私を採用してくれた理由

9-1

しげさんの優しさに救われて、なんとかバイトを続けることができているが、レジ前の商品補充はトラウマになってしまった。でも仕事なのでやらないわけにはいかない。レジの方に向かうと、しげさんとエツコさんの会話が聞こえてきた。


「あの子、ほんとに大丈夫なの?」

「大丈夫ってなんのことですか?」

「最近しげちゃんが採用した、朝の品出しやってる子!お客さんに対して全然愛想ないし、レジのヘルプもテンパっちゃってたし」

「ああ!レジは未経験だし仕方ないですよー」

「でも普通もっと機転利かないかしら?私はね、しげちゃんが休めるように人手増やした方がいいんじゃない?ってアドバイスしたの。でもあれじゃあ、余計しげちゃんの仕事増えてるじゃない?誰彼構わず採用すればいいってもんじゃないと思うけど」


それは聞きたくない話だった。やっぱり、私の存在がしげさんの負担になっているんだ。しげさんは優しいからクビにできないだけで、私がお金が必要なことを知っているから同情しているだけで、本当は、邪魔なんだ。

現実を突きつけられたショックで、引き返そうをしたときだった。


「誰でもいいから採用したわけじゃないですよ?」

エツコさんに反論するしげさんの声が聞こえた。

「履歴書に、鉛筆の下書きの跡が見えて、すごく丁寧に、一生懸命書いてくれたんだなーっていうのが伝わってきたんですよ」

さらにしげさんは話を続ける。

「面接の日も、10分前にはお店に来ていて、道に迷ったら困るから早めに来たのかなと思ったんですけど、住所見たら家すごく近かったんですよ。ギリギリに来ても絶対間に合うのに、早めに来たんだなーと思って」

そんなところまで、しげさんは見てくれていたんだ。初めて会ったあの日から、今もずっと、しげさんは私のことをちゃんと見てくれているんだ。

「すごく勉強熱心で、教えたことはちゃんと覚えてくれるし、僕は雇って正解だと思っています」

「しげちゃんがそう思ってるなら、私が何も言うことはないわ」


しげさんが私を庇ってくれたことが嬉しくて、レジ前の商品補充も普通にこなすことができた。


控室に戻って、ふと壁に貼ってあるシフト表を眺めた。アルバイトやパートの人はもちろんのこと、社員の人も”早番”もしくは”遅番”のシフトが書かれていて、曜日はバラバラだが月8日程度お休みの日が記載されている。でもしげさんのシフトは、全ての日に矢印が引っ張られて”出勤”と書かれているだけ。今まで気がつかなかったけど、しげさんは休んでいないのかしら?私がシフトの月木土日は早朝からいるし、私が電話をかけた平日の夜もしげさんはいた。たまたま私のシフトとしげさんの勤務時間が被っているだけだと思っていたけれど、本当に人手が足りていないのかもしれない。


「あ、小坂ちゃん!仕事終わったんだねーお疲れ様!」

控室に戻ってきたしげさんの姿を見て、考える前に言葉を発していた。

「しげさん、私にレジを教えてもらえませんか?私、しげさんの役に立ちたいです。しげさんに助けられるんじゃなくて、しげさんのこと助けられるようになりたいです。だから、スーパーの仕事全部できるようになりたいです。お願いします」

ぽかんと口を開けたしげさんを、私はまっすぐ見つめた。

しげさんは壁に目を遣って、何か思いついたように喋り始めた。

「もしかして、シフトのこと気にしてくれてるの?」

「はい。人手が足りないから、しげさん休めていないのかなと思って」

すると、しげさんは目を細めて言った。

「家に1人でいても、僕無趣味な人間だからやることなくて、仕事してるだけなんだけどね」

しげさんが独身なことを、そのとき初めて知った。

「エツコさんにも同じこと言われて、一応説明したんだけどわかってもらえなくて、絶対人手増やした方がいいってしつこいから、求人募集出したんだんだ」

「でも...バイトの人辞めちゃったから、猫の手も借りたいって、書いてましたよね...?」

私は、あの不気味な猫の絵が描かれていたポスターの文言を思い出していた。

「あれね、エツコさんに『必死さが足りない!』って何度もダメ出しされて、ああなった。えへへ」

しげさんはバツの悪そうな顔で笑った。

「そんな、じゃあ...なんで私のこと...」

「でも、エツコさんには感謝しなきゃね」

私の言葉を遮るようにしげさんは言った。

「だって、小坂ちゃんが来てくれたから」

しげさんの全く嘘のない笑顔が私に向けられた。

「僕の世界はここだけだから、小坂ちゃんみたいに、若くて、いろんな世界を見ている人に入ってもらえると、刺激をもらえてすごく楽しいんだ」

私だって大学と家の往復ですよ、と言いかけて、やめた。しげさんの生活を想像すると、切なくなったから。スーパーに毎日朝6時から閉店の22時までいて、家に帰って寝るだけの生活。大学は毎日違う授業があるし、図書館には読みたい本が山のようにあって飽きないけど、スーパーは、季節ごとに仕入れる野菜や果物が違ったり、時々イベントがあるだけで、基本的には毎日同じ作業。しかも、私には卒業というゴールがあるけど、スーパーの仕事は自ら辞めない限りはずっと続いていく。

しげさんには、もっと自由に生きてほしい。私がしげさんのためにできることはないのだろうか?

「そこまで人手不足でないことはわかりました。でも、しげさんの役に立ちたいという気持ちは変わりません。私にレジを教えてください、お願いします」

私は頭を下げてもう一度お願いをした。

「小坂ちゃんは、負けず嫌いなんだね」

顔を上げると、しげさんはちょっとニヤニヤしていた。

「いいよ、教えてあげる。俺が小坂ちゃんに教えてあげられるのは、スーパーのことくらいだから」

自虐で言ったのかもしれないけど、そんなことどうでもよくなるくらい、しげさんが「レジ教えてあげる」と言ってくれたことが嬉しかった。

人間が怖いとか言っている場合ではない。日に日に、しげさんに認めてもらいたいという気持ちが大きくなった。

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