「しげさん」

6-1

目覚ましの音で目を覚ます。外はまだ暗かった。いつも1限の講義に出るときの7時起床はすごく眠いのに、今日は5時起きでも頭が冴えている。すっとベッドから起き上がり、洗面所に行って身支度を始めた。

シフトのことを聞かれると思って準備はしていったけど、あんなにトントン拍子に働くことが決まるとは思っていなかった。結局、一昨日も店内を案内してもらっただけで面接らしいことはしていない。一体私のどこを見て採用したのだろう。やはり人手が足りないから、最初から誰が来ても雇うつもりだったのだろうか。

でも、今までスタートラインにすら立てなかった私に、チャンスをくれたことは本当にありがたい。正直、私に仕事が務まるのかどうか自信は全くないけど、私のことを見捨てなかった人の役に立ちたいし、最低限のことしか期待されていないかもしれないけど、せめて裏切るようなことはしたくない、と思う。


家を出る時間でも日は昇っておらず、青白い空が広がる薄明かりの道を進んでキングマーケットに向かった。

到着すると、 いつもと様子が違うことに気がついた。出入り口のシャッターが閉まっている。営業時間は10:00〜22:00なので、閉店時の様子は見たことがなかった(1限の授業のために朝8時くらいにお店の前を通るときは、既にシャッターは開いていた)。

開店まであと約4時間ある。シャッターは閉まっていて当然なんだけど、私はどこから入ればいいんだろう?辺りを見回していると、建物の陰からひょこっと店長が現れた。

「小坂ちゃん、おはよう!」

あれ、ちゃん付けになった。

「おはようございます」

「こっちこっち!」

手招きする店長について建物の裏側に回った。早朝だというのに店長の機嫌の良さは変わらず、むしろ、いつもに増してテンションが高い気がする。

「いよいよ今日からだね!楽しみだね!」

バイトって楽しみにするものなのだろうか?私が、というよりも、店長が楽しんでいるように見える。

「よろしくお願いします」

「開店前はまだシャッター開けてないから、こっちから入ってね!」

裏口の扉を開けると、店長と最初に話した控室につながっていた。

「じゃあここに座って。お給料振り込むために必要だから、この書類を記入してもらえるかな?」

「わかりました」

「わからないことがあったら聞いてね」

そう言って店長は控室から出ていった。

私は黙々と書類の記入を進めた。店長は軽いテンションで私を雇ったけど、書類は堅苦しくて、本当にこれから働くのだという事実を突きつけられたみたいで、少し不安になった。

「小坂ちゃんのエプロン、Mで大丈夫かな?」

控室に戻ってきた店長がビニール袋に入った新品のエプロンを手に持っていた。

「どうかな?つけてみてくれる?」

店長は袋からエプロンを取り出して私に手渡した。店長に見守られているのが気になりつつも、私は肩紐に腕を通して、腰紐を後ろでリボン結びにした。

「わー!似合ってるね!あ、スーパーのエプロン似合ってるって言われても嬉しくないか。えへへ」

エプロンをつけただけで店長に褒められて恥ずかしかったけど、嫌な気分ではなかった。

「荷物はここのロッカーに入れてね。準備ができたら、早速始めよっか!」

手荷物をロッカーにしまってから、店長の後をついてグロサリーのコーナーに向かった。


「まずは、今棚にある商品を全て前に並べます。このときに、賞味期限が切れているものがあれば棚から出すようにしてください。お客様が賞味期限切れのものを買ってしまったら大変だからね」

「そうですね」

「そして並べるときは、賞味期限が近いものを手前に並べてください。賞味期限が近いものが奥にあると、賞味期限が切れて売れない商品が増えちゃうからね」

「わかりました」

私はレトルトカレーの棚に手をつけて作業を開始した。しばらくすると「おはようございます」と言う何人かの声が聞こえたので、6時半からのシフトの人がほかにもいるのだとわかった。店長に挨拶をした後は、それぞれ自分の持ち場に散らばって淡々と作業を行っているだけで特に会話をする必要もなく、1人で静かに仕事ができる環境は私に合っていると思った。

商品を前に並べる作業が済んだので、店長に報告をした。

「店長、終わりました」

「しげちゃんでいいよ」

一瞬何を言っているのかわからなかったが、2秒くらい考えて店長の呼び名のことだと理解した。かなり年上だし、さすがにちゃん付けはちょっと抵抗がある。

「じゃあ、しげさん、で」

妥協案として名前にさん付けを提案した。

「しげさん!いいねー!なんか尊敬されてる感じがするよ!」

嬉しそうだったので、これからは「しげさん」と呼ぶことに決まった。

「じゃあ倉庫に在庫を取りに行こうか」

しげさんと一緒に倉庫に行き、段ボールを台車に積んだ。私が段ボールを1つ運ぶ間に、しげさんは3つくらい運んでしまう。台車も押してくれるので、「私がやります」と申し出た方がいいかなと思ったけど言えなかった。

「1人でやるときは、こんなに積まなくていいからね。何往復かすればいいから」

戸惑っている私を察してか、しげさんが微笑みながら話しかけてくれた。

再び持ち場に戻り、賞味期限順に商品を並べた。手前にある商品をよけながら並べるのは少し面倒だが、やっていくうちにコツをつかんできた。


黙々と進めているとあっという間に時間は過ぎ、作業は9:15頃に終了した。

「小坂ちゃん、要領いいね!」

通常この作業にどのくらい時間を要するのかはわからないけど、しげさんは褒めてくれた。

「じゃあ小坂ちゃん、今日は終了だね!お疲れ様!」

「シフトはこれからいつ入ればいいですか?」

今日働くことしか聞いていなかったので、今後のことを確認しておきたかった。

「小坂ちゃんは、月と木の6時半から9時半まで、週2回入ってもらえると嬉しいな!」

つまりは、週6時間労働。ざっくり時給1000円で暗算しても1ヶ月で24,000円。少ない。それでは3月までに30万円は稼げない。

「私、土日も朝大丈夫です。働かせてください」

思った以上に大きな声が出た。私のいつになく真剣な様子に、しげさんも目を丸くした。

「...そんなに、お金が必要なの?」

「私、将来翻訳家になりたくて、それにはスクールに通う必要があるんです。3月までに、30万円貯めたいんです」

私は理由を必死に説明した。もうここしか私を受け入れてくれるところはないし、バイトの掛け持ちなんてできるわけがない。図々しいかもしれないけれど、ほかの選択肢は残されていなかった。

「そうなんだー!すごいよ小坂ちゃん!偉いよ!初めてお店に来てくれたとき、『なんでスーパーで働きたいの?』なんて聞いてごめんね。僕、応援する!でも、無理はしちゃだめだからね。慣れてきたら、シフトも増やそう!」

しげさんが好反応を示してくれたのでとても安心した。しげさんは、感情がすぐ顔に表れる。心から戸惑ったり、素直に褒めてくれたり。いつもニコニコしているのも、本当に楽しいからなんだと思う。空気を読んだり、察したりする必要がないから、一緒にいてもプレッシャーを感じずにいられる。

「ありがとうございます」

「こちらこそ、事情知らなくてごめんね!」

しげさんが謝ることなんて何もない。しげさんには感謝しかない。最低限、お給料に見合う仕事をちゃんとしよう。もっとシフト任せられると思われるように一生懸命やろう。

「学校いってらっしゃい!」

手を振って見送ってくれるしげさんの笑顔を見て、バイトに全力で取り組むことを誓った。

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