泣く女

"うぅ…っ。ひっく。ひっく…。"


女性の咽び泣く声がして、男は当たりを見回す。


「うーん。またかぁ…。」


独りごちて首を傾げた男は、再び荷造りを始めた。


先程からずっと、女性の微かな泣き声が聞こえるものの、辺りには誰もいない。


男は、今年で5歳になる息子と森の小川へ釣りをしに来ていた。


しかし、今日は何故か、とんでもなく調子が悪い。朝からこうして釣り糸を垂れているが、魚1匹も釣れない。


「困ったなぁ…」


男は場所を変えようと荷造りをしていた。


そこで、息子の姿が見えないことに気づく。


「おーぅい!ヨハァーン!!」


大声で名前を呼んでみたが、返事はない。


「アハハハハ」


と、遠くから小さく、息子の楽しそうな笑い声が聞こえてくる。


「あいつめ…。勝手にあちこち行くなと言ったのに…。」


溜め息を着いた男は、荷物を持って息子の声がした方へ歩いていった。


声は、小川の下流へ行くほど近くなってくる。


歩いて歩いて…。あちこちから木の根が飛び出し、草が生え放題に生えている藪の中を、手探りで進んでいく。


降り坂を川に沿ってずっと降ると、ふと、目の前が開けて、先程よりも広く大きな川にたどり着いた。


はぁ、はぁ…。


初老を迎えた男にとって、降りといえども坂道は、かなり身体に堪えるものがあった。もう大声を出す余裕もない。


「アハハハハ」


息子の声は相変わらず楽しそうだ。


「全く。心配させおって…。」


肩で息をしながら、ふと目線を先へ向けると、真っ黒な喪服に身を包み、頭に黒のベールを被った、髪の長い女性と共に対岸の川辺を歩く息子の姿が見えた。


やけに楽しそうな息子に対し、傍らにいる女性は全く声を発しておらず、それはどこか異様な光景であった。


“あれは、泣いていた女性か…?


それにしても、息子はなんで一緒にいる?“


様々な疑問が頭に浮かび、なんとも形容のしがたい嫌な予感がしてきた。


対岸を向いたまま思考停止してしまった男は、視線の先の女がベールの陰から、こちらをじぃと睨んでいることに気づき、瞬間的に青ざめた。


なんとか息子を連れ戻すべく、名前を呼ぼうとするも、喉がカラカラに乾いてしまっていて声が出てこない。


それからの光景は、まるでスローモーションの映像のように流れていった。


男の目の前で、女は息子の手を引いて川の中へずんずん進んでいった。


息子も、何故か嫌がる様子を見せることなくニコニコと女と共に川の中へ入っていく。


“やめろ…!!やめるんだ…!!やめてくれぇ!!“


男は必死に叫ぼうとしたが、何者かによって喉の入口に蓋をされてしまったかのように、一言たりとも言葉発することができない。


2人の姿は、もはや川の半ばまで来ていた。


女の方は、もはや上半身しか見えず、息子の方は顔しか水面に出ていない。


打つ手のない男は、心で必死にやめろやめろと叫びながら、しかし、声も出せずに目を見開いたまま涙を流すことしか出来なかった。


~終~



朝刊にて


昨晩、川へ釣りに行った50代の男性から「息子が川に溺れてしまった」との通報があった。

遺体はまだ見つからず。

男性は酷く混乱しており、“女が息子を攫っていった“などと言っている。

警察は、遺体の捜索を進めるととともに、事件性がないかを調べ、男性の精神鑑定も進める予定である。


~終~

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