Ⅵ 魔女の秘術(1)

 ――クソっ! どうすりゃ人間に戻れるんだ!?


 ひどい絶望感とともに村を走り去った後、再び森に帰ったリュカは、どうにかして人間の姿に戻ろうと努力を重ねた。


 まず、人間らしい動きをすればなんとかなるんじゃないかと思い、もう一度、二本脚で立とうとしてみたが、やはりコテンと転んでしまうだけで、まったくの無駄であった。


 次に水浴びをしてみるがそれで戻るはずもなく、狼らしい食生活――即ち獣の生肉を食らうことをやめればいいのでは?としばらく断食を試みるも、ただ腹が減っただけで何の解決にもならなかった。


 ではと逆転の発想で、人間らしい食事をしてみようとひそかに村へ帰り、留守宅へ忍び込んでパンを盗み食ってはみたものの、小麦からできたパンはあまり美味しく感じず、ますます自分が狼であることを自覚するだけに終わった。


 ……やっぱ、同じように魔導書の魔術使わなけりゃ無理なのか……でも、あの魔法修士の野郎が聞いてくれるわけねえしな……神父に頼んでもあの頑固ジジイじゃ無駄だな……。


 いろいろ試した結果、自分自身の力だけでは如何ともしがたいと悟ったリュカは、何か手はないものかと考え込む。


 ……時間がねえ……チクショウ、ほんとはこんなことしてる場合じゃねえっていうのによお……。


 それに、今のままでは妹を迎えに行けないとわかった時点で、彼にはもう一つ大きな懸念材料ができていた。


 それは、アンヌのかかっている肺病のことだ……。


 彼女の命を救ってくれた魔女ジョルディーヌの話では、まだ完全に治ったわけではないと言っていた。


 故に薬を飲み続けなければならないと薬草を持たせてくれたが、それもそろそろ終わる頃だろうし、そもそも、魔女の薬を認めない神父がちゃんと飲ませてくれているかどうかも甚だ疑問だ。


 無駄な努力を重ねている内に、あれからまた一週間が経とうとしている……急がないと、また病気が悪化してしまうかもしれない……。


 ……魔女か……そうだ! あの魔女ならなんとかしてくれるかもしれねえ……。


 アンヌの薬の心配をしていたリュカは不意にジョルディーヌのことを思い出し、その可能性に一縷の望みを感じ始めた。


 こうなったらもう、頼りにできるのはあの魔女しかいねえ……やっぱり俺だって気づいてくれねえかもしれねえが、一か八かとにかく当たってみるか……。


 そして、そこに思い当たるやリュカは、気づけば魔女のあの小屋へ向けて駆け出していた……。


 最早、この深い森も庭のようになっているリュカにとって、魔女の小屋へ到ることは非常に容易であった。


 その上、今の彼の鼻ならば、どんなに遠くだろうと魔女についた薬草の香りを嗅ぎわけることができる。


 その爽やかな苦味のある匂いを辿って森を疾走したリュカは、ほどなくして魔女のもとへ到着した。


 狼になってからというもの、夜目が利くためあまり気にしていなかったが、もうすっかり日も暮れてしまっている。


「ワオォォォォーン!」


 それでも小屋から橙色オレンジの明かりが漏れていたため、とりあえずリュカは一声大きく、ひしゃげた入り口のドアの前で遠吠えをあげてみた。


「……ん? なんじゃ狼か……じゃが、こうも大きく、これほど見事な銀毛のものは珍しいの。どこか他所よそから来たのか?」


 わずか後、ドアを開けて出てきたジョルディーヌは、そこにちょこんと座った狼の姿を見ると、不思議そうに小首を傾げる。


「ワオォォォーン!」


 そこでリュカは「俺だ! この前、あんたに妹を助けてもらったサンマルジュ村のリュカだよ!」という思いを込めてもう一度、吠えた。


 そういえば、魔女は黒猫や狼なんかの獣を使い魔にするという……ならば、動物の言葉も多少なりと通じるかもしれない……。


「ん? 何か我に訴えておるのか? こんな狼の使い魔はいなかったと思うんじゃが……」


 リュカのその考えは正しかった。奇妙なその行動に何かを察した彼女は、妖しく瞳を光らせると狼のリュカをじっと凝視する。


「妙じゃな……お主の身からは狼だけでなく人の気配もする……その身に二つの魂を宿しておるのか? ……もしや、お主、人間か?」


 しばしの後、優れた魔女であるジョルディーヌは、呆気なくもその秘密を探り当てた。


「ワオォォォーン!」


 尋ねられたリュカは、それに「イエス」の意味をもってまた一声、吠えてみせる。


「試してみるか……そなた、我の言葉がわかるか? わかるならば、今から言う通りにしてみせい」


 だが、さすがにそんなこと普通あるわけがない。まだ半信半疑のジョルディーヌは一つ実験してみることにする。


「お手」


 彼女は狼の鼻先に手を出すと、そう指示を出した。


「ほら、お手じゃ。どうした? 言ってることがわからんのか?」


 はあ!? なんで俺がんなことしなきゃならねえんだよ!


 そう思うリュカであったが、今はそんなプライドにこだわっている場合ではない。


「ほれ、お手をしてみい」


 チッ……わあったよ。やりゃあいいんだろ、やりゃあ……。


 仕方なく、渋々リュカは右前脚を伸ばすと、彼女の手の上にそっと載せた。


「じゃあ、次はお座り…はもうしてるから、チンチンじゃ」


 チッ……これでいいか?


 次の指示にも嫌々ながら従い、リュカは前身を起こすと、舌を出してハァハァと息をする。


「では、今度は三回まわってワン! じゃ」


 えっと、三回まわって……て、俺は犬か!?


「ワオォーン!」


 それにも素直に従って三回くるくるとその場で回った後、ワン! の代わりにツッコむようにしてリュカはジョルディーヌにまた吠える。


「うむ。こんなに人慣れした狼もおらんだろうし、やはりもとは人間のようだの……何者かに姿を変えられたか。よし、話を聞くためにも人の姿に戻してやろう。ついて参れ……」


 そんな犬扱いも功を奏しか、予想外にもすんなりと、リュカの願いは聞き入れられた。


 お、おう……よろしく頼むぜ……。


 なんたか肩透かしを食らったような感じで、リュカは「ワォン!」とそれに答えると、再び小屋の中へ戻ってゆく魔女の後を追った……。

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