第30話 英雄の帰還

 アナスタシアはベットの上で目を覚ます。アノスロッドとの戦いによってヒビの入った左腕は包帯で固定されている。


「うぅ……ここは?」

「目が覚めましたか?」

「ロゼッタ様……どうして、貴方が?」


 その部屋の隅で、紅茶を淹れている紫色の髪の女性。彼女の名前は『ロゼッタ・サザーランド』。聖騎士エルメスの妻であり、彼が平民時代からの幼馴染みである。


 ロゼッタは紅茶の入ったカップをアナスタシアに渡す。


「ルナマリア様のお気に入りだった紅茶ですよね。とても良い香りです。」

「この香りは私にとって母の香りといっても過言ではな……いえ、ロゼッタ様。どうして、ここにおられるのですか? そう、アノスロッドは!? 早く、カストラに軍を引き上げないと。」


 アナスタシアは紅茶をベット横の丸テーブルに置く。


「落ち着いて下さい、アナスタシア。ここはカストラ砦ですよ。」

「ここはカストラ……。」

「一つずつ、説明しますから。」


 ロゼッタの説明によると、半月程前、ヴェスティアノスとの戦況報告を受けた聖騎士長ルクシオン・マグワイヤーの命により、エルメスは軍を率いて南下。ルクシオンの読み通り、策に嵌っていたアナスタシア達、アルカディア軍を救出し、カストラ砦まで下がったとのことだった。


「ルクシオン様が……」

「マグワイヤー卿は愛弟子である貴方の事を信用されていましたが、同時に若さ故の弱点もあると仰っていました。レイメイはそこを突くと。」

「弱点?」

「人は勝ち戦が続くと、分かっていても慢心になってしまうものです。その慢心さを補うのが経験というモノなのですが……。マフード卿と軍を割く必要があったオケアノス攻略。ガノン将軍以下の将校方だけでは、貴方に異を唱え、諌めるのは難しかったようですね。」

「……慢心と言われればそうなのかもしれない。オケアノスに籠城する連中に打つ手なしと、この長引く戦をひっくり返す策はないと思いあがっていた。」

「マグワイヤー卿は、ご自身がレイメイの立場なら一撃でアルカディア軍を壊滅させる策を張ると仰っていました。壊滅していないだけ、まだ幸いだと思うしかないでしょう。」


 アナスタシアの顔は浮かない。ここに至るまでの勝ちが帳消しになったような感覚であった。


「それで、我が軍の損害は?」

「戦死者は約二万。フリューゲル中将が戦死。細かい報告は後で上がってくるはずですが、とりあえずはこのあたりといった所かと。」

「二万……。」


 アナスタシアは自身の額に手を当てる。彼女の今までの戦で、一度にこれほど兵を失った事はなかった。


「私のせいだ。私が彼らを殺したのだ。私が未熟だったから。私が……」


 震えるアナスタシアをロゼッタは優しく抱きしめる。


「将とは多くの命の上に立っていると、かつてルナマリア様は仰っていました。総司令ともなれば尚更。ここには私しかいません。泣いていいのですよ。」

「ロゼッタ様……」


 ロゼッタの胸元はアナスタシアの涙で濡れていく。声には出さず、静かに、粛々と泣いた。


 アナスタシアは泣き終えると、ロゼッタの淹れた紅茶を飲みほした。


「いつまで寝ていられない。直ぐに今後の事を決めなければ。」

「エルメスを始め、司令室にて将校が集まっている筈です。もう、大丈夫ですか?」

「あぁ、感謝します、ロゼッタ様。私はもう大丈夫。」

「そうですか。それなら、着替えを手伝いましょう。それと、左腕をはじめ、酷い怪我でしたが、回復魔法をかけておきました。数日もすれば、万全な状態になるかと。」


 アナスタシアは着替えると司令室に急いだ。そこには、聖騎士エルメスとカエサルを始め、中佐以上の者達が集っていた。


「やぁ、アナっち♪ もう起きてきて大丈夫なのかい?♫」

「はい。ご心配をおかけしました。もう大丈夫です。」

「今ちょうど、ルク(ルクシオンのこと)に言われた今後の事について、話そうかと思っていたんだ♫」

「ルクシオン様から?」

「うん♪ アナスタシア・ルミナス、君は軍をまとめてアルカディアに帰還するように。総司令はカエサル・マフードに。僕はその補佐をするようにと……」

「お待ち下さい、エルメス様!」

「なんだい?♪」

「も、もう一度チャンスを頂けませんか? 必ずやリメス、シナールを奪還し、次こそはオケアノス攻略を……」


 エルメスは突然笑い出した。


「ははははっ♪ おいおい、あれだけ見事にやられて、まだ懲りていないのかい♪ 兵士は君のおもちゃじゃない、簡単に補充できると思わないでくれ♪ それとも、総司令の座はそんなに気持ちよかったのかい?♫」

「い、いえ、そのようなことは。」


 オルガが立ち上がる。


「サザーランド卿、失礼ですが、お言葉をお選び頂きたい。おじょ……アナスタシア総司令はこの四年間で多くの戦果を挙げられました。獣人からも戦姫と恐れられる存在となる程。敬意を払って頂けませんか?」

「分かってるよオルっち♪ だから、帰還するようにルクは言っているんだ。アナっちは四年間も戦い続けた♪ 張り詰めた糸は偶に緩めないといけない♪ それは兵士もそう♪ そろそろみんなも故郷に帰りたいんじゃないかな♫」


 アナスタシアの側近、ルイズが口を開いた。


「総司令、マグワイヤー卿の仰る通りだと思います。もう四年も戦っている。故郷の歌を歌う兵士も多い。レイメイにリベンジしたい気持ちは分かりますが、ここは一度帰還しましょう。」


 アナスタシアは手を握りしめる。


「ルイズ……そうだな。兵士達の気持ちを考えないとは私は本当に愚かだな。エルメス様、帰還の命、承知しました。」

「うん♪ 分かってくれて嬉しいよ♫」


 数日後、軍事の引き継ぎを終えたアナスタシア達アルカディア軍は帰路についた。

 行軍する兵士達。侵攻してきたヴェスティアノスに対し、逆に攻め入ったことを誇る者や、戦友を失った事に悲しむ者、故郷に帰れる事に喜ぶ者など様々であった。  


 カストラ砦からその行軍を見つめるエルメス、ロゼッタ、カエサル、ガノン。


「どうだったカエっちにガノっち♪ 四年前、総司令にアナっちを指名したルクの判断は?♫」


 ガノンは髭を触りながら答える。


「あの時は、マグワイヤー卿がご乱心されたのかと思いましたがいやはや。愛弟子の活躍を見通されていたのでしょうなぁ。」


 カエサルも納得の表情をしている。


「あぁ、彼女の才能には驚かされ続けた。ルナマリア様もあの世で喜ばれている事だろう。」

「うんうん♪ あれ、どうしたのロゼっち♫」

「いや、理不尽だなと。」

「理不尽?♪」

「ルナマリア様といいアナスタシア様といい、戦争を憎み、悲しみ、憂いている者に限って、そのような才能に恵まれるなんて。」

「……そうだね♪」


 ガノンは髭を相変わらず触っている。


「それで、マフード卿、サザーランド卿、この後レイメイはどう出てくると?」

「また籠城だろう。」

「同意♪ レイメイが第六皇子フラクトールを討ち取らせた一番の目的は、こちらから停戦交渉を持ち出させる為だろうね♫」

「あぁ、ホーネット卿の弔い合戦となったこの戦。領土では釣り合いが取れないが、皇子の首となると話は違う。そして、その交渉はおそらく……」

「こっちが条件を飲む事になるだろうね♪ ヴェスティアノスとの戦争はこちらの優勢だったけど、どうにも向こうがね……」


  ガノンは小さくため息をついた。


「アルヴヘイムの方は苦戦を強いられていると伺っておりますが。」

「そうなんだよねぇ♪ レイチェル、そろそろ胃に穴が開くんじゃない?♫ はははっ……はぁ。レイメイも知ってるはずなんだよね、そこら辺のこと♫」


 アルカディアはこの時、ヴェスティアノスだけではなく、エルフの国、『アルヴヘイム』とも戦争をしていた。ルクシオンを中心に、兵や物資を供給し続けていたが、それもいつまでも持つ訳ではない。長引く戦争によってアルカディアはジワジワと追い詰められていた。


「ま、そこら辺のことは僕達先輩でどうにかしないと♪ アナっちは王都でルクに甘えるといい♪ 大人っぽくなったアナっちを見たルクの顔を見てみたいけどね♫」

「はっはっは、確かに。ずっと一緒にいた我々には分かりづらかったが、マグワイヤー卿は驚かれるはずだ。」

「さぁ、僕達も戻ろう♪ 相手はレイメイだ♪ 慎重に事を運ばないと。」


 レイメイにもアナスタシアが戦線を離脱した報告は遅れて入ってきたが、撃って出る事はなかった。エルメスとカエサルの読み通り、停戦交渉に持っていくために。

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