第10話 二体のロード
「村長、どうしてここに? もしかして村長もゴブリン達に⁈」
暗闇より姿を現したヘーデルを見て、フレンダは駆け寄ろうとする。しかし、ヘンリエッタは直ぐに彼女を制止した。
「フレンダ、動かないで! あれはもう、貴方達の知っている村長ではない。」
「それは一体、どういう意味……」
「グウェッ、グウェッ、グウェッ、グウェッ……」
突如、ヘーデルは気色の悪い声で鳴き始めた。その声は岩壁に反響し、気色悪さを増していく。
彼は自身の脳天に爪を立てると、纏っていた皮膚を剥がしていく。そして、人間の骨格に良く似た、緑色の生物としての姿を露わにした。
「えっ、なんで村長がゴブリンに……じゃあ、本物の村長は?」
ヘンリエッタの表情が歪む。
「なぜ、この可能性に考えが及ばなかった。このコロニーを治めているのは変異種であるゴブリンロード。そしてあれはロードの得意技である皮剥ぎ。」
Aランクモンスター 『ゴブリンロード』
ゴブリンの変異種。ロードは魔力を備えているが、それ自体は脅威と呼ぶほどではない。Aランクに指定されているのは、その強さからではなく、ロードのみが行える皮剥ぎという行為にある。皮剥ぎとは、コロニー近辺の他種族の個体を拐い、生きたまま皮を剥ぐ。ロードはその皮を纏い、骨格を変形させ、対象の他種族コロニーに潜入。内部から混乱を起こし、弱らせたところを手下のゴブリン達に襲撃させる。皮剥ぎの被害は人間相手にも確認されており、ロードの発見が遅れ、八百人規模の村が壊滅的な被害を被った事例もあるという。
「グゲッ! グゲゲゲゲッ グギャアグギャア」
ゴブリンロードが奇声を上げると、周囲の崖上に大量のゴブリンが姿を現した。手には弓矢や石、棍棒を持っている。
「な、なによこの数。ヘンリエッタさん、早くここから逃げないと!」
フレンダはメリッサを抱えながら、ヘンリエッタに訴える。しかし、彼女は戦闘態勢に移行した。
「もう間に合わない。アーメン・ムルス!」
バテル、フレンダ、メリッサを囲うように楕円で紫色の魔法壁が出現する。
「その魔法壁は外からの衝撃には強いですが、内側からは脆いです。あまり、触らないように!」
「魔法壁……まさか戦う気なの? バテル君、早くヘンリエッタさんを連れてここから出ないと!」
「大丈夫だよフレンダさん。ヘンリエッタはとても強いんだ。だから信じて!」
「強いって言ったって限度が……」
グシャ! グシャ!
「!!」
フレンダはバテルのその言葉が偽りでない事を直ぐに理解した。次々に破壊されていくゴブリン達。ある者は頭を踏み潰され、ある者は壁に叩きつけられ、ある者は蹴りで首が刎ねられる。それはもはや戦闘というより虐殺と呼ぶに相応しかった。
「グラディウス・ダムナート!」
ヘンリエッタの右手に禍々しい大鎌が握られる。その大鎌は辺り一体のゴブリンを容赦なく刈り取っていく。フレンダの目には、どちらが味方か分からなくなるくらいに、凄惨な光景が映った。
「グゲゲゲゲ⁈」
「後は貴様のみだゴブリンロード……赤い瞳にゴブリンにはない牙。やはり、お前達を更に支配している者がいる様だな。ここにいるものだと、考えていたのだが。」
「グケゲ……ゲーッ!」
ザシュッ!……ビチャビチャ
ヘンリエッタに飛びかかったゴブリンロードは一矢報いる事なく、真っ二つとなった。
呆気にとられるフレンダ。
「ヘンリエッタさん、貴方は一体……」
「急いで村へ戻りましょう。奴らの支配者の狙いはカナット村。私達はここにおびき出された。」
「奴らって……敵はゴブリンじゃないの?」
「こいつらはただの僕。ナタリアとゴブリンを操っているのは恐らくヴァンパイア。」
三人は急いで洞窟を出た。メリッサをおぶりながら走るヘンリエッタの横で、バテルは彼女に確認をとる。
「メリッサおばさんに呪術をかけていたのはゴブリンロードなの?」
「いえ、ゴブリンロードを倒してもメリッサの魔力は淀み続けています。それに彼女曰く、村長とは会っていなかったと。普段から視認し続ける条件を満たしていません。」
「なら誰がメリッサおばさんに呪術を? 魔力を持つ者かその人を憎んでいる人なんて……それに視認していないとダメなんでしょ?」
「いえ、それが可能な人間が一人います。本人は無自覚でしょうが。」
「!!……もしかしてその人って。」
「まさか、そんな……」
メリッサのそばに居て、魔力を有する人物。バテルとフレンダもその人間が誰なのかを悟った。
一方、カナット村はヘンリエッタの予測通り、ゴブリン達の襲撃を受けていた。
「くそったれ。なんでこいつら急に!」
「負傷した者は奥へ下がらせろ! あまり、散らばるな。一匹ずつ確実に仕留めるんだ!」
「勝てる……勝てるぞ!」
ゴブリン単体の戦闘力は極めて低い。成人した大人なら十分に戦える程度である。村人ナッシュとハンスは勇敢にゴブリンを駆逐していく。
「オラッ! 人間をなめんじゃぁねぇ!」
「はっ! ナッシュ、後ろだ!」
ゴブリンを倒したナッシュの後ろには、黒マントを羽織った白髪の背の高い男が立っていた。ナッシュに掴みかかり、そのまま首に牙を突き立てる。ナッシュは失禁し、抵抗を見せなくなった。
「あがっ! がぁぁ。」
瞬く間にナッシュの顔から血の気が引いていく。
「ナッシュを離せぇ!」
「「「グギャアァァ」」」
彼の友人ハンスはその白髪の男に立ち向かうが、ゴブリン達に邪魔をされ、地面に抑え込まれた。ナッシュは干からび、ゴミのように捨てられた。
「おい、あれってもしかして、ヴァンパイアじゃねぇのか。」
「なんで、そんな奴がこんなところに……」
村人達はその人間のような容姿と行動の特徴からそれがヴァンパイアであることを特定した。
「……まだ足りぬ。満月の元、我がロードに覚醒するまでまだ……もう一人、寄越せ。」
「や、やだー! 助けてくれー!」
ゴブリンに引きずられていくハンス。アイクをはじめとした村人達が助けに向かうも、ゴブリンが間に割って入り立ち塞がった。そして……
「光栄に思え人間よ。ロード誕生の礎になれた事を。」
先程のナッシュ同様、首に牙を突き立てられたハンスは失禁し、彼の股間が濡れていく。
ヴァンパイアがハンスの血を吸い尽くすと、突如としてあたり一帯に強風が吹き荒れた。宙に浮かび、生まれたての赤子のように背中を丸めるヴァンパイア。背中からは禍々しい漆黒の翼が生え、額には角、顔には赤色の紋様が浮かび上がった。
「素晴らしい、素晴らしい気分だ……力が湧き上がってくるのを感じる。これがロードの力。ふっ、ふははははは!」
異形の者の笑い声が響き渡る。アイク達村人はその圧倒的な存在感に動くことすら出来なかった。支配する者とされる者。捕食する者とされる者。自分達がどちらの立場であるのか、生物として本能的に理解した。
SSランクモンスター ヴァンパイアロード
ヴァンパイアの変異種。ヴァンパイアの他生物に対する吸血行動は食事目的である。だがごくごく稀に、吸血行動をとることにより、己の魔力を強化することができる個体が存在する。多くを食らった変異種は、満月の光の元、ロードへとその存在を昇華させる。アルカディア王国の歴史でも数例しか報告されておらず、その常軌を逸した戦闘能力と再生能力から伝説級のモンスターとされている。
「はぁっ!」
ヴァンパイアロードが力を込めるとその周囲を黒く邪悪な魔力が包み込む。
「もうダメだ……俺たち死ぬんだ。」
「なんでこんなことに……」
村人達の絶望は深まるばかりであった。足は震え、戦う気力など、とっくに失っている。
「お、おいあれ。」
ヴァンパイアロードに近づいていく一人の女性。それはナタリアであった。フラフラと歩く花嫁は異形の者の左腕に抱き抱えられる。
「ナタリア! くそ、助けないと。」
アイクはヴァンパイアロードに突撃する。しかし、それを見たゴブリン達はアイクの前に立ちはだかった。
「そこをどけぇ!」
ゴブリンを農具で薙ぎ払っていくアイク。だが、背後からゴブリンが襲いかかる。
「!!」
ガキン!
「み、みんな!」
一人の村人がゴブリンの棍棒を受け止めていた。若き新郎の勇気に感化された村人達は、次々にゴブリンとの戦闘を再開する。
「アイク、ここは任せて先に行け!」
「あぁ、何やってんだ俺達は。勝手に諦めてよ!」
一方のヴァンパイアロードは、人間とゴブリンの争いに対し、我関せずと言った態度を見せた。
「よく使命を全うした人の女よ。ロードとなった余の最初の食事に選ばれたことを光栄に思うが良い。」
ナタリアは糸の切れた人形のように上の空である。
「ふむ、恐怖に怯えた方が血は美味しくなる。」
パチン!
ヴァンパイアロードは指を鳴らした。途端にナタリアは正気を取り戻す。
「え、私、何を……いやっ! 何よアンタ。離して、離しなさいよ!」
「ナタリアを離せぇ!」
「アイク! 助けて!」
「そこで跪いていろ!」
アイクを睨み付けるヴァンパイアロードの目が黄色く光る。すると、アイクは突然、地面に伏した。これはヴァンパイアロードのみが持つされる魔眼。対象の動きを抑え込み、平伏しているような姿勢をとらせる。
「アイク!」
「はぁ、恐怖により良い味に仕上がっていそうだ。肉付きの良い人の女は大変美味であるからな。余を満足させよ。」
「いや、やめて……助けてアイク。」
「ナ、ナタリアを……離せ。」
ヴァンパイアロードは噛みつく場所をひと舐めするとその鋭利な牙を首元に突き刺した。花嫁姿のナタリアは失禁し、身体が震えだす。
「や、いや、たす……けて、アイ……ク」
「ナタリアーーーーーーーッ!」
血を吸われる花嫁の夫の悲痛な叫びが、満月で照らされた明るい夜にこだました。
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