5-2

土曜日の13時。再びキングマーケットに足を踏み入れる日が来るなんて、1週間前は思いもしなかった。

電話がかかってきて、「また来てほしい」と言われたときはかなり動揺したけど、まだ見捨てられていなかったことに、心底ほっとしている自分もいた。

それでも、土曜日が近づくにつれて不安な気持ちは大きくなった。私はきっと、あの店長の期待には応えられないから。


押し潰されそうなほどの不安な気持ちを抱えたまま店の中に入ると、青果コーナーの近くに立っていた店長が私に気づいて、微笑みながらこちらに向かって歩いてきた。

「こんにちは!小坂さん」

「こんにちは」

挨拶を返すのが限界で、目を合わせることはできなかった。

また裏の控室に移動するのかと思っていたら、店長はその場に立ち止まったまま私に向かって話した。

「前回はあんな狭い部屋で話したのがよくなかったよね。だから今日は、一緒にいろいろ見ながら話そう!」

「あ…はい」

部屋のせいで緊張したわけではなかったんだけどな。言われるがまま、店長の左側を歩いて、店内を見回ることにした。

「じゃあ早速だけど、今僕たちがいる、入店して最初に目に入る場所は青果売り場です。ほとんどのスーパーは、入り口に一番近い場所を青果売り場にしています」

「たしかに...」

意識したことなかったけど、言われてみればどこのスーパーもそうなっている。

「ちなみに何でか知ってる?」

私は首を横に振った。

「スーパーで一番季節感のある商品が、野菜や果物だからだよ。季節に合わせた野菜を揃えることで、このスーパーは品揃えが豊富なんだなってお客様に対するアピールにもなるし、彩りも綺麗だからお店の雰囲気も明るくなるしね!」

こういうときになんて返していいのかわからない代わりに、私は店長に伝わるように大きくうなずいた。

正直、やっぱりスーパーのことちょっと舐めていた。商品の配置にそんなに意味があるとは知らず、店長の話を素直に面白いと思った。

「青果の奥は、パンとお惣菜のコーナー。お惣菜は専門のスタッフがお店で作ってくれています。この時間はあんまり商品並んでないけど、夕方のピーク時に出来立てを提供できるように準備してるんだ」

天ぷら網がいくつも置かれていたが、今の時間はかき揚げとコロッケが1つずつ残っているだけだった。

「次は、右側が精肉、正面が鮮魚のコーナー。青果と精肉、鮮魚をまとめて生鮮三品と呼んでいて、スーパーにとっての生命線と言えるくらい重要です。ほら、コンビニで生のお魚やお肉は売ってないでしょ?スーパーに来るお客様の多くは、これらの生鮮三品を求めていらしてくれます。あ、ちょうど良かった!アベさん!」

店長の呼びかけで、鮮魚コーナーで魚の切り身を並べていた方が振り向いた。店員の目印である紺色のエプロンはしておらず、帽子や作業着、長靴まで全身白ずくめの、店長よりも年上に見えるおじさんで、知らない顔が店長の隣にいるせいか不思議そうな顔をしていた。

「お疲れ様です。今日も順調そうですね」

「おう。新人さん?」

「はい!大学生の小坂さん。こちらは鮮魚部門チーフのアベさんです」

なるべく感じ悪く思われないように、深々と頭を下げた。

「鮮魚で働くの?」

アベさんが冗談なのか本気なのかわからないトーンで言った。

「こんな可愛らしい子働かせませんよー。小坂さんも嫌だよね?生の魚触ったりするの、臭いし」

「おいおい誰のおかげでここに商品が並んでると思ってるんだ?」

「えへへ」

店長がいたずらっ子のように笑うと、つられてアベさんも笑い出した。一瞬、私に話を振られたのかと思って焦った。すぐに店長が答えて、二人で勝手に盛り上がってくれているからよかったけど。

「じゃあ、引き続きお願いします!」

「はいよ」


アベさんへの挨拶を済ませて左に曲がると、左手には加工食品や調味料が陳列されている棚が並び、右奥は冷凍食品、突き当たりはお酒のコーナーになっていた。

「お店は、お客様に反時計回りに動いてもらえるようなレイアウトになっています。コンビニとかでも、そういうつくりが多いんじゃないかな」

私がよく行く大型スーパーやコンビニがどうだったか、思い出そうとしてみた。

「小坂さんは、利き手どっち?」

「...右手です」

「カゴはどっちで持つ?」

「左、ですね」

「やっぱりそうだよね!右利きの人は、左手にかごを持って右手で商品を取るから、反時計回りのほうが買い物しやすいと感じるんだよ」

「へー」

心では結構面白いと思っているけど、どうしてもリアクションが薄くなってしまう。でも、店長はそんな私にはお構いなく満足げな顔で話を続けてくれるので、気持ちが楽だった。

「小坂さんには、最初はグロサリーの品出しをお願いしようかなー。あ、グロサリーっていうのは、左側にあるお菓子とかレトルト製品のことね!」

そうか。スーパーってレジ打ちだけじゃないのか。品出しって、ただ商品を並べるだけだよね。それなら私にもできるかもしれない。さすがに店長でも、私にレジをやらせようとは思っていないんだ。今どうして私がここにいるのか、ようやく腑に落ちる感覚がした。

「小坂さんって、お酒は…」

おそらく店長は、私が成人しているのかどうかを確認しようとしているみたいだった。

「6月に20歳はたちになったので、飲めます」

「そっか!20歳になったばっかりなんだ!若いなぁー。僕と17も違うよ。えへへ」

店長の年齢が37歳だということがわかった。もう少し歳いってるのかなと思っていたけど、改めて顔に注目すると、肌は色白で、顔のパーツは小さく、一重の薄い顔立ちで言うほどのおじさんでもない。細くて四角いメガネフレームのせいで、実年齢より老けて見えているだけな気がする。

そんなことを思いながら店長の顔を見上げていると、危うく目が合いそうになって慌てて視線を逸らした。

お酒コーナーの前を左に曲がると、右手にはドリンク、左手には豆腐や納豆などの大豆製品が並んでいた。さらに進むと、正面にはレジが2台ずつ向き合って並んでいた。そのうち2つは休止中で、残りの2つは30代くらいの男性とおばさんが対応していた。

「しげちゃんお疲れ!」

店長に気がついたレジのおばさんが、距離感を度外視した大きな声で店長を呼んだ。本城茂夫さんだから、しげちゃんなのか。

「お疲れ様ですー!紹介するね、パートのエツコさん。こちらはアルバイトに応募してくれた小坂さん」

「まさかしげちゃんが書いたあの気色悪いポスターで、応募してくれる子がいるとはねー」

ここで衝撃の事実が判明した。あのポスター、店長が書いたの?

「えー、そんな変だった?」

店長は口角を下げて言った。

あの怪奇ポスターを書いたのはこの人なのかと、新種の生物に遭遇したような気持ちで、店長をまじまじと見つめてしまった。

「ほら、引いちゃってるよ」

「え、うそだー!」

「気をつけないと、おじさんはすぐ嫌われるわよ」

「そんなー。ショックだなー。小坂さん行こうかー」

レジカウンターを抜けるとようやく出入り口まで戻ってきた。店長がどうせおちゃらけているだけだと思っていたけど、どうやら本当にへこんでいるようだった。

「小坂さんも、あれ、キモいとか、思ってる...?」

「いえ、おもしろいなーと」

なんだかあまりにも店長がかわいそうに思えて、正直なことは言えなかった。いや、面白かったのは嘘ではないし。

「ほんとに!よかったー!」

店長はすぐにさっきまでの笑顔を取り戻した。あまりにも単純すぎて、喜んでいる姿もちょっと面白い。

「小坂さん、じゃあ、シフトどうしよっか?」

その質問の回答は、しっかり準備していた。今日はシフトの話になると事前にわかっていたので、どの時間が空いているかどうかを書き出しておいたメモを渡した。

「土日は何時でも大丈夫です。平日は月と金以外は17時から入れます。月と金は5限まであるので、19時半以降になってしまいます。月木は、朝も9時まで大丈夫です」

暗記しておいた文章も、ちゃんと声に出して言うことができた。

「すごくわかりやすいメモだね!助かるよ!じゃあ、どうしよっかなー」

顎に手を当てて考え事をしているときでも、店長はニコニコと楽しそうだった。

「小坂さんは、早起き得意?」

「得意ではないですが、決めた時間にはちゃんと起きれます」

「よし!それなら朝の品出しから始めよう!今度の月曜日から、早速来れたりする?」

「大丈夫です」

「じゃあ、初回だけはちょっと早いけど、朝6時に来てもらえるかな?普段は、6時半で大丈夫!」

「わかりました」

「次来るときは、身分証と印鑑、あと銀行口座番号がわかるものを持ってきてくれるかな?」

「わかりました」

「小坂さんがこれからも来てくれるってわかってよかった。じゃあ、待ってるね!」

「はい」

「またね!」

初めて会った日と同じように、店長は出入り口まで見送ってくれた。


家に帰ってから、はっと我に帰った。

最後の方、私、ちゃんと店長の目を見て会話できてた。

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