バンパイア伝説

とある農家にて


コンコンコン


夕飯時、夫の帰りを待っていた中年の農婦は、ドアを叩く音に後ろを振り返った。


“亭主が帰ってきたのか?それにしてはまだ早い“


疑問に思いつつ、ドアをあけると、見たことも無い男が立っていた。


自分と同じ歳くらいの初老の男は、でっぷりとした腹に赤ら顔で、人の良さそうな笑みを浮かべていた。


「俺は隣の村の者なのだが、街へ行った帰りに道を間違えてしまって…。ちょっと休ませてはもらえないかい?」


困ったようにため息をついた男は、すまなそうに笑うとそう言ったのだった。


“まあ、この辺はあちこち山と畑しかないからね。そういうこともあるのだろうよ“


農婦は疑うこともせず、あっさりと家の中に招いてしまったのだった。


その男は、家の中に入るとキョロキョロと辺りを見渡し、「これはいい家具だ」と褒めた。


「よかったらそこの椅子に座ってくださいね。」


農婦はお客様用の椅子を指し示すと座るように勧めた。


「ありがとう」


お礼を言った男は、どかりと椅子に腰を下ろし、自分の胸ポケットからウイスキーを取り出した。そしてゴクリと1口飲むと、シャツの袖で口元を拭いたのだった。


“酔いどれは嫌だねぇ“


ちらりと横目でそれを眺めた農婦は、そんなことを思いながら夕飯の支度に取り掛かった。


“亭主が帰ってきちまう“


急いで夕飯を完成させるべく、調理をしていたが、ふと先程の客人のことも思い出した。


「お腹が空いているでしょうから、夕飯でも召し上がってくださいな。時期にうちの主人も帰ってきますし。」


客人の方も見ずにそういった農婦は、直後、後ろからなにかの気配を感じて振り返った。


そこには、あの客人の男がニタニタしながら立っている。


なにやら身の危険を感じた農婦は、後ろに下がろうとしたが、ちょうどキッチンが真後ろにあって身動きがとれない。


「なんですか?忙しいのであっちに行ってください。」


後ろでは火にかけられた鍋がグツグツと音を立てている。中身は玉ねぎたっぷりのスープである。かき混ぜないとそこに張り付いて焦げてしまうだろう。


何も答えずにニタニタしながら、なおも男は距離を詰めてくる。


気味が悪くなった農婦は、持っていたお玉を振り上げた。と、そこで奇妙なことに気がついた。


“この男、さっきから足音が一切しない。そればかりか、後ろから照らされているはずなのに、目の前の足元に男の影は作られていない。”


全身から血の気がサーッと引いて、農婦はお玉を振り上げたまま、金縛りにあったように動けなくなってしまった。


両腕分くらい距離があったはずの男と自分との距離は、片腕分くらいまで縮まっていた。


奇妙なことに、ニタニタと笑いながらゆっくりと迫ってくる男は、徐々に膨張して人間の形を失ってきているように見えた。


1歩踏み出すごとに皮膚がブヨブヨと垂れ下がり、身につけている衣服を圧迫している。そして、料理の匂いに混ざってなにやら腐敗臭が漂ってくるではないか。


農婦は、吐き気を催すような臭いと見た目に、呼吸をするのが精一杯であった。


“怖い。臭い。死にたくない。“


色々な思いが頭の中でごちゃごちゃにうずまいて目眩がしてくる。


とうとうビリビリと男の服が破れ、両目玉がだらりと目の穴から抜け落ちた。


血と肉が詰まった出来損ないの巨大な腸詰に、視神経が剥き出しになった目の玉がぶら下がっているような異様なソレは死臭を漂わせて元は腕であった塊を前に差し伸ばした


ひぃ……。


農婦は息をのんだ。


カランとお玉が床に落ちる音がした。


~終〜


農夫は帰路を急いでいた。お腹はペコペコで、疲れが限界を迎えている。


立っているのもやっとだったが、美味しい夕飯と愛する妻が待っている。


“今日は隣の家の農家仲間から、大量に玉ねぎを分けてもらっているから、大好物のオニオンスープが出てくるに違いない。”


そんなことを考えると、自然と笑顔になった。


家の近くまで来た時、なにか燃える臭いが漂ってきた。


“野焼きか?“


あまり気にせず進んでいく。


家の前にくると、そこには人だかりが出来ていた。どうやら燃えていたのは自宅だったらしい。


農夫は思いもよらない事態に愕然とした。


「妻は……っ!?畑は………っ!?」


さっきまでの疲れや眠気が一気に冷めて様子を確認しに行こうとするが、消火活動をしている仲間に止められる。


「近寄るな!危ねぇ!ダメだ!」


農夫は仕方なしにさがると、やきもきしながら火が消えるのを待った。


火があらかた消え、仲間が戻ってくると、農夫は半狂乱同然に状況を尋ねた。


「家も畑も全焼じゃ。気の毒だが、奥さんの遺体も残っていなかった…。」


仲間から聞かされた話はとても残酷なもので、農夫はあまりの惨さに言葉を失い、呆然とするよりほかなかったのであった。


~完~











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