休日のスーパー

7-1

今日は勤労感謝の日。大学は休みだけど、5時半には起床してバイトに備える。いつもと同じように顔を洗い、いつもと同じように着替えを済ませ、いつもと同じように化粧をする。

違うことと言えば、講義がないので荷物が最低限でいいことと、自転車で行く必要がないこと。それ以外は、今日も前回と同じように業務をこなすつもりだった。


6:20頃に裏口から控室に入ると、しげさんの姿はなく、見知らぬ女性がロッカーの前で荷物を整理していた。私に気づいて「おはようございます」と挨拶すると、駆け足で部屋を出て行った。何も部屋の様子は変わっていないはずなのに、なぜだか慌ただしい空気を感じた。しげさんがいないから?落ち着かない気持ちでエプロンをつけ、持ち場に向かった。

これまでは私が一番乗りだったのに、売り場では既に何人ものスタッフが作業を始めていた。一瞬時間を間違えたかと思ったけど、そんなことはない。場の雰囲気に圧倒されそうになりながらも、自分の作業を開始した。

昨日までの商品を全て前に出し、倉庫に在庫を取りに行ったとき、ようやく事態の深刻さに気づいた。段ボールの量が明らかに多い。ほかの商品も混じっているのかなと疑ったけど、箱の印刷を見ると見慣れた名前ばかりで、たしかに私の担当の商品だ。とりあえず、運べる限りの段ボールを台車に積んで売り場に戻った。

決して手を抜いているわけではない。むしろ、自分なりに急いでいるつもりだ。でも、全く終わる気配がない。平日は棚の真ん中くらいまでしか並べていなかった商品を、今日は一番奥までぎっしり並べている。9時半どころか開店の10時にも間に合わないのではないかと不安がよぎる。

時間は刻々と過ぎ、9時半が迫ってくる。焦って作業しているせいで手前の商品を倒してしまい、床に麻婆豆腐の素の箱が散らばった。急いで拾おうとしゃがむと、箱を拾う誰かの手が視界に入った。

「小坂ちゃん、周りをよく見てごらん」

しげさんだった。辺りをキョロキョロすると、しげさんが手のひらでパンのコーナーや大豆製品のコーナーを指し示した。

「みんなまだ作業してるでしょ?土日や祝日は入荷量を多くしてるから、普段の時間に終わらなくても大丈夫。開店してからも作業していて全く問題ないからね」

私に微笑みかけると、箱を拾って立ち上がり、元の位置に戻してくれた。

「チラシの商品は開店前にちゃんと揃ってないといけないから優先的にやるけど、小坂ちゃんのコーナーはその心配がないから、心細いかもしれないけど自分の持ち場が先に終わった人が後から手伝いに来てくれるから安心してね」

そう言ってしげさんはほかの作業の様子を見に行った。

タイムリミットから解放されたことで、私の心は少し落ち着きを取り戻した。開店10分前になっても作業は終わらなかったが、しげさんの説明通り「手伝います」と言ってほかのスタッフが応援してくれた。

10時になり店がオープンしたが、私はなるべく気にしないようにして商品の陳列を続けた。


「すみません」

背後から声が聞こえた気がした。

「すみません」

ボリュームが大きくなりびっくりして振り向くと、カゴを持ったお客さんが立っていた。

「このチラシに載っているスポーツドリンクの常温ってありますか?」

その質問は、たしかに私に向けられていた。

「あっちには冷えたのしかなくて、冷えてないのありませんか?」

そんなこと私に聞かれてもわからない。私の担当のコーナーではないし、常温で置いているスーパーもあるけど、ここにはそんなコーナーはなかったはず。どう答えていいのかわからず、パニックで頭が真っ白になる。

「すみません、聞いてますか?これの常温ないですか?なければないでいいんですけど」

目の前にいる人が、段々と不機嫌になっていくのがわかる。この感じ、覚えがある。体のコントロールが利かない。何か言おうとしても、言葉が出ない。どうしよう、また、凍っている。

「何かお探しですか?」

しげさんの声が聞こえた気がした。お客さんとやりとりしている声が次第に遠ざかっていくので、どうやらしげさんが対応してくれたみたいだ。上手く答えられなかったショックで、私はその場に立ち尽くすことしかできなかった。


突然、手の甲に温かさを感じた。私の両手は、誰かの両手で包み込むようにぎゅっと握られていた。

「小坂ちゃん、もし今後、お客様に質問されてわからないことがあったら、『確認しますので少々お待ちください』って言ってから、僕を探しに来て。見つからないときには携帯に電話して。必ずすぐ助けに行くから」

しげさんにまっすぐ見つめられて、私は何度もうなずいた。

しげさんはニコッとしながらうなずくと、手を離してその場を立ち去った。

何が起きたのかわからなかったけど、手足の感覚がはっきりしていたので、残りの仕事を必死で片付けた。


業務を終えて控室に戻ろうとしたとき、ものすごく罪悪感がこみ上げてきた。しげさんに迷惑をかけてしまった。お客さんにあんな態度をとってしまったら、クレームにもつながりかねない。忙しい時間帯に、私のせいでしげさんに手間をとらせてしまった。また私は、凍ってしまった。しげさんが私を今日シフトに入れたくなかったのは、こういう事態を想定していたからだと思う。しげさんの言う通りにしておけばよかった。私がわがまま言ったせいで、こんなことになってしまった。


控室では、しげさんが1人でデスクに座っていた。

「お疲れ、小坂ちゃん!今日は忙しかったでしょ?」

私に気づいたしげさんはいつもの笑顔で話しかけてくれた。それが余計に私をいたたまれない気持ちにさせた。

「すみません。私、しげさんの言うこと聞いていたら...しげさんは私に休日の仕事は務まらないと思ってたから、止めようとしたんですよね。それなのに、私、無理を言って働いたから、迷惑をかけました。最低です、ごめんなさい...」

頭を下げた拍子に、涙がこぼれ落ちた。本当に自分が情けなかった。今度こそ見放されても仕方ないと思った。

「そんなことないよ。小坂ちゃんが大変な思いして、もうスーパーで働くの嫌だってなったら残念だなと思って止めようとしたけど、お金が必要なことも聞いてたし、ものすごくやる気出してくれてたから、それでもやらせないのは、僕が過保護すぎるというか、小坂ちゃんに失礼だなと思って、お任せしたんだよ」

泣き顔を見られたくなくて顔を上げることはできなかったけど、しげさんが慰めではなくて本心で話していることが、声のトーンだけでも伝わってきた。

「お客様全然怒ってなかったし、小坂ちゃんは気にしなくて大丈夫だよ。失敗なんてみんなするよ?僕だって若い頃は怒られてばっかりだったし。勉強になったと思えばいいんだよ」

優しい言葉をかけられればかけられるほど、涙が止まらなかった。

「もう!小坂ちゃん泣かないの!ほら!」

しげさんはティッシュを手渡してくれた。

「目の前で若い女の子に泣かれちゃったら、おじさん困っちゃうよー」

その言葉を聞いて、ティッシュで目頭をおさえてどうにかこうにか涙を止めて顔をあげると、しげさんと目が合った。笑っているけど目が潤んでいるようにも見えた。本気で私のことを心配してくれたんだなと思った。

「木曜日も、働いていいですか?」

「当たり前じゃん!むしろ小坂ちゃんの方から辞められちゃうんじゃないかと思ってひやひやしてたよー」

満面の笑みでしげさんは答えた。

「次から、頑張ります」

「ゆっくり、一つひとつ覚えていけばいいからね」

「はい、ありがとうございます」

「せっかくの祝日、ゆっくり休んでね!」

「お疲れ様でした」


店の外に出ると、涙が乾いた顔に冷たい風が吹いて、余計に寒さを感じた。しばらく、シフトは増やせないかな。しげさんが言っていた通り、ゆっくりステップアップしていかなくてはならない。せめて自分の居場所を自分で壊すようなことはしないように、コツコツ働こうと思った。

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