魔の森

じゅりえっと

狼男

むかーしむかしのお話。


とある小さな村にある、天体観測塔の一室にて、白髪の老人が望遠鏡を覗き込み、顔面蒼白となっていた。


「大変だぁ……」


男はしわがれた声で呟くと手を揉みながら、ウロウロと部屋の中を往復した。


さて、この天体観測塔というものは、村の外れのふかーいふかーい森の中に、ポツンと建っている、石造りのそれはそれは古くて高い建物であった。


スマートフォンなど普及されていないこの時代、人々が何かを連絡する方法といったら、自ら足を運んで手紙を届けるよりほかなかった。


はて、この老人、一体何者で何を見ていたのか?


この老人は、村で唯一の天体学者であり彼が見ていたのは月であった。


今宵の月は真ん丸な満月で、真っ暗な空にどんよりと不気味に赤く光っている。


月は、すでに空の中央付近まで登ってきており、もうすぐにでも空の中心に鎮座しそうであった。


老人は、塔に建付けられた小窓からもう一度外の様子を伺うと、意を決したように息を吸い込んだ。


そうして部屋の端まですすむと、そこにある小さくて古い木の扉をギィと開いた。


中は真っ暗で、カビ臭く、松明がひとつ上の方に備え付けられているだけであった。


来ていたローブのポケットからマッチを取り出すと、老人は壁に擦り付けて火をつけた。


シュッと音がして火がつく。松明に火を灯すと、それを片手に持ち、ゆっくりと下を照らす。


蜘蛛やネズミが、突然現れた炎に驚いたように逃げていき、古い石段が現れた。


老人は、壁伝いにゆっくりと石段を降りていった。


どれくらい時間が経ったのだろうか。長い長い階段をどこまで降りたのか、検討もつかない。


もう中腹まで来たのだうか……。


老人の額を汗が滴った。


その時だった。


ワオーーーン、ワオーーーン


1匹の狼の遠吠えが聞こえた。


ギクリと老人は肩を揺らした。


“本当にまずいことになってきたぞ“


焦る心を落ち着かせて、まだまだありそうなその石段を、1段ずつゆっくりと降りていく。


ワオーーーン、ワオーーーン、ワオーーーン


今度は数匹の狼の遠吠えがした。


どうやら増えていっているようだ。


“早くここを出て、村にもどらねば……“


焦る心とは裏腹に、ズキズキと下半身の関節が痛み始めていた。


額から吹き出す脂汗を拭いながら、1歩、また1歩と石段を降りていく。


狼の声は、次第にその数を増していき、もはや何頭いるのか定かではないほどに外のあちこちで聞こえていた。


ハァ、ハァ……。


痛みに耐えながら石段を降りていたが、そろそろ限界に達してきた。


“一体、この石段は何段あるのだろうか……?


果たして、昼間はこんなにあっただろうか?


まさか、増えた……?


いや、そんなはずはなかろう……。”


あちこちからくる激痛に耐えかねて、石段に腰を下ろすと、ぼんやりと老人は考えた。


外は、いつの間にかしん、と静まり返っている。


程なくして、人の話し声が聞こえてきた。


「おーい、ここにいたのか?」


「おーい、こっちだこっちだー!」


何人かの男たちが、仲間を呼び合っている声が聞こえてくる。


老人は、ほっと一安心した。


“なーんだ。狼ではなく人間か。


今日は満月の夜だしな。


きっと狩りに出てきた村の連中に違いない。


こんなに近くに声が聞こえるということは、もうすぐ階段も終わりなのであろう。


だが、膝が痛くてもう動けんな。


ここは1つ、助けてもらおう。”


そして、大声で叫んだのだった。


「おーぅい、助けてくれぇ。膝が痛くて動けん。」


老人の声は、塔のなかで大きく反響していたが、まもなくして、また静寂がもどった。


“万策尽きたか…。もうダメか……”


諦めたかけた時だった。


「おーぅい、どこだぁー?」


再び声が聞こえた。


「ここだぁー!わしは石造りの塔の中だー!」


老人は必死で叫んだ。


叫んだ後に、老人はハッと気づいた。


“待てよ。


わしはなんでここから出ようとしているんだ?


満月…………。”


ここまで考えた時、老人は、自分の全身からサーっと血の気が引くのを感じられた。


“しまった”


空いているほうの手で口を覆うも、時すでに遅し。


ちょうど老人が腰を下ろしている石段から3段くらい先。松明の明かりがぼんやりと照らしているところに、鉄の扉があった。


そこをものすごい力で何かがドォーン、ドォーンと体当たりしている。


ひぃ……。


恐ろしさのあまり目を見開き、ガクガクと震えることしか出来なかった。


ドォーン!ドォーン!ドォーン!!!


何か得体の知れない大きなモノが、体当たりするたびに、そこの部分がべこりと凹んだ。


扉は今にも壊れそうである。


“もうダメだ……“


老人は目を瞑った。


ガシャーン!!!


大きな音をたてて、扉が壊れた。


~終~




次の日の朝、前日の昼過ぎに森の奥へ行ったきり帰ってこない夫を心配した妻は、様子を見に1人で森の奥へ向かった。


そして彼女は、そこで恐ろしい光景を目撃する。


かつて老人がいた石造りの塔の前には、ベコベコに凹んだ鉄扉と、べっとりと血のついたボロボロの布、そして老人の頭髪だけが枯れ草の上に落ちていたという。


~完~







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