五分後の君は多分笑っている
暁烏雫月
五分後の君は多分笑っている
「あの……来栖君のことが好きです! 付き合ってください!」
放課後、まだ人の少ない昇降口。同じクラスだという名も知らない女子生徒が突然告白をしてきた。答えなんて告白される前から決まってる。けど返事の前に一瞬気がそれた。
下駄箱の後ろから物音が聞こえたんだ。あれはそう、通学鞄を床に落とした音。咄嗟に音のした方を向けば、見慣れたシルエットが校舎内へ駆けていくのが見える。俺があいつの後ろ姿を見間違えるはずがない。
最悪だ。告白の瞬間を、一番見られたくない奴に見られた。あいつにだけは、遥にだけは絶対に見られたくなかったのに。
名前すら覚えてない女子生徒からの呼び出しなんて引き受けるんじゃなかった。どうせ断るのに変わりはないんだから。
「く、来栖君?」
「ごめん、他に大切な人がいるから無理。付き合えない」
「そっか……」
「じゃあこれで。俺、人を追いかけなきゃいけないんだ」
目の前で女子生徒が泣いている。なのにその泣き顔を見ても俺はなんとも思わない。せっかく勇気を出して告白してくれたのに、俺はその子を置き去りにして遥を探しに行く。
ごめん。俺には顔も名前も覚えてない君より、幼馴染の方が大切なんだ。
腕時計を見たら下校時間まであと五分。急がないと下校チャイムが鳴る。その前に想いを伝えなきゃ。俺には遥が必要なんだ。
★
俺と遥は幼馴染で家も隣同士。小さい頃はしょっちゅうお互いの家を行き来してた。どんな天気でも、どんな季節でも、登下校は絶対に一緒。だから俺の左側にはいつだって遥がいた。今日の朝も当然一緒に登校した。
高校生になると通学に電車を利用するようになった。朝の混雑ではぐれないように、俺達は決まって乗車前に手をつなぐ。今朝もそう。離れないようにお互いの指を絡めて、遥の手を強く握ったんだ。
離れ離れになるのは昇降口。下駄箱はクラスごと、名前順で並んでいる。だから、クラスの違う俺と遥は嫌でも昇降口で別れることになる。
「じゃ、また放課後な」
「今日は翼の教室集合ね」
「おう。じゃ、頑張ろうぜ」
他愛のない会話でそれぞれの日常に足を踏み入れる。それが昇降口という場所だった。
朝別れてしまえば、もう放課後まで遥に会うことはない。学校にいる間はお互い友達と仲良く過ごす。それが俺達の暗黙のルールだ。今朝もいつもと変わらない日常だった、下駄箱の中を確認するまでは。
上履きを出そうと下駄箱の中身を確認してから異変に気付く。上履きの上に小さな封筒がちょこんと乗っかっている。そっと封筒を取り出して開けると、中には一枚の便箋が入っていた。
「お、面白そうなもん持ってんじゃん?」
人間違いだといけない。中身が俺宛とは限らないし。そう思って中身を読もうとしたら後ろからかっさらわれた。
「『来栖翼君へ。今日の放課後、昇降口で待ってます』だってさ。ラブレターじゃね?」
「読み上げるな! 返せよ、潤!」
「こんな面白い物返すかよ」
「おい!」
俺宛のラブレターを奪ったのは潤。わざわざ音読までしやがって。遥に聞こえたらどうすんだよ。いくら昇降口が広くても、潤の声がそこまで大きくなかったとしても、遥に聞こえた可能性があるだなんて穏やかじゃない。
潤は俺宛のラブレターを持ったまま、昇降口から教室へと走っていく。急いで靴を履き替えると俺も潤の後を追った。
一年生の教室は校舎の四階。流石に一階から四階まで階段を駆け上るのはキツイ。潤の奴、もう教室に着いてるし。どうにか教室に着いた時には、すでに潤がクラスの男子に話を広めた後だった。
「で、どうすんの? 行くの? 応じるの?」
「……何勝手に話広めてんの?」
「別に減るもんじゃないだろ。男子にしか伝えてないし」
「噂が遥の耳に入ったらどうすんだよ!」
正直、呼び出しとか告白とかどうでもいい。クラスの女子なんて名前も顔も覚えてないし、遥以外の女子に興味なんてない。心配なのはラブレターのことが遥に伝わるかどうかだけ。
無視することもできる。けど、差出人の名前すら書かれていないそのラブレターに応じないのはなんか違う気がした。勇気を出して呼び出しの手紙まで出してくれたなら、せめて呼び出しに応じてからフラないと。
「どうするんだ?」
「とりあえず、答えは決まってるよ」
「やっぱり」
「やっぱり?」
「入学式の時からずっと幼馴染と登下校してるだろ? 付き合ってるって噂が流れてるぜ」
「まだ付き合ってはいない。だからって答えは変わらないけど」
俺と遥は毎日一緒に登下校してる。幼稚園の時からずっと。小学生になっても中学生になっても、「付き合ってる」なんて噂が流れても。遥はどんな噂が流れても、からかわれることがあっても、俺との登下校をやめなかった。
俺から登下校を断ることは絶対にない。むしろ好都合だ。誤解される方が楽。遥と登下校していれば、噂が流れれば、誤解されれば、こんな手紙をもらうはずがないのに。
「翼、マジで付き合ってないの?」
「うん」
「じゃあ俺、狙っていい? 実は――」
「遥は駄目。絶対に駄目」
「なんでだよ」
付き合ってないただの幼馴染ならこんなことは言わないのかもしれない。俺達はずっと前からこれが当たり前だった。それが崩れるかもしれないなんて考えもしなかった。
なんでかなんて、すぐに答えは出てこない。けどこれだけは言える。遥を他の男子に盗られるなんて絶対に嫌だ。
けど遥はどうなんだろう。本当は俺と一緒の登下校が嫌なのかもしれない。噂もからかわれるのも嫌なのかもしれない。悲しいことに俺は、潤に聞かれるまで、遥が俺との関係をどう思ってるかなんて考えもしなかったんだ。
「……遥は俺のだから」
「付き合ってないんだろ? ただの幼馴染だろ?」
「遥がどう思ってるかは知らない! けど……俺は嫌なんだ。俺以外の奴が遥の隣にいるなんて、嫌だ」
「じゃあ告れよ」
「怖いんだよ、遥の気持ちを知るのが」
「じゃあ、誰かの彼女になっても文句は言えねえな」
潤の言う通りだ。彼氏でもないただの幼馴染に、遥の恋愛に口を出す権利はない。ずっとそばにいたのに、俺には潤の告白を断る権利すらない。そんな当たり前のことに今更気付いてハッとした。
「お前、わかってねえよな」
「何が?」
「いや、なんでもねえ」
「そういうことにしとく。とりあえずその手紙、返して」
「へいへい」
潤が俺の手にそっと手紙を乗せてくる。けどその目は笑っていなかった。遥のことは多分、本気だ。そう確信した。
★
今思えば手紙に応じて昇降口に行くっていう選択肢が間違ってた。
ホームルームが終わったクラスから自由になる。今日に限って、遥のクラスより俺のクラスの方が終わるのが早かった。きっと遥なら待っていてくれる。そう信じて昇降口に向かったんだ。
その結果がこれ。
どういうわけか昇降口に来た遥は、俺が告白される瞬間を目の当たりにして逃げ出した。下駄箱の裏には、遥が通学鞄に付けていたリスのぬいぐるみストラップが落ちている。
このぬいぐるみストラップは俺が誕生日にあげたやつ。タグのところに「小谷遥」って書いてあるし。ストラップを拾ってから思わずため息をついた。
遥が行きそうな場所と言えば、俺のいた教室くらいしか浮かばない。今日は遥が迎えに来る日だから。きっと急いで戻って、呼吸整えて、嘘の笑顔で「おかえり、待ってたよ」って言うんだ。
一人で抱え込む子だから。きっと表向きは今見た光景を見なかったこととして振る舞う。けど現場は見てたから、俺が誰かと付き合ったとして距離を取ろうとする。そういう奴なんだ、遥は。
目的地を決めると、一階から四階まで一気に階段を駆け上がった。一段飛ばしに走ったせいか喉が痛い。けれど呼吸を整えるために休んでいる時間もない。
早く追いかけなきゃ。誤解を解かなきゃ。
重たい足を引きずって廊下を進む。遥のいる一組は階段のすぐ近くだから楽だ。けど俺のいる五組は、階段を上ってから少し歩く。今はその少しの距離すら憎い。
「あれ、翼じゃん。お疲れ。どうだった?」
教室の前で俺に声をかけたのは、潤だった。何が起きたのかも知らずにヘラヘラと笑ってる。その笑顔が、明るい声が、俺を苛つかせる。
潤越しに扉の小窓から教室の中を覗く。遥はやっぱり五組に来ていた。俺の席に座り、机に突っ伏している。すすり泣く声が聞こえるのは気のせいじゃない。気がつけば俺は潤の胸ぐらを掴んでいた。
「おい、潤。遥に何をした?」
「何もしてないよ?」
「じゃあなんで遥が泣いてるんだよ」
「何言ってんのさ。原因は翼だろ?」
俺が原因。遥を泣かせたのは俺。俺は今日、何をしたっけ。
昇降口で告白された。同じクラスの女子らしかったけど、お断りした。泣き崩れるその子を置き去りにして、遥を探した。それだけだ。
「俺は何もしてねえ。なんなら掃除当番してる間、小谷さんは一度だって姿を見せなかった。今さっき息を荒げてやってきたかと思えばあんな感じってわけ」
つまり、遥が泣いているのは、俺が告られるのを見たから。というか――。
「掃除当番の間、遥は来なかった?」
「そう言ってんだろ。耳、聞こえてるか?」
「聞こえてるって。信じられないから確認しただけ」
だってそうだろ。教室に寄らずに昇降口に来たってことは、俺が昇降口に呼び出されたことを知っていたことになる。なら、声をかけてくれればいいのに。
一言「行かないで」って言ってくれれば従った。というか呼び出されたところで俺が告白断るのなんて予想できるだろ。そもそも、俺が告白されるのを見て楽しいか?
「じゃ、俺は帰るからな。声、かけてやれよ?」
「おう」
「また明日。結果、楽しみにしてっからな」
「うっせーよ」
掃除当番が終わるのに教室の前で待っていたのは俺を待っていたから、か。にしても潤の奴、一言多いんだっての。
ガラリと音を立てて扉を開ける。物音に気付いたのか、遥が急いで顔を上げる。軽く涙を擦ってからようやく俺の方を見た。わざとらしく口角を上げて嘘の笑顔を貼り付ける。
「おかえり、待ってたよ」
「そんな泣き顔で言われても嬉しくない」
「泣いてないよ」
「嘘つけ。目、真っ赤だぞ? あとこれ。下駄箱の裏に落ちてた」
もう逃げるのは無し、だ。泣き跡の残る顔にリスのぬいぐるみストラップを突きつける。俺が誕生日プレゼントとしてあげた、遥が通学鞄に付けてたストラップ。
「ごめんね」
「謝んな」
「ごめん」
「それ以上謝るなら口塞ぐぞ?」
遥は何も悪くない。悪いのは俺だ。当たり前に甘えて逃げてきた俺が悪い。謝るのは俺の方だ。
「ずっと怖くて聞けなかったことがある。聞いてもいい?」
「……いいよ」
リスのぬいぐるみストラップを通学鞄に付けると、遥が苦笑いしながら言った。
「一緒に登下校するの、嫌?」
「全然」
「その、さ。一緒に登下校してると、変な噂とか流れるじゃん。あれ、嫌じゃなかった?」
「嫌なわけ無いじゃん」
「そ、そうか」
なんとも言えない沈黙が訪れる。こんなにはっきりと否定されるとは思ってなかったな。てっきり「嫌だ」って返ってくると思ってた。そうか、嫌じゃないのか。
「さっき、嫌だったろ?」
「……そりゃまあ」
「別に付き合うつもりはないんだ。けど、断るにしても直接伝えた方がいいかなって――」
「翼はなんにもわかってない」
誤解を解こうと口にした言葉は遥によって遮られた。
「一緒に登下校するの、嬉しかった。噂とか全然気にしなかった」
「それは知らなかった」
「……さっきね。もしかしたら翼はこの人と付き合うのかもしれないって思った。想像しただけで涙が止まらなくて」
「誰が名前も顔も覚えてない奴と付き合うんだよ、バーカ」
急に変な手紙寄越されたからってそう簡単に付き合うわけないだろ。俺には遥がいるんだから。遥の隣にいるのは俺じゃなきゃ嫌なんだから。
「俺の左隣にいていいのは遥だけだし」
「わ……つ……」
「聞こえないんだけど?」
「わ、私の右側にいていいのは翼だけ、だから」
一瞬何言ってるかわからなかった。
俺の左側にはいつだって遥がいた。どんな天気でも、どんな季節でも、学年が変わっても、そこだけは変わらない。けど、遥の右側ってなんだ?
右は俺の利き手だから、橋を持つ方の手だよな。遥にとっての右側は俺から見て……も右だな。ってことはもしかして、遥は俺と似たようなこと言ってるのか?
遥の笑顔が見られればそれでいいと思ってた。遥に好かれてるだなんて夢にも思ってなかったし、きっと片思いだろうなと思ってた。
好きな子との登下校が嬉しくないはずがない。付き合ってるの噂さえ嬉しかった。「いっそ噂が本当になれ」って何度も願ったくらいには。
「翼。耳貸して」
俺が黙り込んだのを見かねてか、遥が声を出した。言われるがままに耳を遥の方へ向ける。遥がそっと耳に口を寄せて息を吸う。
「全部、翼が好きだからに決まってるじゃん。バーカ」
「……付き合うか?」
「もちろん」
遥が言い終えると同時に下校チャイムが鳴った。嬉しさと恥ずかしさで遥の方をチラリと見ることしかできない。横目で見た遥は、さっきまでの泣き顔が嘘のように笑っていた。
五分後の君は多分笑っている 暁烏雫月 @ciel2121
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