第9話 狂気の花嫁

 結婚式の日。空は雲一つない晴天。村は煌びやかに装飾され、通りには村人が集まっていた。人々の顔には笑みが溢れ、村は祝福ムードに包まれている。


 本日の主役である花嫁姿のナタリアは自宅で待機していた。村の風習として、新郎が新婦を家まで迎えに行き、村人に祝福された後、大広場にて愛を誓う流れとなっている。


「うわぁ、ナタリアお姉ちゃん、綺麗。」

「えぇ、とてもお綺麗ですよ。」

「ありがとう、バテル君、ヘンリエッタさん。」

「あれ、その傷はどうしたの?」


 バテルはナタリアの首筋に傷があるのを発見した。いつもナタリアは髪を下ろしている為、分からなかったのだ。


「えっ、傷があるの? どこらへん? 目立ってる?」

「ううん。よく見ないと分からないから大丈夫だよ。」

「そう……ならいっか。」


 ナタリアの花嫁姿を嬉しそうに見守るメリッサ。女手一つで育てた娘の晴れ姿、母の表情には多くの思いが溢れ出ていた。


「もうこれで、思い残すことはないわね。」

「や、やめてよ、お母さん。そんな縁起でもない。」

「ごめんなさい。あの人の……私とカインの娘がこんなに立派に育ってくれたのが本当に嬉しくって。幸せになるんだよ。」

「……お母さん。」


 ドンドンッ


 扉を叩く音がする。ナタリアが扉を開けるとそこには、身なりを整え、髪を固めたアイクがいた。片膝をつき、ナタリアに手を差し出す。新婦はそっと、その手を掴んだ。


 二人は手を繋ぎながら村を回る。湧き上がる歓声。メリッサは車椅子に乗り、フレンダに押されながら新郎新婦の後を追う。


 そして、大広場にて愛の誓いが行われた。体調の優れない村長ヘーデルに代わり、その息子が代役を務めた。


「それでは誓いのキスを。」


 カナット村に生まれた幼馴染みの男女の唇は交わる。


「ナタリア、今までもだったけど、これからもよろしく。何があってもお前を守るから。」

「うん……頼りにしてる。」


 再び湧き上がる歓声。バテルは無邪気に拍手し、ヘンリエッタは羨ましそうにその光景を眺めていた。


 式が終わると村は宴の場へと変わる。広場に用意された長テーブルには大量の料理が並べられ、酒を飲む者、歌を歌う者、話し込む者など様々である。それは、夜まで続いた。


 綺麗な満月が夜空に浮かぶ。


「はぁ、お腹一杯。もう、食べられない。」


 宴の間、食べることを楽しんでいたバテルはテーブルの上に顎を乗せ、膨れたお腹を触っていた。その横ではヘンリエッタが村の者と雑談をしていた。彼女は自分達に危害を加える可能性の低い者に対しては、丁寧な対応をする。


「誰か新婦さん見なかったかい?」


 村の女性が周りを見渡しながら、盛り上がっている村人達に問いかける。


「ナタリアちゃんかい? いやぁ、分からないな。」

「さっきから姿が見えないんだよ。」

「どうせ、アイクのスケベが我慢できずにやることやろうとしているんじゃ?」

「ちょっと待った、ハンスさん。俺はここにいるし、スケベじゃない。」


 別の村人ナッシュがアイクをいじる。


「アホかアイク。ナタリアちゃんはベットでお前を待っているんだ。それくらい分からねぇのか?」

「ナッシュさん、何を言って……」

「おい、今想像しただろ。やっぱりスケベじゃねぇか。」

「くそぅ、この酔っ払い共め。」

 

  村の男達は笑い、女達は呆れかえっていた。


「あらバテル、どこに行くのですか?」

「ちょっと、オシッコ。」

「なら、私も一緒に。」

「だ、大丈夫だよ!」


 村の共同トイレで用を足すバテル。


「全くヘンリエッタは心配しすぎだよ。オシッコなんて一人でできるのに。」


 バテルがトイレを出ると、目の前にナタリアが立っていた。顔は俯き、表情が読み取れない。


「ウゥゥゥッ……ウゥ。」

「あっ、ナタリアお姉ちゃんもトイレ? 待ってるから一緒にもどろ。」

「……。」


返事をしないナタリア。


「ナタリア……お姉ちゃん?」

「うがぁっ!」


 ナタリアの目は真っ赤に充血し、口には牙が生えている。手に持っていた包丁でバテルに襲い掛かった。急な襲撃だったが、間一髪で避けるバテル。


「ど、どうしたの! ナタリアお姉ちゃん!」


 バテルの声は彼女には届かない。それはまるで獣であった。理性を失い、包丁を振り回す花嫁。


「やめるんだ! ナタリア!」


 ナタリアに飛びつき、彼女を取り押さえるアイク。たまたま用を足しに来た彼によってバテルは救われた。


「大丈夫ですか、バテル!」

「ヘンリエッタ、ナタリアお姉ちゃんの様子がおかしいんだ。」


 ナタリアは駆けつけた村人達によって拘束され、口には布を噛ませられた。近くの村人の家に運び込まれた彼女は未だに理性を失っている。


 一方、彼女の母、メリッサは娘の晴れ姿を見届けた後、日が落ちる頃には自身の部屋で療養していた。窓の外を眺め、娘のこれからを祈っている。


 月明かりが差し込む彼女の部屋のドアがゆっくりと開く。


「あら、ヘーデル村長。ここに来られるなんて珍しいですね。外が騒がしいようですが、何かあったのですか?」


 部屋の入り口で不敵な笑みを浮かべるヘーデル。


「ヘーデル……村長?」


 ベタ……ベタ……

 

 不気味さを感じるメリッサの背後の窓には、部屋を覗き込む数体のゴブリンが張り付いていた。



「ヘンリエッタ、これは一体どういうこと?」


拘束されたナタリアの目を見るヘンリエッタと唸り声を上げる花嫁。


「充血した眼に、牙まで生えている……これはまさか。」


 その時である。息を切らしたフレンダが慌てて入ってきた。


「メリッサが……メリッサが!」


 バテルとヘンリエッタ、アイク、フレンダと数人の村人がメリッサの部屋へと急ぐ。


 バテル達は割られた窓と荒らされたベットを見て、言葉を失う。窓の破片には、メリッサの物と思われる血が付着していた。


「メリッサの様子を見に来たら、こんなことになっていて。ねぇ、メリッサはどこにいったの?」


 バテルは壁に描かれた黄色いバツ印を見つけた。


「ねぇ、ヘンリエッタ。あれ……」


 壁に描かれていたもの。それはゴブリンが縄張りを示す為に行うマーキングであった。その場にいた者は理解した。メリッサはゴブリン達に連れ去られたのだと。


「ヘンリエッタ、直ぐに助けに行こう!」

「はい、勿論です。アイク、直ぐに村の人達を広場に集めて可能な限りバリケードを。戦える者には武器を持たせて。」

「でも、メリッサおばさんが……ゴブリンは山の上にある洞穴にいる。俺が案内しないと。」

「……私が行くわ。」

「お袋!? そんな危なすぎる。俺が代わりに……」

「あなたはナタリアを守りなさい。昼間、そう誓ったのでしょう!」

「お袋……」

「それにメリッサは私の大事な親友よ。死なせてなるものですか!」


 リュックを背負ってきたバテル。ヘンリエッタはそこからある指輪をバテルに着けさせた。


「バテル、この指輪を絶対に外さないように。」

「うん、分かった!」


 バテル、ヘンリエッタ、フレンダの三人はゴブリンが巣食っていると言われる洞穴へと急ぐ。


 一方、アイクはヘンリエッタの指示通り、簡易的なバリケードの作成と、武器になりそうな農具を村人に携帯させた。ゴブリンによる襲撃。カナット村は、一致団結してゴブリンと戦う覚悟を決めた。


 暗い山の中を走るバテル、ヘンリエッタ、フレンダの三人。満月のおかげで足元はよく見える。


「見て、血の跡がある!」

「どうやら、その洞穴で間違いないようですね。」


 フレンダは思い詰めた顔をしている。


「どうしてメリッサが……あぁ、彼女の側に居ればこんなことには。」

「確かに不自然です。」

「ヘンリエッタ?」

「メリッサさんをゴブリンが狙う理由が分からない。その場で殺さずに拐う理由……。そして、マーキングとこの血の跡。まるで、私達に洞穴まで来てもらいたがっているような。」

「ゴブリンが他所から来た貴方達を警戒して、メリッサを拐ったとか? でもなんで?」

「理由はどうであれ、早く救出して村に戻らないと。恐らくゴブリン達が襲撃に向かっているはず。それに、ナタリアのあの症状は……」


 ヘンリエッタは自身の疑問に答えを出せないまま、三人は洞穴の入り口に到着した。


 茂みより様子を伺う三人。フレンダは入り口に落ちているスカートに気づいた。


「あれはメリッサの!」

「フレンダさん!」


 スカートを拾い、それがメリッサの物だと確信するフレンダ。


「この中にメリッサが……」

「行こうヘンリエッタ。メリッサさんを助けないと。」


 三人は洞窟を走る。ゴブリンがつけた物であろう松明の光がその暗闇を照らした。薄暗いそこは、腐った肉のような、吐き気を催す臭いが漂っている。


 間も無くして、彼女らは開けた場所に出た。


「メリッサ!」


 松明によって組まれた円陣の中に、メリッサは横たわっていた。フレンダはすぐに駆けより、彼女の生死を確認する。


「大丈夫? メリッサ! メリッサ!」

「うぅ…」


 反応を見せるメリッサ。フレンダは彼女の足元が血で染まっていることに気付いた。


「ああ、なんて酷い。」


 メリッサの足の腱は逃げられないように削ぎ落とされていた。


「早く止血をしないと!」


 自身の着物を破り、傷口からの出血を抑えようとするフレンダ。慣れた手つきで、応急処置を行う。


 周囲を警戒していたヘンリエッタは自分達が見られていることに気づいていた。足音が近づいてくる。


 コツコツ


「なるほど、そういうことか。」


 闇の奥より現れた一人の男。その姿は紛れもない村長、ヘーデルであった。

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