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書店バイトの面接の日。授業が終わると、ほぼ毎日通っている図書館には立ち寄らず、すぐ家に戻った。リュックから母のお下がりのエナメルトートバッグにペンケースを入れ替え、履歴書や印鑑が入っているかもう一度確認する。入学式用に買った黒のスーツのスカートと白シャツを着て、スーツのジャケットを羽織ろうとしたがあまりにもフォーマルすぎる気がして、高校生のときから着ていた私服用のグレーのジャケットを合わせることにした。

鏡の前に立ち、髪をひとつに結ぶ。思い出そうとしなくても、昨日の電話のやり取りが何度も脳内で再生される。行きたくない。上手く話せる気がしない。面接のときも、あんな風な口調で質問されたらどうしよう?もし受かったとしても、仕事中にあんな態度で注意されたら、また凍ってしまう気がする。

時計を見ると、17:20。武蔵境駅までだいたい自転車で10分だから、余裕を見て17:40には家を出たほうがいい。残り20分という中途半端な時間では、英語の勉強を始める気にもならない。こんな気持ちであと20分も何もしないでいないといけないなんて。気を紛らわすためにテレビをつけてみるけれど、左上の時刻表示が変わるまでの1分間が、ひどく長く感じられた。


ヒールパンプスで、スーツのスカートを履いて自転車を漕ぐのはかなり窮屈だ。入学式にはバスで行ったので、こんな格好で自転車に乗るのは初めて。普段大学に行くときのようなスピードはさすがに出ないし、信号待ちのときに片足を地面につける体勢がきつい。

約束の10分前には到着し、店前の気持ち程度の駐輪スペースに自転車を止めた。ついに来てしまった。呼吸を整えてから、勇気を振り絞って店の中に入った。

そもそも、私は昨日電話で話した相手の顔を知らない。こういう場合はどうすればいいのだろう?レジには人が並んでいるので店員には話しかけづらい。少し店内をウロウロしていると、本を並べている店員を見つけた。この人に尋ねようと決意してからも声がかけられず、その店員はバックヤードに行ってしまった。このままでは私が遅刻したみたいになってしまうと思い、2人目の店員に慌てて声をかけた。

「あの、あの、すみません」

「はい」

「あの、バイトの面接で」

「あー、ご案内します」

店員について行くと、裏の控室に通された。控室と言っても、パーテーションで区切られただけでレジの声が丸聞こえだ。案内してくれた店員とほぼ入れ違いで、髭を生やした40代くらいの男性が姿を見せた。

「小坂さんですかぁー?店長のニシムラです」

語尾が上がる特徴的な話し方は、たしかに昨日電話で話した相手で間違いない。やっぱり面接はこの人が相手なんだ。でも大丈夫、まだ挨拶しただけで何も言われていないと、必死に自分を落ち着かせる。

「じゃー履歴書出してもらえますかぁー?」

バッグの中から履歴書を取り出す。意識すればするほど、手が震えてしまう。やっとの思いでテーブルの上に履歴書を置いた。

ニシムラという人がぶっきらぼうに履歴書を手に取った。一挙手一投足が、私を怯えさせる。

「ふーん。今まで何のバイトしてましたぁー?」

目線は履歴書に落としたまま、尋ねられた。

「あ…えっと…ないです」

もっとハキハキ答えるべきなんだろうけど、思うように声が出せない。

「君、接客とかできるー?なんか書店バイト舐めてる人多いんだけど、普通にコンビニとかと変わらない接客業だしー、本も運んだりして意外と重労働なんすよ。なんかかっこいいしー、楽そうだからって来る君みたいな子はすぐ辞めるから正直困ってて」

返す言葉が見当たらない。私は決して楽そうだから志望した訳ではないのだけれど。家で考えてきた志望動機が頭が真っ白で思い出せない。

「なんか長所ありますかぁー?スポーツやってて体力には自信ありまーすみたいな」

初めて私と目を合わせてくれた。何か答えなくては。長所?長所なんて、ない。あ、ダメだ。まただ。終わった。私、凍っている。

「おーい。なんか言ってくださーい。何も言わなきゃわからないよー。別にそんな真剣に考えてくれなくても良かったんだけど。真面目に働いてほしいから脅しちゃったけど、君みたいな華奢な女の子も普通に働いてるしー。え?なんで動かないの?」

そんなこと、私の方が聞きたいよ!


「話になんないわ」と吐き捨てて、ニシムラという人は控室から出て行ってしまった。私は手足に体温が戻るのを待ってから、逃げるように店を後にした。スマホを確認すると18:22で、あの場所で10分以上も凍っていたのかと思うと、迷惑をかけてしまって申し訳ない気持ちと、予想通りの結果になってしまった情けなさで、涙が溢れた。

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