第12話 狙われた愛

 ナタリア家のドアを叩く、黒いフード姿の男。顔にはシワがあり、尖った鼻をしている。ドアを開けたのは娘と同じ綺麗な茶髪の活気あるメリッサだった。


「あら、旅のお方の……確かキャスパーさん。」

「名前を覚えて頂いていたとは光栄です。」

「私に何か御用ですか?」

「もうこの村を発つつもりでして。この村随一の魔道士にご挨拶をと。なんでも王都のアレイスター魔法学院を卒業されていたとか。」

「卒業しましたが、随一の魔道士だなんて大袈裟ですよ。魔法学院のことは村の人から?」

「えぇ。このキャスパーもその昔はそこで勉学に励んだものです。」

「まぁ、先輩でいらっしゃいましたか。そうとは知らずにとんだご無礼を。どうぞ中に、もてなさせて頂きます。」

「いえ、もう行きますのでお気遣いなく。……それでは、お水を一杯頂けませんかな? 喉が渇いてしまって。」

「分かりました。すぐにお持ち致します。」


 メリッサはコップ一杯のお水を持ってくるとキャスパーはこれを飲んだ。


パリン!


 キャスパーの手からコップが落ちる。


「申し訳ない。ついうっかり……」


 割れた破片を拾おうとするキャスパーよりも早くメリッサは腰を落とした。


「これから旅をされるのに怪我があってはなりません。私が拾いますので。」


 破片を慎重に拾うメリッサ。キャスパーは物凄い速さでメリッサの茶色い毛髪を抜き取った。


「あれ、今何か頭に……」

「虫がついておりましたので払いました。それより、娘様がいるとお聞きしたのですがおられますか? ご挨拶しておきたく。」

「確か、結婚式の打ち合わせに向かったはずです。あの子、もうじき結婚するんです。」

「ほう、それは素晴らしい。おめでとうございます。」


 キャスパーは遠くから歩いてくるナタリアとアイクに気づいた。


「それではこれで。コップ、本当に申し訳ない。」

「いえ、お気になさらず。道中、お気をつけて。」

「えぇ、どうか我らにアレイスターのご加護があらんことを。」


 ナタリアの家をあとにしたキャスパーはメリッサから引き抜いた毛髪を握り、ぶつぶつと呪文を唱えた。彼の手を纏う黒い魔力は、その毛髪を燃やすと消えた。キャスパーはニヤリと微笑む。そして、歩いてくるナタリアとアイクの元へ向かった。


「魔道士メリッサの娘様ですね。先程、お母様にご挨拶をしてきたところです。」

「お母さんに?」

「はい。その昔、お母様がご卒業された魔法学院に通っておりましたので。」

「そうだったんですか。」


 アイクは不機嫌そうな顔でキャスパーを見ている。


「おい、さっき村の人から聞いたぞ。夜中、村長を連れてゴブリンのコロニーを見てきたらしいな。村長が無事だったからよかったものの、何かあったらどうするつもりだったんだ!」

「あぁ……ギルドに依頼を出すと決められていたらしいですが、あのコロニーが危険なのかどうかを迷っておられたので。泊めて頂いたお礼にと思い、調査をしたのだが……どうやら余計なことをしたようですな。」

「お礼だと? ふざけやがって。」


 キャスパーに詰め寄るアイクをナタリアが止めた。


「アイク、気持ちは分かるけど落ち着いて。村長さんも無事だったんだし……」

「でもナタリア……」


 キャスパーはナタリアの顔を上目で見ると彼女の右手を両手で掴んだ。


「お母様に似て、実に聡明な娘様だ。」


 ナタリアはすぐに手を振り解いた。


「触らないで。私だってその件に関しては怒っているんだから、勘違いしないでよ。」

「……それではこれで。どうかアレイスターのご加護があらんことを。」


 ナタリアとすれ違う際、キャスパーは人差し指でナタリアの太もも辺りに六芒星を描くとぶつぶつと呟いた。


「えっ、何?」

「どうした、ナタリア?」


 立ち止まり、振り返るナタリア。


「今あの人、何か喋らなかった?」

「そうか? 俺には何も聞こえなかったけど。」

「……気のせいよね。」


 キャスパーはそのままカナット村を去った。村民は怪しげな思想を語り、村長を危険に晒したキャスパーを見送るわけがなかった。


 そして、その夜からメリッサの体調は急激に悪化した。


 数日後、ナタリアは森でヤオズを採っていた。実が熟したヤオズは木から落ちる。母を思う娘は一つ一つ手に取り、状態の良い物を選別していた。手に取ったヤオズをじっと見つめるナタリア。


「……最近、お母さん食欲ないからこれで元気になってくれると嬉しいな。」


 ヤオズを握ると出てくるネバネバした液体は他の薬草と調合することにより、外傷を治す際の薬にもなる。ただこの度、ナタリアがヤオズを採りにきたのは体調の優れないメリッサに食べてもらう為であった。


 生暖かい曇天の午後、森にあまり陽が刺さないせいかナタリアは慣れたはずのその場所に不気味さを感じていた。


「な、なんかお化けでもでそうね。そろそろ村に戻ろうかな。」


 鬱蒼とした森に怯んだ彼女の背後には黒いマントを羽織ったヴァンパイアが立っていた。


「我がロードとなる計画を脅かす者が現れた。僕として奴らを監視せよ。」

「えっ?」


 ナタリアは気を失った。


「うん、あれ? 私なんでこんな所で……」


 目を覚ましたナタリアは空を見る。夕焼けに染まったその空を見て、少しばかり時が経過したことを悟った。


「私、寝てたの? もう陽が……早く戻らないと。」


 なぜそこで眠っていたかよりも、時の経過に慌てた彼女は村の方へと歩いていく。少しして、彼女の耳に何かの声が聞こえてきた。すぐに茂みに身を隠すナタリア。


「もしかしてゴブリン? 縄張りからは離れていたと思ったけど。……もし、本当にゴブリンだったらどうしよう。」


 恐怖で汗が滴るナタリア。だんだんとその声が近づいてきた。


「こ、怖くなんかないよ! 見られているかもと思うと緊張しちゃって。」

「それを怖いと言うのでは? ……バテル、私の後ろに!」


 それがゴブリンではないと分かったナタリアは安心して茂みから出た。


「ゴブリンじゃ、ないの?」


 こうしてナタリアはバテルとヘンリエッタに出会った。



 空に浮かぶ綺麗な満月。


「私……なの? お母さんにかけられた呪術を継承していたのは。」

「ふはははは、あのキャスパーという奴、面白いものを見せてくれおる。愛する者の為に側にいることが返ってその者を苦しめるとは。……貴様は気づいておったのではないか?」


 メリッサを指差すデューク。


「お母さん、知ってたの? 私がその……」

「可能性があると思ったのはつい最近です。呪術自体、この国では行使しようとすること自体が大罪になる代物。キャスパーの真意を見抜けなかった私の落ち度です。」


 ナタリアを傷つけたくない。メリッサの話し方からそれが本意だったと周りの者達は察した。


「娘よ。それでは最後の仕事だ。おのが手で、愛するそのアイクを殺し、余に捧げよ!」


 デュークは再び指を鳴らす。ナタリアは頭を抱えて苦しみだす。目は充血し始め、牙が生え始める。


「ナタリアッ!」

「いや、やめて。また頭の中であの声が。いや、いや、いや、いや、やめてっ!」


 ヘンリエッタはバテルに指示を出す。


「精神操作か! バテル、すぐにナタリアの手を握って、早くっ!」


 バテルはナタリアの左手を握る。するとナタリアの目は白目を取り戻し、歯も普通に戻った。


「バテル、貴方の着けている指輪は破魔の指輪。そうしている間、ナタリアに精神操作は及びません。決して、手を離さないように。」

「うん、分かった。」

「こざかしい魔道具か……」


 ヘンリエッタとデュークの視線が交差する。


「バテル、アイク。三人を連れてここから離れて下さい。」

「分かった、ヘンリ……っ! みんな、ここから離れよう。早くっ!」


 バテルはナタリアと手を繋ぎながら、アイクはメリッサをおぶり、そこから離れる。


「ヘンリエッタさん、アイツとやり合うつもりか? 俺達もすぐに加勢しないと。」

「駄目だよアイクさん。ヘンリエッタは僕達に離れているように言ったんだ。近づいたら駄目。それに……」


 バテルは走りながら振り向く。


「あんなに怒った顔したヘンリエッタは初めて見た。」


 走り去るバテル達を見つめるデューク。


「余の許可なしに何処へ行くつもりだ人間共。」


 デュークは爪の先をバテル達に向ける。


バキッ!


 次の瞬間にはヘンリエッタの拳はデュークの顔面を捉えていた。


「お前の相手はこの私だ!」


 ヘンリエッタに殴られたデュークは村の下にある広場。畑が並ぶ場所へと飛ばされた。


「……貴様、一度ならず二度までも。支配者たる余にした無礼な振る舞い。その命をもって償わせてやる。」

「ほんと、よく喋るコウモリね。」

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