8-2

それはあまりに突然の出来事だった。

「ごめん、ちょっとレジ手伝って」

レジ前のガムを補充しに行ったときに、レジのおばさんに声をかけられた。たしか、しげさんに紹介してもらったパートのエツコさん。

「いや、私レジやったことないので」

「横でカゴに入れていくだけでいいから、早く!」

語気の強さに怖じ気づいて、仕方なくエツコさんの隣に並んだ。

エツコさんは手早くバーコードを読み取らせて、次々に商品を私に手渡してくる。牛乳にプチトマトに卵など、重さも大きさもバラバラ。卵の上に重いものを載せてはいけないことくらいはわかるが、一体どうやってカゴの中に並べていけばいいんだろう?そんなことを考えている間にも商品はどんどん手渡されていく。とりあえず渡された順にカゴの中に入れるけど、卵を避けたままでは全て入りきらない。一度卵を取り出してから、底に安定するものを置かなくては。慎重に卵を取り出してカゴの外に移動させた。すると、バランスが崩れたのかほかの商品の配置もぐちゃぐちゃになってしまった。これは直さなくてはと思った矢先に食パンを手渡されて、柔らかいから気をつけなくてはと右手に持ったまま、左手でカゴの中の商品を元の位置に戻そうと思ったその時ーー


ガシャッ。


その音で何が起きたのかはすぐにわかって、血の気が引いた。すぐそばに卵を置いていることを忘れて、カゴに力を入れてしまった。

「大変申し訳ございません。すぐに新しいものをお持ちします」

エツコさんはすぐに事態に気づいて、お客さんに謝っていた。私が謝罪しなくては。でも、声が上手く出ない。

「ほら、早く新しいの取ってきて」

今エツコさんに指示を出されたことは認識できている。早く卵を取りに行かないと、目の前にいるお客さんを待たせてしまう。レジに並んでいる次のお客さんにも迷惑をかけてしまう。わかっているのに、卵売り場に行って新しい卵を取ってくればいいだけなのに、ただそれだけのことなのに、頭では理解しているのに。苛立つエツコさんや、不機嫌そうなお客さんの視線が刺さって、手足が思うように動かない。今すぐ謝りたいのに、卵を取りに行きたいのに、全てわかっているのに、自分の体がひどく冷たくてコントロールが効かないのだ。


「申し訳ございません。代わりにヨード卵お持ちしましたので、こちらよろしければどうぞ」

「え、しげちゃん?」

「エツコさん、あとはよろしくお願いします!」

「あ...うん」

「小坂ちゃん、動ける?」

いつの間にか私の左手はしげさんに握られていて、顔を覗き込まれていた。

「あ、気がついたね。控室戻ろっか」

そう言うとしげさんは左手で割れた卵を拾い、右手で私の手を引いて控室に向かった。私の体は体温を取り戻して、普通に歩けるようになっていた。


「エツコさんさすがに無茶振りだよねー。僕レジのこと全然教えてなかったし、小坂ちゃんは気にしなくて大丈夫だよ」

どう考えても私が悪いときにそうやって優しくされると、涙がこぼれてしまった。

「小坂ちゃん、また泣いてる」

しげさんにティッシュを渡される。前と全く同じ状況。

「小坂ちゃんは、責任感が強いんだね」

まさかそんなことを言われると思わなくて、涙でぐしゃぐしゃなままの顔を上げた。

「バイトでミスしてお客様怒らせても、平然としてる人とかこれまで何人も見てきたから、小坂ちゃんはちゃんと責任感持って仕事してて偉いよ」

なんでこんなことになっても、しげさんは私のことを褒めてくれるのだろう。

「すみませんでした...助けてくれて、ありがとうございました」

やっと言葉を絞り出して、膝に頭がつきそうなほど頭を下げた。

「卵、2つしか割れてなかったから、小坂ちゃんいる?」

「あ、弁償します、私が買い取ります」

「いいよいいよ!はい、じゃあ卵4個小坂ちゃんにあげる!」

どこまでも優しいしげさんの言葉に甘え、卵を受け取った。

「小坂ちゃん、元気出してね」

私は頷くことしかできなかった。

しげさんにこんなに優しくされて、何度も助けられているのに、いつも足手まといになってしまう自分が情けなかった。

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