Ⅱ 森の魔女(3)
「――魔女のお姉さん、どうもありがとう」
翌朝、朝霧に煙る魔女ジョルディーヌの小屋の前には、すっかり元気を取り戻したアンヌの姿があった。
「うむ。薬が効いたようでよかった。じゃが、今は発作を抑えているだけで肺病自体が治ったわけではない。しばらくはこの薬草を煎じて飲ませるがよい。なくなったらまたもらいに来い」
兄のとなりにちょこんと立ち、健気にも礼を述べるアンヌに、ジョルディーヌは大きく頷くとそう言って薬草の入った布袋をリュカに手渡す。
「ヘヘ、こいつは何から何まですまねえな。んじゃ、薬草摘みの手伝いがてら、また寄らせてもらうとするぜ」
その布袋を受け取ると、リュカは愛想よく笑みを浮かべ、柄にもなく素直に礼を言う。
「んじゃ、家に帰るぞ、アンヌ」
「うん! 魔女のお姉さん、バイバーイ!」
そして、元気に手を振るアンヌを連れて、彼はもと来た森の道を村の方へと帰って行った。
「――おい、アンヌ、病み上がりなんだから無理すんな。疲れたら兄ちゃんがおんぶしてやるぞ?」
「だいじょぶだよお。今日はとっても気分がいいの! 久しぶりにお散歩できて、あたし、とってもうれしい!」
だんだんに霧が晴れ、白い木漏れ日に明るくなってゆく爽やかな朝の森を、そうして兄に心配されながらも確かな足取りでアンヌは歩いて行く……昨夜は瀕死の重症だった人間と同一人物とは思えないほどの回復ぶりだ。
「あ、こら、だから無理すんなって! しかし、ほんとスゲえ効き目だな、あの魔女の薬はよ。どおりで評判になるわけだ。街のヤブ医者とはお違いだぜ……」
そんな、少々スキップ気味に前を跳ね歩くアンヌに気が気でない様子で眉をしかめると、リュカは改めて、ジョルディーヌの
「お兄ちゃん、元気になったし、あたしも家の事手伝うね。これからはご飯の支度あたしに任せて!」
「アンヌが飯を? さあて、おまえに料理なんてできるのかなあ? 腹を壊さねえか心配だ」
軽快な足取りのまま振り返り、満面の笑顔を浮かべてそう告げるアンヌに、リュカはわざと渋い顔を作って彼女をからかう。
「んもう! お兄ちゃんの意地悪っ! そんなこと言うともう知らないんだからね!」
「ヘヘヘ、すまんすまん、冗談だ。今度、鴨でもとってきてやるから機嫌直せって」
その戯言に頬を膨らませると、プイと前を向き直ってズンズン行ってしまう妹に、リュカは誤魔化し笑いを浮かべながら、愛おしそうにその小さな後姿を見つめて後を追う。
そうして、他愛のないおしゃべりを交わしながらしばらく森を歩いていると、いつしか二人は樹々の間を抜けて、村の端へと戻って来ていた。
「――やっぱりだ。あんなに弱って死にそうだったというに、昨日の今日で元気に歩いている……」
だが、その森と村の境目で草叢の影に身を隠しながら、こっそり二人の姿を覗う者がいた……。
日焼けした顔に、リュカ同様、一目で農民とわかるような土まみれの貧しい格好をした中年男性……ただし、リュカとは正反対に品行方正で信仰心篤い人物として、村では評判高いジャッコフである。
「思った通り、魔女の力を借りたに違いない……あの異端者めが……」
生い茂る草の葉の隙間から、まるで親の仇を睨みつけるような憎悪に満ちた視線を向け、悟られないよう小さな声でジャッコフは呟く。
じつは昨日の夕方、いつもの如く教会へ祈りを捧げに行った彼は、瀕死のアンヌを背負って飛び出して来るリュカの姿を目撃していたのだ。
そして、ジャンポール神父から事情を聞き、もしや、森の魔女の所へ行くのではないかという強い疑念を抱いた彼は、今朝になっても二人が家に戻っていないのを確認すると、この場所でその異端行為の証拠となる場を抑えようと待ち構えていたのである。
純朴な村人達の中でも特に信仰心に篤いジャッコフは、異教徒の魔術に頼るような行為、たとえ生死に関わることであったとしても許せないのである……殊に、常日頃から神を軽んじるような言動をとっているリュカのような輩であればなおさらのことだ。
「普段からその背信行為には目に余るものがあったが、よりにもよって魔女の術にすがるとはもう我慢がならん! こうなったら神の鉄槌を食らわせるのみだ!」
黄金色の朝日に照らし出された長閑な村道を、仲良く家路につく兄妹二人にいっそうの憎しみを込めた視線を投げかけ、呪いの言葉を吐くようにそう口走ると、ジャッコフはある行動に出る決意を固めるのだった。
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