この短編集では、毎話語り手が変わり、同じ中学校に通う別の子供たちがそれぞれの話の主人公となる群像劇の形を取っています。
前話で脇役だった子が次話の語り手となり、登場人物の心情や関係性が徐々に見えてきてワクワクしたり、前話の他愛ない会話が伏線となっていたりと飽きさせない工夫があります。
そして、語り手もまた彼ら自身。教育課程の途上にあり、未だ語彙力に乏しい彼らが、自分自身の中を精一杯探して絞り出した言葉で語っているのが伝わってきます。
(筆者の他作品を読んで頂くと判りますが、この作品の地の文の稚拙さは、この作品でのみあえて狙って出しているのだと思われます)
彼らはみな、時に支離滅裂で、時に幼稚で、それでいて誰しもがいつか心の奥で夢想(あるいは妄想)したことのあるような、若く未熟な言葉で読者に語りかけてきます。
言葉足らずだけれど上手く言い表せない、でも言葉にするとしたらこうだ、という過程を経て紡がれた彼らの文章は、生きた言葉、あるいは、生々しい言葉と表現してもよいかもしれません。そのもどかしさは、私達自身もみな過去に経験したもので、なんとも言えないノスタルジーを感じさせます。
少年少女たちの他愛ない日常を切り取っただけの物語と言えばその通りですが、私は彼らが好きです。