10-2

お菓子コーナーには赤や緑に彩られたパッケージが増え、お客さんが商品を詰める台(サッカー台と呼ぶそうだ)があるところにクリスマスケーキのパンフレットが置かれるような時期になった。私は1人でレジに立つようになったけど、意外となんとかなっていた。明るく元気な挨拶はできないし、カゴ詰めもきれいにできないけど、そのことで不機嫌になったり、怒ってきたりするお客さんはいなかった。その代わり、レジの操作とお金の受け渡しだけは、テキパキ、ミスのないよう細心の注意を払って行うようにしていた。それが私としげさんの、暗黙の約束だと勝手に思っていたから。しげさんはいつも私の仕事ぶりを褒めてくれて、レジの業務に少し慣れてきても接客態度については一切口を出さなかった。


スーパーが混雑する時間になり、レジには行列ができていた。そんなとき、坊主頭に髭を生やしたガラの悪いおじさんが私のレジに現れた。

「お前がトロトロレジやってるから、アイス溶けてるよ絶対。どうしてくれんだよ?」

まだ何もしていないのに、明らかに機嫌を損ねていた。

「...申し訳ございません」

怖くて顔も上げることができないが、手だけは止めてはいけないと思い、なんとか商品のバーコードの読み取りを進める。

「おい、聞いてんのかよ。どうしてくれんだよ」

私のせいではないと思う。今日は特にトラブルもなかったし、一生懸命やってもこのスピードが限界だ。この時間帯の混雑はどう頑張っても解消するのは難しい。でも気にしないようにしても、手が震えてしまう。動揺して、いつもはミスしないところで間違えて余計に時間がかかってしまう。

「なぁ、早く新しいの取ってこいよ。お前、何手ぇ止めてるんだよ?」

思うように手を動かせなくて、目の前にいるお客さんになんて言葉を返せばいいのか分からなくて、せっかくレジの仕事もできるようになったのに、やっぱり私は大事なときに凍ってしまった。


「お客様、どうかなさいましたか?」

「お前、誰?」

「店長の本城と申します」

「あぁ、店長。こいつがチンタラやってるから、俺のアイスが溶けたんだよ。新しいのと交換して」

「お客様、恐れ入りますがこれは彼女の問題ではなく、この時間帯は非常に混雑しますので、全てのお客様にお会計まで5分程度お待ちいただいております」

「そんなの知らねえよ。早く交換しろっつってんだよ」

「事前にお声がけいただければ、無料でドライアイスをご提供しておりますので、次回以降はそちらのご利用をお勧めいたします」

「はぁ?じゃあ店の責任じゃないって言いたいのかよ?」

「はい」

「お前客舐めてるのかよ?」

「ほかのお客様にもご迷惑ですので、ご理解いただければと思います」

「うざっ。もういいよ、全部いらねえ。帰るわ。二度と来るかこんな店!」


「小坂ちゃん、一緒にレジやろうか?」

しげさんは私の凍った手を握って、優しく声をかけてくれた。

しげさんはさっきのおじさんがそのままにしたカゴを床におろし、並んでいたお客さんにお詫びしながらレジを再開させた。放心しつつも、しげさんが隣にいてくれるおかげでなんとかシフトの時間が終わるまで働くことができた。


シフトが終わると私は先に控室に戻り、後からバニラのカップアイスを持ったしげさんも戻ってきた。

「カップアイスなんて、もう1回冷やせば普通に食べれるのにねー」

そう言ってしげさんはアイスを冷凍庫にしまった。さっきのおじさんが放置したアイスは売り物にはならないから、しげさんが後で食べるのかもしれない。

「小坂ちゃん怖かったよね?あんなのただのクレーマーだから、気にしなくていいからね」

「どうしてあのとき、新しいアイスと交換しなかったんですか?」

私は気になっていたことを尋ねた。このご時世、クレームから事件に発展するなんてこともある。あんな風に正論をぶつけたら、相手が逆ギレして殴ってくる可能性だってあった。しげさんは、怖くなかったのだろうか。

「だって、小坂ちゃん悪くないもん!あそこで言いなりになったら、小坂ちゃんが悪いって認めてるみたいになるからー」

子供が駄々をこねるみたいに、しげさんは言った。

「でも、その方が、穏便に済んだんじゃないですか?あのお客さん、怖そうな人だったし、しげさんのことが、心配になりました」

「小坂ちゃん、今日は泣かないんだね?」

「えっ!」

私の戸惑った様子を見て、しげさんは笑った。

「そんなにすぐ、泣かないですよ...」

「もし今日、あの人に新しいアイスを渡していたら、また小坂ちゃんが『私のせいです』って泣いてる姿が想像できたから。だから、僕もちゃんとあのときに言いたいことを言ってよかった」

思いもよらなかった理由だった。そこまで考えてくれていたのだとわかり、感動が押し寄せてきて、何も返事できなかった。

「これからも、小坂ちゃんは自信を持って働いてね」

この言葉だけで、一生頑張れる気がした。

「今の言葉に、泣きそうです...」

「えへへ、大袈裟だよー」

しげさんは照れ臭そうに笑っていた。


家に帰ってから、今日あったことを思い出していた。クレーマーに対応するしげさんは、いつものしげさんとは違っていた。穏やかで物腰の柔らかい感じではなくて、冷静ではっきりとした物言いだった。凍ってるときはそんなことを感じている暇はなかったけど、ものすごくかっこよかった。

そして今日も、私はしげさんに手を握られて元に戻ることができた。1回目は面接のとき、2回目は品出しで初めてお客さんに声をかけられたとき、3回目はレジのヘルプに入って失敗したとき、そしてクレーマーに絡まれた今日が4回目。なんでしげさんは手を握るのだろう?もしかしてセクハラ?いや、もしそうならもっとたくさん触られているはず。凍ったとき以外は、肩ですら触れられたことはない。しげさんは、私の体質を知っているのだろうか?いや、こんな体質の人ほかにいないと思うし、さすがにそれは考えにくい。でも、しげさんは必ず私を溶かしてくれる。偶然という言葉では片付けられなかった。

しげさんに触れられた温もりが、まだ手の甲に残っている気がした。眠るときまで、私を庇ってくれたしげさんの姿が脳裏から離れなかった。

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