黄昏時と10年
明日でちょうど10年だ。立花時雨は柄にもなく物思いにふけっていた。
明日からの仕事場所が変わるわけではないが業務内容はサポートに回ることになる。つまり前線で暴れるのは今日で最後だ。
今日の仕事は《はぐれ》と呼ばれる物語の始末。
物語の世界から現実へとその姿を投影した現実にあらざる者。力なき者から絶大な力を発揮するものまで幅は広いが、多くの《はぐれ》は現実に自らの爪痕を残そうとする。その結果、人に取りついてその人生ごと奪ってしまう例も少なくない。
時雨の父親もそうやって物語に取り込まれた被害者の一人だ。そしてその件が時雨を物語の力を使うもの……すなわち《語り部》として目覚めさせた原因でもあった。
今回の《はぐれ》はすでに一人の人間を殺している。《はぐれ》のもとになった物語はサスペンスものの小説だ。犯人の人格が一人の男性に乗り移り。物語と同じように無差別殺人を行う。今後、同じような殺人事件が起こる前になんとしても防がなくてはならない。
時雨は古びた本を取り出すと意識を集中させる。勢いよく風に舞うようにページがめくれる。最後のページまでめくれると時雨はパタンっと本を閉じた。
先程まで黒い瞳だった時雨の右目は今はほんのり赤く染まっている。時雨の《語り部》としての能力の発現を意味する印だ。
時雨は今回の事件の情報を頭のなかで処理する。それは通常の論理的思考とは違う。開示される情報の整理をするだけの思考。それは不思議な感覚だ。見てないことや知らないことが、あたかも最初からそうであったように時雨の中へと入ってくる。物語の関わりが無い事象に対しては効果を発揮しないのは対象の物語に直接干渉しているのだと時雨は認識している。
あらゆる情報から次に狙われるであろうターゲットを3人に絞る。そのなかのひとりが知っている顔だと知ると時雨の表情は曇る。
……まったく。そう時雨はため息を堪えることができなかった。この力は呪いなのかもしれない。運命から逃れることのできない呪い。力に引き寄せられる様に力は巡り会う。
他のふたりの位置も把握しながら彼女の元へと向かう。彼女ならば自分でなんとかしてしまうだろうが、それでも隙を付かれれば最悪の結果もあり得る。不安が募り時雨は歩みを早めた。
□□□
柿下澪は溢れだす物語の力に気づいていた。それを気づかない振りをしながら普段通りに下校していた。警戒するほどの力の持ち主でないことは分かっていたし、人気のあるところでは襲ってこないだろうとも察していた。
「澪、また明日ねー」
友達がまた一人違う方向へ帰っていく。返事をしたものの些か空返事だったかもしれない。ただ、これで一人になった。
次の角を曲がれば人気は急激に減る。澪は角を曲がるのと同時に学生鞄の中から一冊の本を取り出した。薔薇の装丁がされているその表紙をめくる。すると辺りはほんのりと赤く染まる。
太陽は出ているし、山の影に隠れているわけでもない。それでも世界は黄昏に染まった。
澪が正面を向くと同世代の女の子が立っている。ただ彼女はライトノベルのファンタジーに出てくるような装飾された剣と銀色に輝く鎧を着けている。これは今取り出した本の主人公だ。澪は彼女の力を借りて物語と戦う《語り部》の一人だ。
スーっと女の子が澪に重なるように溶けていく。それは一瞬。光を放ったかと思うと澪の姿は銀色の鎧を身につけた者へと変わっていた。本は剣へ、学生鞄は盾へと変わっている。
準備が整ったのと《物語》が襲ってきたのは同時だった。
ガキンッ!
襲ってきた男は包丁で刺し殺そうとしていたようだ。澪は鎧でそれをいとも簡単に弾く。
力の差は歴然だ。しかし、澪は気を引き締める。男の抱いている憎しみが明らかにおかしい。物語が暴走するほどに……。こうなると《物語》は物語以上の力を発揮する。それは世界の常識では測れない強さをこの世に顕現させるものだ。
澪は盾を構え、再びの襲撃に備える。男はそれを見てもなんの感情も抱いていないようにジリジリと近づいてくる。男は駆け出すと包丁を前に押し出してくる。盾で受け流そうとするが男の勢いが大きすぎて盾をコントロールできない。
男も勢いが余ってバランスを崩すと澪を後方で転んだようだ。澪は体勢を建て直そうと男の方を振り替える。そこには体勢を崩したはずの男がすでに包丁を振りかぶっている姿があった。
なぜ?と思うのと同時にこれが物語の力だと思い直す。油断しているつもりはなかったがそれでも、甘かったようだ。澪はとっさに後方へとステップするが包丁は頬を掠めた。
ツーっと血が垂れてくるのを金属の籠手で拭うと今一度盾を構える。同じ攻撃が繰り返されるといつかはコチラが負ける。どうにか反撃をしなくてはならい。
焦燥感の中、澪は盾を捨て剣を正眼へ構える。静かに風の音だけが聞こえるなか自分の心臓が跳ねているのが分かる。焦りは敵ではない。緊張感を高め決断力を早めることもある。澪は覚悟を決めると自ら切りかかる。イメージに感情をのせる。
□□□□
集中し過ぎた影響か、息が切れてしまった。澪は呼吸を整えようと大きく息を吸う。
「さすがは姫騎士様と言ったところですか」
気を抜いていたタイミングもあって澪はひぇっと不思議な声を出してしまう。
「た、立花さん……脅かさないでくださいよー」
「いや、失礼。見事な太刀筋でした。割って入る隙もなかった。彼女が君に期待するのも分かりますね」
そう言う立花さんはとこか上の空で今倒した《物語》を少しだけ悲しい顔をしながら見ているようだ。
「あの《物語》。知ってるんですか?」
「えっ……まあ、そうですね。隠しても仕方ないのですが、あの《物語》はきっかけでもあるので……いい思い出ではないですね」
そういうと立花さんの顔は更に暗くなったような気がする。きっかけというのはつまりそう言うことだ。人によってそれは違うけれど《物語》と関わるということは大抵いい思い出ではないと聞いている。それに……。
「明日で10年なんですよね」
立花さんは少しだけ頬を緩ませる。
「そうなんです。最初の《物語》と最後の《物語》が同じなのはやはり、この世界はそう作られてるのかもしれないです。それになんど修正しても同じように物語は暴走して溢れだす。それが報われることがないんだなと……」
「そんなことないです!」
立花さんは珍しく驚いた顔でこちらを見た。
「私も望んで手にいれた力じゃないけど、この力でしか見れない景色もたくさんあるし、出会えなかった人もたくさんいます!私なんかに誰かを助けられる力があるなんて思いもしなかったんです。立花さんだってたくさんの人を《物語》を救ってきたじゃないですか」
立花さんは少しだけ驚き、少しだけ今の言葉を咀嚼する。
「そうか……それこそ流石は姫騎士様だ。そうかもしれませんね。私の10年も無駄ではなかったのですよね……なんだか肩の荷が降りた気がします。これで心置きなく明日を迎えられます」
立花さんのそれは恐らく嘘なのだろう。本音なのかもしれないが、根本にあるそれはこんな言葉で変えられるとは思わない。それでも立花さんのやってきたことは無駄ではないのも嘘ではない。彼の功績は一言では語れないほど大きい。彼の《語り部》としての人生は確かに存在している。そうでなくては戦い続けた10年とはあまりにも悲しすぎる。
□□□□
朝めが覚めて、常に持ち歩いてた本を手に取る。
それこそ慣れ親しんだ家族のような存在だ。
表紙を静かにめくる。昨日までのぞわっとした力が感じられない。
頭では理解していたが急激に感覚を失うとは本当に自らの一部が欠如してしまったように思える。実際は、あるはずのないコブのような何かが消えただけなのに……。
創造的な人生の持ち時間は10年とは誰の言葉だったか。
《語り部》とはクリエイターとは違うのかもしれないが物語を力にするとは創造と同じなのかもしれない。
本を一頁めくる。ふと、気づく。この本の文字を読むのは10年振りなのかもしれないと。
そのまま。夢中になって読み更けた。10年振りの物語を……。10年ともにした相方を……。
パタンッ。本を閉じた彼の右目から絞り出すようにほんのりと赤く染まった雫が本に一滴、落ちた。
黄昏時の物語 霜月かつろう @shimotuki_katuro
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