邪視
ハァ、ハァ、ハァ……。
その幼い少女は逃げていた。
「待てーっ!!魔女めー!」
後ろからは、彼女よりも3歳くらい年上であろう少年たちの追う声が聞こえてくる。
「絶対に逃がすもんか!捕まえろぉ!」
口々にそう言う少年たちの声は、次第に背後に迫っていた。
“どうしたらいいの……?“
泣きそうになりながら、視線だけで、どこか隠れられそうな場所を探す。
ふと、脇を見ると草がぼうぼうに伸びきっている薮をみつけた。
転がるようにして藪の中にとびこむと、身を屈めて、時々周囲の音に耳をそばだてながら、慎重にガサリガリと進む。
藪の中程まできたとき、急に目の前に、まぁるく開けた地面が現れた。少女は、驚いて立ち止まる。
「どこに消えた?あっちか?」
「いや、こっちだろ?」
「くそっ、見失ったぞ!!」
タイミングよく、後から少年たちの悔しがる声が聞こえてきた。しばらく聞き耳をたてていると、どこかへ走り去る足音が聞こえた。
ザザザザッ……。ザザザザッ……。
風が強くなってきていた。風が吹く度に、自分の背丈の倍はありそうな草が音を立てた。
少女は、屈んだままゆっくりと、目の前の地面まですすむと、ちょこんと腰を下ろした。
たくさん走ったせいで胸は苦しいし、喉はカラカラだった。
“一体どうしてこんなことに…。“
悲しくなって涙が溢れた。
少女は、まだ6歳だった。父親が早くに亡くなり、最近までは母親と仲良く慎ましく生活していた。
つい数日前のことだ。今年から流行りだした魔女狩りのせいで、隣人に密告された少女の母親は、異端審問官に連行されてしまった。
少女自身は無事だったのだが、周囲の目は厳しいもので、『魔女の娘』とレッテルを貼られてしまい、いつ何時母親と同じように通報されるか分からない状況だった。
硬い地面に寝転びながら、
“もう死んでしまいたい“
そんなことを思っていた。
ザザザザッ……。ザザザザッ……。
草が風になびく音が大きくなる。なんだかその音が心地よくて、少女はそのまま眠ってしまった。
「おい……、起きろ……。」
地の底から響いてくるような、低くくぐもった女性の声に驚いて目を覚ます。
あたりは、すでに日が落ちて真っ暗になっており、ザワザワと揺れる草が何となく不気味だった。
声の主を探して、キョロキョロと周囲を見渡すと、草の影からギョロリと、こちらを睨んでいる大きな金色の双眸がみえた。
ひぃ……。
怖くて逃げたいのに身体がカチコチに固まって動けなかった。
「おい小娘……。何をそんなに怖がっている……?」
愉快そうな声色でそう言うと、2つの眼の持ち主は、少女の前に現れた。
それは大きな黒いライオンだった。2つの眼は燃えるように黄金色に光っている。
あまりにも恐ろしいその姿に、少女はただ目を見開いて黙っていた。声が喉に張り付いたようになって出てこない。
「お前……、さっきここで泣いていたなぁ。なんで泣いていたんだ?」
黒いライオンは、少女のことなどお構い無しに、ドサリと草むらに横たわると欠伸をしながらのんびり訊ねた。
“このライオンさん、今のところは私を食べるつもりはないんだわ…。“
少女は考えた。
「意地悪な男の子たちに追い回されたの。お父さんは死んでしまったし、お母さんは…、きっと殺されてしまったわ…。」
言葉にしてみると、また辛くなってきた。
「ほう……。」
ライオンは、そう言うとギロリと少女を見た。
「お前は、町の人間が好きか?」
唐突に、ライオンはそんなことを言った。
少女は、少し考えてから『嫌い』だと答えた。そして、憎んでいるとも言ったのだった。
ライオンは愉快そうに笑うと、のっそりと起き上がり、こう言った。
「俺はお前のことが気に入った。だからお前にいいものをやる。上手く利用することだ。」
そして、少女の顔に向かってガオーっと吠えるとゆったり歩いて草村の中へ消えていった。
「ねぇ、いいものってなぁに?どうやって使うの?」
ここで、ハッと目が覚めた。
“なぁんだ、夢か。
喋るライオンなんて、実際にいるわけないもんね。
それにしてもリアルな夢だったなぁ“
そんなことを思いながら、少女は家へ帰った。
次の日。
家の外で顔を洗っていると、また昨日の少年たちが現れて、石をぶつけてきた。
「魔女め!!消えろ!死んでしまえ!」
心無い言葉を言われて、いつもなら悲しい気持ちになっていた少女だが、この日は何故か、ものすごく腹が立った。
バケツから顔をあげて、彼らの方をじぃっと睨みつける。
すると、不思議なことが起こった。
いつもなら殴ったり叩いたりする少年たちが、顔面蒼白になって尻もちをついたのだ。
そして何故か、金魚のように口をパクパクさせながら、お尻で後じさると、一目散に逃げ出した。
“何が起きたの?“
彼女はポカンとして、少年たちが走り去った方を見ることしか出来なかった。
その日の夜のこと。
少女が家で眠っていると、家の外がなにやら騒がしくなり、目を覚ました。
何事かと窓から外を見ると、近所の大人たちが武器を片手に家の周りを取り囲んでいる。
“どうしよう……。
いよいよ私は死んでしまうんだわ。“
少女は悲しくなった。
と、その時。目の前にあの黒いライオンが現れた。
「小娘よ。お前は、本当に馬鹿だねぇ。」
くつくつと笑いながら、そのライオンは徐々に人間の姿になると、美しい女の人になった。
大きな扇子をもったその人は、少女の手をとると壁をすり抜けて外に出た。
女の人は、高笑いをしながら集まった大人たちに扇子で風を送った。
その風の威力の凄まじいこと。
少女の家の周りにあった建物はほとんどがバラバラに崩れ落ちた。
少女は呆気に取られてその光景をぽかんと眺めていた。
「この魔女めーっ!!!」
1人の男性が彼女に飛びかかってきた。
ギロリ。
昼間少年にやったように憎しみを込めて相手を睨みつけた。
「うわあああっ!バケモンだあああ」
男性は腰を抜かすとそそくさと逃げ出した。
~終~
隣町の新聞にて
我が町の隣の町で、深夜に乱闘騒ぎが起こった。乱闘の中心となったのは、6歳の少女宅で、騒ぎを聞いた町の役人が駆けつけたときには、それはそれは酷い有様であったそうだ。不思議なことに少女の姿は忽然と消えており、現在も行方不明。また、少女の家から半径3キロ圏内の家という家は全て破壊され、そこに住んでいた人間は謎の病に罹っているという。
それは、皮膚が壊死して真っ黒になり、死に至る病のようで、その町の住民の間で急速に感染が拡大しているらしい。最初の感染者は少年3名と男性が1名。どちらも、通常では考えられないほど早く重症化し、亡くなっている。
我々も感染防止を徹底すべし。
~完~
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