魔法修士、弱点を責めてくる巧妙なピエーラに、ヴァレフォールは言い訳をして誤魔化す、渋々、手にした白い鞭でパシン! …と軽くリュカを狼の皮越しに叩く。
「キャウッ…!」
すると、気絶しているはずのリュカは、彼のものとも狼のものともとれぬ声色で、まるで負け犬が漏らした降伏の鳴き声のように、短く一声、そんな叫びを弱々しくあげた。
「さあ、これでそいつの中にはその毛皮の狼の魂が宿った。今は肉体だけだが、よほどの強い人の世への執着でもない限り、次第に精神も狼のものに侵食されていくことだろう」
一鳴きしただけで、再びピクリとも動かなくなるリュカを……否、いつの間にか、狼の毛皮を被った彼ではなく、本当に
「フン。貴様ら悪魔はそうやって素直に神の御業を手伝っていればよいのだ。さ、もう帰っていいぞ……霊よ! 神の御名によりて命じる! 速やかに立ち去れ!」
薄闇の中で眼を凝らし、リュカが狼に変身したことを確認したピエーラは、礼を言うこともなく代わりにペンタクルを突きつけると、さっさと悪魔を送り返す呪文を唱える。
「チッ…だから貴様ら坊主は嫌いなんだよ。もう二度と呼び出すなよ……」
その態度に苦々しく舌打ちをしながらも、悪魔ヴァレフォールは従えた馬・鹿・子牛とともにその姿を次第に薄くしてゆき、煙が霧散するかのようにして夜の闇の中に消えた。
「これでまた一つ、異端の種を摘むことができた……さあ、名もなき狼よ。ここは貴様のような獣の棲む場所ではない。貴様のいるべき場所へ帰るがよい!」
そうして召喚魔術の儀式をすべて終えると、ピエーラは床に置かれた燭台の一つを手にとり、すっかり狼に成り果てたリュカにその火を掲げながら、そんな言葉を投げかける。
「……ガルル……キャイン! ……ワオ…ワオォォォーン…!」
すると、その熱さに目を覚まし、鼻先で燃える炎に驚いたリュカは慌てて逃げ出し、タイミングよく衛兵の開けた入口のドアを潜って野外へと飛び出して行った。
「どうやら終わったようですな……」
リュカの遠吠えを聞き、儀式の終了したことに気づいたジャンポール神父も隣の教会から再びやって来る。
「しかし、本物の狼にしてしまうというのはやはり厳しすぎたような……」
「フン。我ら魔法修士を悪し様に愚弄した罰だ。あのような神をも畏れぬ不信心者にはまだ甘すぎるほどよ。それに、どうせ人の世を追い出されるのなら、獣になった方がまだ生きやすいというものであろう」
リュカの消えていった夜の闇を見つめ、さすがに同情をみせるジャンポールであったが、ピエーラは微塵も後悔はない様子でそう言い放つ。
「それよりも忌々しきは森の魔女だな。これまで何度となく捕縛に赴いたが、なぜかやつのもとへ辿り着くことはできなかった。それも、魔導書の力を用いてもだぞ? 逆に森の中で迷い、遭難して命を落とす者まで出る始末だ」
そして、苦々しそうに奥歯を噛みしめると、問題の根源であるさらなる大きな信仰の敵――魔女のことへ話題を変える。
「どうやら相当の魔術の使い手のようですな。しかし、森の奥深くに独り隠れ棲むだけならば人畜無害。無理に捕縛しようとして被害を増やすよりも、魔女を頼ろうなどという不届き者がいなくなるよう、正しき教えを広めることに尽力いたしましょう」
「まあ、確かにそれも一理ある……その点においても、かの者を狼にしたことはよい見せしめとなろう。異端には厳罰を以って当たることこそが、道に迷う者を出さぬための最前の方法ぞ……」
神父らしく、力押しではなく布教による解決作を解くジャンポールに、意外やピエーラも異端審判士の立場からそれに相槌を打つと、どこか遠くで聞こえている狼の遠吠えに耳をそばだてた。
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